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令嬢たちのざまぁコレクション(大体一話完結/短編集)  作者: リーシャ


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71 聖女のように癒やしの呪文を綴ることもできぬ無能な書記官など我が帝国には不要だと言われたので婚約者や国から言葉を奪う。言葉が通じないと意味がないでしょう?

ざまあ

「シエル!貴様が綴るその奇怪な図形、学者の誰一人として解読できん!聖女のように癒やしの呪文を綴ることもできぬ無能な書記官など、我が帝国には不要だ。婚約を破棄し、国外へ追放する!」


 皇太子バハトはシエルが一生懸命に書き溜めていた羊皮紙の束を、暖炉の火に投げ込んだ。

 傍らでは美しい文字で甘い愛の詩を綴る妹のララが「お姉様、文字が心に響かなければただの落書きですわ」とクスクス笑っている。


「……そう。あなたたちには図形に見えるのね?」


 燃え盛る火の中で羊皮紙は焼けるどころか青白い光を放ち始め、シエルの中で凍りついていた万物の記録が覚醒した。

 彼女はただの書記官ではない。世界の法則を記述し、命のプログラムを書き換える原初の記筆神きひつしん

 綴っていたのは落書きではなく、世界の存在を確定させる神聖幾何学だったのだ。


「いいわ。私の言葉を理解できないこの国からすべての意味を剥奪する」


 シエルが裸足で国境の雪原を歩き、指先で空中に一文字暖ぬくもりと綴った時、吹き荒れる吹雪が一瞬にして春の陽だまりに変わる。


「一文字。それこそが数千年探し求めた世界の心音か」


 現れたのはあらゆる魔法を無効化し、沈黙で世界を支配する静寂の覇王カイアス。一切の感情を表に出さない冷徹な男として恐れられていたがシエルが綴った空中の文字を見た瞬間、その場に膝をつき、彼女の手を恭しく取った。


「素晴らしい。君が記す文字一つで凍りついた時間は動き出す……シエル、どうか私の宮殿へ。魂に君の言葉で新しい名前を刻んでほしい」


 カイアスはシエルを抱き上げ、漆黒の飛竜に乗せて雲の上の居城へと連れ去った。道具としてではなく、自分の空虚な世界を彩る唯一の真理として狂おしいほどの情熱で独占し始める。


 シエルが去った帝国では奇怪な現象が起きていた。意味を剥奪するという彼女の宣言通り、国中の書物から文字が消え、人は言葉の意味を理解できなくなったのだ。


「バハト様!指令書が読めません!兵士たちも自分の名前すら思い出せないと言っています!」


「ララ聖歌を歌え!なぜ口から出るのが雑音なのだ!」


 バハトとララは豪華な宮殿でパニックに陥っていた。食べ物を見てもそれが食べられるものだという認識ができず、愛を語ろうとしても意味をなさない叫び声しか出ない。

 彼らは絶望の中、唯一言葉が生きているという北の居城へ、這いずるように辿り着いた。


「シエル助けてくれ!言葉を、世界を元に戻してくれ」


 門前に現れたシエルはカイアスの腕に抱かれ、空中にこばみと綴った。バハトたちは彼女に近づこうとするが、目に見えない壁に阻まれ、地面に叩きつけられる。


「バハト、ララ。あなたたちには言葉は贅沢すぎる。一生、意味のない音を垂れ流して理解されない恐怖の中で暮らすといい」


 カイアスが背後からシエルの耳元で囁く。


「シエル、壊れた楽器のような奴らは放っておけ。君の美しい言葉は私一人への囁きだけでいい」


 *


「カイアス、これ……美味しいね」


 居城のテラスで、シエルはカイアスが用意した幻の白鳥のコンフィを口にしていた。彼女がうまみと空中に綴ると料理の味はさらに深みを増し、五感を震わせる逸品へと昇華される。


「君がそう綴ってくれるなら神の庭からでも食材を盗んでこよう」


 カイアスはシエルの指先に付いたソースを、自分の唇で拭い取るとそのまま彼女の首筋に指を滑らせ、小さな古代文字を書き込んだ。


「何を書いたの?」


「……カイアスのもの。君が世界のすべてを書き換える神だとしても肌だけは私の愛で埋め尽くして離さない」


 カイアスはシエルを抱き寄せ、深く奪うような口づけを交わした。文字を呪いと言われた少女は一人の男の魂に幸福という終わらない物語を綴り続ける最愛。


 居城には世界中からかき集められた最高級の食材が並んでいるが、カイアスは満足しない。


「シエル、今日は君に星屑のソルベを食べてほしい。これには最後の仕上げが必要だ」


 カイアスが差し出したのは氷河の奥底で眠っていた万年雪に、幻の果実の蜜をかけたもの。シエルは微笑み、指先を踊らせて空中に一文字融とろけと記した。

 文字がソルベに溶け込んだ瞬間、冷たいはずのデザートが口の中で熱を持ち、甘みが爆発するように広がる。


「……信じられない。食事が魂を震わせる体験に変わる」


「君の言葉こそがこの世で最も贅沢なスパイスだ。……満足げな顔。他の誰にも見せたくない。君が美味しいと綴るたび胸は独占欲で焼かれるようだ」


 カイアスはシエルの唇に残った冷たい雫を自身の熱い舌で掬い取った。


 ある日、シエルは新しい筆を求めてカイアスと共に人間界の辺境にある職人の街を訪れた。シエルが他の男の視線に晒されないよう、漆黒の魔力で彼女の姿を薄暗い影で覆っていたが、それでもシエルの手から漏れ出す聖なる気配までは隠しきれない。二人が立ち寄ったのは伝説の獣の毛を扱うという古びた文具店。


「いらっしゃい……だが、あんたたちに売るような意味のある筆はこの国には残っちゃいないよ」


 店主は力なく笑った。シエルが帝国から意味を奪った影響で、人間たちの道具もまた役割を失いつつある。だが、シエルは店の一角、埃を被った一本の細い筆に目を留めた。


「これ……私が昔どこかに置き忘れたもの」


 シエルが筆を手に取った瞬間、店の外から騒がしい物音が聞こえてきた。現れたのはボロボロの服を纏い、焦点の合わない目で徘徊するバハトとララ。

 言葉を失い、自分の空腹を伝えることすらできない。シエルが放つ圧倒的な意味の光に本能的に引き寄せられ、蛾のように集まってきたのだ。


「あ、うあ……あ……」


 バハトはシエルの足元に縋り付こうとする。婚約者の面影など微塵もない物乞いの姿だ。ララもまた、声にならない叫びを上げながらシエルの美しい指先を羨望の眼差しで見つめる。


「……哀れね。言葉に愛されなかった者たちの末路」


 シエルは新しく手に入れた筆を空中で一振りし、一文字拒きょぜつと綴った。瞬間、バハトたちの体は不可視の力で街のゴミ捨て場まで弾き飛ばされた。彼らは一生、誰にも理解されない音を吐き出しながら孤独の中で朽ち果てる運命。


 城に戻った後、カイアスはシエルを寝室のソファに座らせる。腕には先ほどシエルが購入した筆が握られている。


「シエル、新しい筆の使い心地を試したいのだろう?」


「ええ、でも……何を書けばいいかしら?」


 カイアスはシエルの薄い衣を少しだけずらし、露わになった彼女の白い肩に筆先を当てた。


「私が教えよう。……まずは私の名を。そして、君が私だけの書物であることを、その肌に直接書き込んでほしい」


 カイアスはシエルの指を筆に添えさせ、彼女の滑らかな肌の上に、見えない魔力の文字を綴らせていく。


 シエルがえいえんと記すと、カイアスの瞳は獣のような情熱を帯び、彼女をさらに深く、逃げられないほど強く抱きしめた。


「君が綴る物語に終わりはいらない。永遠に書き続けられる愛だけがあればいい」


 筆を呪いと言われた少女は魂を書き換える唯一の主となり、世界で最も甘い沈黙の中で愛される。

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