64婚約破棄されたら本当の運命の相手が現れた氷令嬢は唯一無二と望まれた。謝るくらいなら最初からちょっかいをかけなければよかったのに
ずいぶんと面倒な状況に転生した伯爵令嬢、アリアーヌ・フロスト。よりにもよって氷魔法使い。
この冷え切った心に、一体誰が火をつけてくれるっていうのよ……って、そんな感傷に浸っている場合じゃない。
目の前のこの、いかにも「ハーレム作ってキャッキャウフフしたいんです!」って顔をした男爵令嬢フローラ。
「アリアーヌ様、わたくし、ぜひとも貴女と親睦を深めたくって!」
満面の笑みで近づいてくるフローラ。
その後ろには、明らかに彼女目当ての色男たちがずらり。あらやだ、完全に品定めされているじゃない。
「あら、フローラ様。ご機嫌麗しゅうございますわ」
作り笑いを浮かべながら、心の中で盛大にため息をつく。親睦を深める?
ええ、ええ、深めてどうするおつもりで?婚約者であるジークヴァルト様を横取りする算段?
「ええ、もちろんですわ!アリアーヌ様のその美しい銀髪と、氷のように澄んだ瞳に見惚れてしまって!」
「あらあら、まあ」
社交辞令を返しつつ、さりげなく一歩下がる。この距離感が大事なの。深入りは絶対に避ける。
「わたくし、アリアーヌ様のような才色兼備なご令嬢とお友達になれるなんて、夢のようですわ!」
「光栄ですわ」
棒読みにならないように気をつけながら、心の中で警報を鳴らす。夢だなんて、随分と大げさな表現。下心が見え透いてるわ、フローラ。
そんな、うんざりするようなやり取りが続いていたある日のこと。ついに、その時が来る。舞踏会の夜。ジークヴァルト様が、皆の前で高らかに宣言した。
「アリアーヌ・フロスト!貴様との婚約を破棄する!」
会場がざわめく中、ジークヴァルト様はフローラの腕を取り、それはそれは優しい笑顔を向けているの。
「わたしには真に愛する女性がいるのだ。フローラ、君だ!」
フローラは顔を赤らめてそれはもう幸せそうにジークヴァルト様の腕に抱きつく。周りの貴族たちは、面白おかしく見物している。
「そうですか」
驚くほど冷静だったと思う。だって、予想通り。フローラがあの手この手でジークヴァルト様に近づいているのは知っていたし、彼もまんざらではない様子だったから。
「アリアーヌ様……申し訳ございません」
フローラが勝ち誇ったような表情を隠しきれていないのが目に付く。謝るくらいなら、最初からちょっかいをかけなければよかったのに。
「いいえ、お気になさらないで。元々、殿下は釣り合わないと思っておりましたから」
優雅に一礼した。周りのざわめきが、さらに大きくなった気がする。まさか、こんなにあっさりと引き下がるとは思っていなかったのでしょう。その時、会場の入り口付近が、急に騒がしくなった。
「おい、騒がしいぞ!」
低いけれどよく響く声が会場全体を鎮めた。皆がそちらに視線を向けると、そこに立っていたのは見慣れない男だった。
黒い革の鎧を身につけ、腰には無骨な剣。
鋭い眼光は獲物を射抜く鷹のよう。
野性的な魅力に、会場の女性たちが息を呑んでいるのが分かった。
「一体、どちら様でしょうか?」
誰かがおずおずと尋ねると男はニヤリと笑って言った。
「おれはバルド。アリアーヌの……番、だ」
会場は再び騒然となった。番って何?この男が新しい婚約者だと?そんな話聞いてない。バルドと呼ばれた男は悠然とこちらに歩いてくると、手を掴む。
「行くぞ、アリアーヌ。こんなつまらん連中の相手なんか、もうする必要はねぇ」
有無を言わさぬその強引さに、一瞬戸惑ったけれどなぜか逆らう気にはなれなかった。だって、彼の瞳には射抜くような熱があるんだもの。
「ええ」
そう答えるのが精一杯だった。こうして、婚約破棄されたばかりだというのに、見知らぬワイルドな男に連れ去られることになったの。
氷の心にも、少しばかりの熱が灯ったのかもしれないわね?バルドに手を引かれ、半ば強引に舞踏会会場を後にした。
豪華なシャンデリアや、きらびやかな装飾が遠ざかっていくのを、どこかぼんやりと眺めて。一体、彼は何者?なぜ番なんて言ったの?
頭の中は疑問符でいっぱいだったけれど、彼の力強い手のひらの温かさが、妙に心地よかったのも事実。会場の外に出ると、夜風が少し冷たく感じられた。
バルドは何も言わずに馬車の方へと連れて行く。漆黒の馬体に銀色の装飾が施された、彼らしい野性味あふれる馬車。
「乗れ」
低い声でそう促され、おとなしく馬車に乗り込んだ。中は意外にも広々としていて、ふかふかの毛皮が敷かれた座席は暖かかった。
バルドも続いて乗り込むと馬車はゆっくりと動き出す。沈黙が流れる車内。どう、言葉を切り出せばいいのか分からずにいた。
ちらりとバルドの方を見ると、彼は腕を組み、じっと前を見つめている。横顔は彫刻のように険しいけれど、どこか惹きつけられる魅力があった。
「あの……バルドさん」
意を決して声をかけると彼はゆっくりとこちらを向いた瞳は、夜の闇のように深く吸い込まれそうになる。
「なんだ?」
「あなたは……一体、何者なのですか?なぜ、私の番なんて……」
問いにバルドは少しだけ口元を緩めたけれど、表情はどこか憂いを帯びているようにも見えた。
「おれはバルド。北の地で生きる狼の一族の長の息子だ」
狼の一族?まさか人狼……?物語の中だけの存在だと思っていたものが現実に目の前にいるなんて、信じられない。驚きを察したのかバルドは続ける。
「お前は特別な力を持つ者。氷を操る力はおれたち一族にとって、なくてはならないものだ」
「なくてはならない……?」
「ああ。古の誓約によって氷の力を持つお前はおれの番となる定めなのだ」
馬鹿な。そんな古臭い誓約なんて聞いたこともない。第一ただの伯爵令嬢よ。なぜ、狼の一族の長の息子であるあなたと。
「信じられないと?」
心の声が漏れたのかバルドは自嘲気味に言う。
「おれだって、まさかこんな形で出会うとは思っていなかった。お前は想像していたよりもずっと。か弱い」
か弱いですって。武術の心得はないけれど魔法の腕はそれなりにあるつもり。
「それは、どういう意味ですか?」
少し語気を強めて問い返すとバルドは初めてじっと見つめた。瞳には心配のような、戸惑いのような、複雑な感情がある。
「力は強大だが制御しきれていない。それに」
言葉を濁し、少し躊躇うように言った。
「お前は孤独を抱えている。氷の瞳を見れば分かる」
ドキリとした。図星だったから。誰にも理解されない氷の力。常に周囲との間に壁を作ってしまう、冷たい気配。初めて会ったばかりの、野性的な男に見抜かれてしまうなんて。
「ふふ……それは、あなたの勘違いよ」
強がってそう言ってみたけれど声は少し震えていたと思う。バルドは何も言わずに目をじっと見つめ返してくる。
沈黙が嘘を暴いているようだった。しばらくの沈黙の後、バルドは重々しい声で言う。
「おれはお前を守る。それが、おれの使命だ」
「守る……?」
「ああ。お前の力はこの世界にとって、希望にもなり得る。だが、同時に危険も呼び寄せる」
希望であり危険?一体、どういうことなのかしら。
「詳しくは北の地に着けば話す。今はただ、おれを信じてほしい」
婚約者に裏切られたばかりなのに、見知らぬ男を信じろと言うなんて、ずいぶんと乱暴な話。
けれど、彼の真剣な眼差しを見ていると、なぜか嘘をついているようには思えなかった。
馬車は、夜の道をひた走る。窓の外の景色は、見慣れない荒涼とした風景へと変わっていき不安と、ほんの少しの期待がないまぜになっていた。




