63婚約を無しにされたので菜園をしようと思います。悪女って小説の読みすぎじゃないですか?恥ずかしいので生まれ直してきてはどうでしょう、私は旅に出ますので頼らないでくださいね
婚約破棄
「シュシリア様、この度の婚約解消、誠におめでとうございます」
王太子であるジャインライド殿下の冷たい声が、広間の中に響く。シュシリアと呼ばれた少女。中身は現代から転生してきた普通の女子ハツネは深いため息を心の中でついた。
(うーんやっぱりこうなっちゃったか〜。やっぱこうなるか〜)
豪華なシャンデリアが煌めく広間でハツネは一人、所在なさげに立っていた。
周りにはざわめきと同情のような視線が向けられている。
「おめでとう、ですか」
ハツネはできるだけ穏やかな声で返した。前世の癖でつい敬語を使ってしまう。貴族たちは、もっと堂々とした話し方をするのだけれどなかなか慣れない。
「ああ。君のような悪女との婚約など、破棄できて清々しているのだ」
ジャインライド殿下の言葉は相変わらず刺々しい。
(悪女?小説の読み過ぎじゃ?世の中わかりやすい悪女なんていなくないか?)
自分がこの世界で悪女と呼ばれている理由も、なんとなく察していた。
(だって、この世界の常識と私の常識全然違うし)
例えば、この世界では婚約者である殿下の言うことは絶対で逆らうなんてありえないことらしい。でも、ハツネは前世で自分の意見をしっかり持つことや、おかしいと思うことには疑問を持つことを教わってきた。
殿下の横暴な態度につい反論してしまったことも一度や二度ではない。それが、この世界では悪女の証拠になってしまったらしい。
「殿下がお幸せならそれで良いんです」
軽く頭を下げた。心の中では「ふん、こっちだってあんたみたいな自己中心的な人、願い下げよ」と毒づいたけれど、口には出さない。
穏便に済ませるのが一番。婚約解消が決まった以上、ハツネは王宮から出て侯爵家に戻ることになる。
少し寂しいけれど同時にホッとした気持ちもあった。王宮での窮屈な生活よりも実家の方がずっと気楽に過ごせるだろう。
「シュシリア様、お荷物の準備ができました」
侍女のケイトが心配そうな顔でハツネに声をかけた。ケイトはハツネがこの世界に来てからずっと世話をしてくれている、数少ない理解者の一人。
「ありがとうケイト。色々迷惑かけちゃったね」
「そんなことありません。シュシリア様は、いつもお優しかったです」
ケイトの言葉がハツネの胸にじんわりと染みた。この世界にも優しい人はいる。
馬車に揺られながらこれからのことを考えていた。侯爵家に戻ったら何をしようか。世界には魔法がある。前世では考えられなかったような面白いことができるかもしれない。
(そうだ。せっかく異世界に転生したんだから、楽しまなきゃ損じゃない?)
前向きに考えることにした。婚約解消は確かに痛手だったけれど、それは新しいスタートを切るチャンスでもある。
現代の知識だってきっとこの世界で役に立つはずだし。例えば、前世で好きだった料理のレシピを再現してみるとか、何か新しい作物を育ててみるとか。
色々なアイデアが頭の中に浮かんできた。侯爵家に着くと、両親は心配そうな顔でハツネを迎えてくれた。
「シュシリアよく帰ってきたわね。辛かったでしょう」
母親の優しい言葉にハツネは涙ぐんでしまった。
「うん、大丈夫お母様。私、これからこの世界で自分のやりたいことを見つけて生きていくから」
ハツネの言葉に父親たちは少し驚いたような表情をしたけれど、すぐに優しく微笑んだ。
「そうか。シュシリアがそう決めたなら、父さんは応援するよ。何か困ったことがあったらいつでも頼りなさい」
両親の温かい言葉に心強く思った。家がある限り自分は一人じゃないと自分の部屋で前世から持ってきたノートを開いた。色々なレシピや科学の知識、趣味の手芸に関するアイデアなどが書き込まれている。
「これがあればきっと楽しい生活が送れるはず」
ノートを見ながら、これからの生活に胸を躍らせた。婚約解消なんて過去のこと。新しい世界で自分らしく生きていく。
侯爵家に戻って数日後。ハツネは早速、自分の部屋にこもってなにやら熱心に取り組んでいた。広げられたノートには見慣れない文字や図がびっしりと書き込まれている。
「土壌は思ったよりアルカリ性寄りか」
庭の土を少し採取して調べた結果をノートに書き留めていた。前世で少しだけかじった園芸の知識が、意外なところで役に立ちそうだ。
(確か、アルカリ性の土壌だと育ちにくい野菜もあったはず)
ノートに挟んでいた園芸雑誌の切り抜きと、採取した土壌サンプルを交互に見比べた。この世界にはない野菜を育ててみたい、という密かな夢。
そんなある日、ハツネは庭の手入れをしていた老庭師のゲオルグに話しかけてみた。
「ゲオルグさん、庭の土について何か知っていますか?」
ゲオルグは長年この家の庭の手入れをしてきたベテラン、土のことなら、何でも知っているだろう。
「はいお嬢様。この辺りの土は、少しばかり水捌けが悪いのが難点でしてな。時折、魔道具を使って改良したりしておるのですが」
ゲオルグの言葉に興味を持った。
「魔道具?」
この世界には魔法の力を利用した道具があるらしい。
「魔道具というのはどんなものなのですか?」
ハツネが尋ねるとゲオルグは首を傾げた。
「ええと、土に魔力を流し込んで、質を良くする、とでも申しましょうか。詳しいことは、わしもよく分かりませんが」
魔法の力で土壌改良、か。知識と魔法を組み合わせれば、もっと効率的な方法が見つかるかもしれない、と考えた。
「ゲオルグさん、もしよろしければ少しの間、わたくしに庭の手入れを手伝わせていただけませんか?土のこと、色々教えていただきたいのです」
申し出にゲオルグは目を丸くした。
「お嬢様がこのような庭仕事に興味をお持ちとは、驚きですな」
「はい。試してみたいことがあるんです」
こうして、ゲオルグに庭の手入れを教わりながら土壌に関する知識を深めていくことになった。ゲオルグは熱心さに感心し、長年の経験から得た知識を惜しみなく教えてくれる。
懇切丁寧に。ハツネはゲオルグに、よく食べていたトマトという野菜について話してみた。
赤くて丸い、少し酸味のある美味しい野菜だと説明するとゲオルグは不思議そうな顔をする。
「そのような野菜は見たことがありませんな」
やはり、この世界にはないのかな。少し残念に思ったけれど、同時に自分が初めてトマトを栽培できるかもしれないという希望も湧いてきた。
「もし、種を手に入れることができたら、庭で育ててみたいのですが」
言うとゲオルグはにっこり笑った。
「それは面白い試みですね。わしもお嬢様のお手伝いをさせていただきますよ」
トマトの種を探す旅に出ることを決意した。もちろん、侯爵家の令嬢が一人で旅をするわけにはいかないので護衛騎士を数人つけてもらう。出発の日、両親は少し心配そうな顔をしていたけれど、決意は固かった。
「大丈夫、お父様、お母様。きっと、珍しい種を見つけて帰ってくるから」
ハツネは、希望に満ちた笑顔で侯爵家の馬車に乗り込んだ。笑顔が溢れ落ちる。
窓から見える景色はどこまでも広がる緑の大地。新しい生活への期待が胸を高鳴らせた。
(どんな出会いが待っているかな?)
異世界での新しい冒険は今始まったばかり。




