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令嬢たちのざまぁコレクション(大体一話完結/短編集)  作者: リーシャ


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60緻密に計算された食事によって胃腸と体力が奇跡的に保たれていたのに婚約者を捨てたばかりに公務中に激しい腹痛と嘔吐に襲われ醜態を晒したらしい

婚約破棄

 それは宮廷晩餐会の席上で起こった。伯爵令嬢エリザベート・アークライトは、婚約者である第二王子ディミトリ殿下から婚約破棄を言い渡された。


「エリザベート。貴女の趣味はあまりにも俗に流れすぎている」


 殿下は、優雅に口元のソースを拭うと視線を向けた。隣には子爵令嬢フィオナが、優美なレースのハンカチで口元を隠し、満足げに微笑んでいる。


「料理などという女の浅はかな道楽にうつつを抜かし、王族の伴侶としての品格を蔑ろにした。王妃は食欲ではなく魂を鎮める優雅さを纏うべきだ」


 エリザベートは全身の血が凍るのを感じた。


(俗?浅はかな道楽?貴方の健康と体調管理のためにどれほどの時間と専門知識を費やしたと……!)


 エリザベートが料理を愛するのは、単なる趣味ではない。貴族社会の不規則な食生活と過度な飲酒が招く体調不良を、食事で根本から改善するため。胃腸が弱かった殿下のために毎日、栄養バランスと消化の良さを完璧に計算した特別な食事を用意させていた。


「殿下のような高潔な魂を優雅な詩歌と慎ましい微笑で癒やしますわ」


 フィオナが囁く。彼女の料理への知識は皆無だ。


「結構ディミトリ殿下。下世話な才能は高貴な王室には不要でしょう」


 エリザベートは立ち上がった。手には殿下のデザート用に用意していた、黒い皿に載せられた艶やかなベリータルトがあった。


「ですが一つだけ申し上げます。俗な道楽が王位継承の鍵を握っていたという事実を、後悔なさいませ」


 タルトを殿下のテーブルに叩きつけるような勢いで置き、そのまま踵を返した。


 エリザベートが王都の屋敷に戻ってから一週間後、王宮はパニックに陥った。

 ディミトリ殿下が突如として公務中に激しい腹痛と嘔吐に襲われ、醜態を晒したのだ。

 その後も、体調は悪化の一途をたどる。原因は不明と王宮専属の医師団は首をかしげるばかり。


 二週間目。宮廷医師団のトップである老医師グスタフが王家の緊急会議で立ち上がった。


「失礼ながら申し上げます。殿下の不調は美食と不規則な生活によるものです。以前は、アークライト嬢の緻密に計算された食事によって胃腸と体力が奇跡的に保たれていました」


 グスタフ医師はエリザベートが殿下に提供していた献立表の詳細と、毎食後の消化吸収データを公表した。


「料理は道楽ではない。薬であり、栄養管理でした。料理を失った今、殿下の体は急速に腐敗し始めていると言っても過言ではありません」


 男は顔面蒼白になった。隣のフィオナは「私は魂を癒やすことしかできません!」と、、半狂乱になっている。王妃は急遽、エリザベートの元へ使者を送った。


「どうか、どうか王宮に戻って殿下のお食事を!」


 使者が差し出したのは、王妃直筆の懇願の手紙と白銀のトレイ。エリザベートは冷たい目で手紙を読み、トレイを押し戻した。


「お断りします」


「し、しかし、殿下がこのままでは……」

「俗な道楽にうつつを抜かす女は高貴な王室にはふさわしくありません。それに、フィオナ嬢が優雅な詩歌で殿下の魂を癒やせば、肉体の不調など些細なことでしょう?」


 エリザベートは使者を前にして、一切の感情を見せなかった。


「私の人生を弄んだ対価として、王家が保有する王都一等地の大規模な建物と、王家の料理人への投資額の全額賠償を要求します。応じられないなら殿下はそのまま朽ち果てればいい」


 王家は命と王位継承権を守るために法外な要求を呑むしかなかったので、エリザベートは莫大な資産と完全な自由を手に入れた。

 手に入れた王都一等地の古い建物は貴族街から離れた、庶民の活気あふれる地区にある。

 建物を豪華な屋敷にはせず、小さなベーカリーカフェに改装した。店名は黒い皿のパン。王宮でタルトを置いた黒い皿を、二度と戻らない決意の象徴とした。


 貴族時代は華美な装飾と複雑な調理法を求められたが、ここでは違う。作る料理は、素材が持つ力を最大限に引き出すという哲学に基づいていた。

 毎日、早朝に窯を開け、全粒粉のシンプルなパンと地元の野菜を使った具沢山のスープを提供する。

 晴れた日。店には汚れた作業服の職人や、野菜籠を持った主婦たちが列をなしていた。


「エリザ嬢、今日のライ麦パンは香りが違いますね!」


「今日は領地の太陽の当たり方が良かったので、少し発酵時間を変えました。このパンは、食べる人の今日の活力になるはずです」


 素手でパン生地をこね、窯の熱と格闘する姿は、王都の舞踏会で完璧なドレスを纏っていた頃よりも圧倒的に生き生きとしていた。

 貴族時代の友人たちは噂を聞きつけて店を訪れたが、誰もがギャップに言葉を失う。


「エリザベート……なぜ、こんな場所で、泥にまみれて……」


 旧友の問いにエリザベートは笑って答えた。


「昔の私は殿下の体という閉じた箱のために料理をしていた。それは、誰にも感謝されず利用されるだけの虚しい献身」


 焼きたてのパンを一つ手に取る。


「でも今は違う。パンは街の無数の人の、今日の笑顔と活力に変わる。誰かの魂を優雅に癒やすよりも、誰かの空腹を満たし、健康にする方がよほど高貴な仕事だと知った」


 彼女の笑顔は飾りのない、焼きたてのパンのように力強い輝きを放っていた。


 その頃、王宮ではディミトリが味気ないおかゆと医師の厳しい監視の下で、過去の自分の傲慢を後悔し続けている。しかし、エリザベートの人生に王宮の陰りは一切存在しない。太陽の香りのパンと共に豊かに紡ぎ始めていた。

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