28 公爵令嬢セレスティアは婚約者である第一王子から濡れ衣を着せられ公衆の面前で悪女の烙印を押され国から追放されると結界がなくなったことで滅びるカウントダウンを刻み始めた
「セレスティア! お前との婚約を、今をもって破棄する!」
響き渡る声。婚約者であるクリストフ第一王子による断罪の宣言だった。
場所は王城の舞踏会ホール。大勢の貴族が見守る中で、クリストフ様は指さし、蔑むような視線を向けた。
「お前は私を愛する侯爵令嬢を虐め、私欲のために公金を横領した」
濡れ衣だ。もちろん、全てが濡れ衣だ。泣き濡れた顔でクリストフ様に寄り添う、可愛らしい平民出身の令嬢。ああ、いつものパターン。
(やっと、この時が来た)
心の中でガッツポーズ。公爵令嬢としての生活は正直、苦痛でしかなかった。王族のための行事、退屈な貴族との社交、無能なクリストフ様の補佐。
全てが自由を奪っていた。セレスティアはSランク魔術師。その事実は王家にすら極秘中の極秘。なぜなら私が存在することで国は隣国から攻め込まれることなく、安定していたから。
だが、そんな重荷から今、解放される。冷たい視線をクリストフ様に向けた。
「ええ、結構です。クリストフ様。どうぞ追放してください」
予想外のあっさりとした返答にクリストフ様は一瞬、言葉を失った。
「な、なんだと? 罪を認めるのか!」
「いいえ。無実ですが、追放には大賛成です」
最高の笑顔で答えた。クリストフ様や侯爵令嬢に一瞥もくれることなく、颯爽とホールを後にする。
*
王都から遥か離れた、セレスティアが新しく作った辺境の魔術師の館。
周囲は穏やかな魔力に満ち、協力な魔術で創り上げた自動栽培の畑からは四季折々の新鮮な野菜の香りが漂っていた。
「わん!」
「みゃう!」
庭では、セレスティアが魔法で作った巨大なモフモフの魔物犬と、珍しい毛色の猫がじゃれ合っている。
ペットたちにお手製のクッキーを与えながらのんびりと紅茶を飲んでいた。
幸福な静寂を破ったのは庭の結界の外で崩れ落ちるように跪いている、みすぼらしい男。背景が汚れるので消えて欲しい。
「セレスティア……! 頼む、セレスティア!」
聞き覚えのある威厳を完全に失った声。セレスティアはカップをソーサーに静かに置いた。
男は彼女の昔の婚約者であり、公衆の面前で悪女と断罪し、追放したクリストフ第一王子その人。高慢だった顔は土と埃で汚れ、豪華な服は破れ見る影もない。
セレスティアは立ち上がって結界の前に立った。ペットの魔物犬が唸り声を上げるのを手で制する。
「はぁ……何の御用でしょうか? クリストフ様」
元婚約者への敬称をあえて冷たく、事務的に使う。無関係なものが話しかけてくることすら不快なのに。
「頼む! 助けてくれ! 国が!王都が滅びる! お前が張っていた結界が消えたせいで、魔物どもが押し寄せてきているんだ!」
クリストフはセレスティアの足元にしがみつこうと手を伸ばすが、見えない結界に阻まれて触れることもできない。
「お前のせいだ! お前が国を捨てたからだ! このままでは父上も」
心底どうでもいいものを見るような、冷たい視線を向けた。せいせいと、責任転嫁は相変わらずだ。
「あの時あなた様は言いましたね?もうキミのような役立たずはいらないと」
顔を上げる瞳には絶望の色が滲んだ。
「その通り、私は役立たずです。役立たずは国に必要ありませんから、こうして安らかに辺境で満喫しています」
紅茶のカップを手に取り、香りを楽しむように微笑んだ。見せつける。
「王都がどうなろうと関係のないこと。ましてや、役立たずを追い出した国の危機に手を貸す義理など、どこにもありません」
「待て! 違うんだセレスティア! 私は、私はお前のことが」
「お黙りください」
周りの魔力が一瞬、強く輝いた。クリストフは威圧感に思わず口を噤む。
「私の耳に無能で傲慢な貴族の、醜い断末魔を聞かせないでください。大切なペットたちが不快に感じています」
背を向けて庭へ戻る。モフモフの犬の頭を優しく撫でながら最後に、今までの恨みを込めた冷徹な言葉を投げかけた。
「追放はあなたが下した決定です。決定の責任をお取りください」
クリストフは結界の外で自分のプライドも地位も、何もかもを失った状態で愛しい元婚約者。唯一の救いに無関心に切り捨てられる絶望を一人味わうしかなかった。
*
セレスティアを追放したあの日から、わずか三ヶ月。
王都アルカディアはその名の通り、理想郷だった面影を失いつつあった。セレスティアが国境と王都全域に施していた高ランクの広域魔力結界が、彼女の離脱と同時に停止したためだ。
最も深刻なのは魔物と隣国の侵略だった。
「ひぃ、やめてくれ!なぜだ、結界が機能しない!」
王都の城壁の上。クリストフは血の気を失った顔で遠吠えを上げた。視線の先、遥か彼方の空が赤黒い瘴気に染まる。
「殿下! 北の山脈から災害級の魔物が確認されました! あの規模は高ランク魔術師の殲滅魔法でなければ……!」
騎士団長が絶叫する声は既に泣き声に近かった。クリストフは絶望に打ち震える。セレスティアがいてくれた頃は、こんなことはなかった。
結界は空気のような存在で、恩恵の巨大さを誰も意識していなかったのだ。そして、最も残酷な報いは国力の低下。
セレスティアは国の経済を支える魔力水晶の安定供給ルートも隠れて管理していた。それも停止したことで王都の魔術具は次々と機能不全に陥り、魔術師たちは魔力不足で倒れ始めた。
「嘘だ! 嘘だ! 私の国が、こんな」
膝から崩れ落ちたクリストフの目に皮肉な光景が映る。城壁の外、遠くの森に強大な魔力の光が輝いたのだ。規格外の魔力を消費する殲滅魔法の光。
「セレスティア……!」
クリストフは本能的に光の主が誰であるかを悟った。光景を見ていたのは彼だけではなかった。街の者たちもだ。
数日後。クリストフは最後の希望を握りしめ、セレスティアの住む辺境の館へたどり着いた。今度は文字通り土下座する。
「セレスティア様……どうか、お慈悲を。貴女が国を去ってから、全てが……! 頼む、結界をもう一度……」
鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、声を振り絞った。セレスティアはエメラルドグリーンの美しい瞳を冷たく細め、目の前の土塊のような男を見下ろす。
追放時に着ていた服とそっくりの、上質な服を着ている。
「お断りします」
一言は氷の破片のように冷たかった。
「なぜだ! お前は国の公爵令嬢として、王家のために尽くす義務があるだろう! 誇りはどこへやった!」
クリストフは縋るように叫んだ。セレスティアは心底うんざりした顔で言葉を遮った。
「義務? 誇り? 私を悪女と断罪して役立たずとして捨てた瞬間に、消滅いたしました」
彼の顔の横の地面を、つま先で軽く叩いた。瞬間、土が凝固して小さな石のプレートになる。プレートには追放時に言われたセリフが刻まれていた。
『もうキミのような悪女はいらない』
「今の私には、この静かな生活を守る義務しかありません」
セレスティアはクルリと背を向けた。
「そして、醜い姿を私の視界から消す権利があります」
指をパチンと鳴らすと結界の魔力が一気に強まり、クリストフを弾き飛ばした。
「さようなら、クリストフ元王子。あなた様の国が二度と私の視界に入らないことを願っています」
崩壊していく国、救う力は今や彼の手の届かない場所で彼女自身の幸せのためだけに使われている。
クリストフは二度と開くことのない結界の向こうで、絶望と後悔に顔を歪ませながら、王都の空を赤黒く染める瘴気を見上げるしかなかった。
国が滅びても幸せな生活を維持することが最優先なのだ。




