02 無個性だから個性的な女を求めて婚約をめちゃくちゃにしておいて派手だからやっぱり有名になった君がいいと復縁を望むにはあなたは薄過ぎるのですがね?
婚約破棄/令嬢
ローザリアは社交界で無難な薔薇と呼ばれていた。際立った美しさも驚くほどの才覚もない。穏やかで婚約者である第三王子キーイスの横に、完璧に調和した背景として収まるように生きている。
思わぬ契約の破棄が王城の夜会で突然に宣告された。
「ローザリア。無色透明な個性は息苦しくさせる。情熱的な色彩を求めているんだ」
キーイスの隣に立つのは男爵令嬢クリスタ。奔放な芸術家として知られ、感情の赴くままに激しい絵画を描き、激情が王都の貴族たちを魅了しているとか。
「塗られるのを待っているだけの白いキャンバスのようだわ。自ら描き出すことを求めているの」
クリスタは勝利を確信した笑みを浮かべた。深い場所にあった秘密を鋭利な刃物で切り裂く。その場で泣き崩れなかった。感情が激しすぎて体内で固まってしまったように感じた。
(白いキャンバス?)
ローザリアは誰にも言っていないが、天才的な色彩感覚と卓越した画力を持っていたが、ヴァルモン家の教えは厳しい。
「王妃となる者に個性が強すぎる芸術は不要。目立たず完璧な背景であれ」
才能を十年間、地獄のように抑圧し続けてきたのだ。婚約破棄された瞬間、抑圧されていた情熱が憎しみというどす黒い感情となって噴き出す。憎しみではない。自分を抑えつけ続けた家族と従った自分自身への激しい怒り。
「結構です殿下。無色透明な個性を利用し、蔑んだ罪は必ず精算させていただきますよ」
会場の一角に飾られていた、クリスタが最近完成させたばかりの代表作に迷いなく近づいた。
「この絵画は色彩の暴力を装った、構図の破綻です。ここに致命的な欠陥がある」
ローザリアは絵の中央、クリスタが情熱の象徴として描いた赤い炎の部分に指先で一点の黒い煤をつけた。
「炎を完全に死んだものにします。貴女の絵は感情の濁りを色で誤魔化してるだけ。選んだ新しい……色彩クリスタも本質的には脆い砂の城」
ローザリアは実家からも「王族の面子を潰した」と追放され、古い別邸へと送られた。誰も訪れない荒涼とした海辺の館に。そこで初めて自分自身を解放する。
館の壁、床、家具の全てがキャンバスになった。十年分の抑圧された情熱は狂気的な色彩となって溢れ出す。
静謐で無難だったローザリアの絵は魂を揺さぶるような海の青、地獄のような夕焼けの赤、生命力に満ちた緑で満たされた。描くことは歓喜であると同時に、苦痛。
筆を走らせる瞬間は魂が自由になったようで快感だ。絵が完成し、圧倒的な作品を前に立つときに言いようのない孤独感に襲われた。
誰もこの情熱を理解できないだろう、という恐怖。
ある日、ローザリアの絵が美術界の権威である老伯爵の目に留まった。絵は誰にも到達し得ない高みにある芸術として、秘密裏に王都の富豪たちの間で高値で取引され始める。
ローザリアは匿名の芸術家ヴァルモン・ブラン、白いヴァルモンとして、美術界の頂点に立っていく。絵はクリスタの絵を瞬く間に過去のものにした。
一方、王都ではキーイス王子とクリスタは破綻を迎えていた。クリスタはローザリアの絵が匿名で市場を支配していることに激しい嫉妬を覚え、キーイスを罵倒し、責任を負わせた。
ある日、キーイス王子はローザリアのいる海辺の館を訪れた。ローザリアに助けを求めに来たのだ。
「君の無難さが必要だった。色彩の激情はあの女のせいで狂わせた。君の調和に戻りたいんだ」
キーイスは沈黙と無個性を再び愛だと錯覚していると、館の広間に通す。広間の壁一面にはローザリアが描き上げた狂気的な色彩の自画像が飾られていた。魂の激情がそのまま剥き出しになったような絵画。
「これを見ても、わたしの個性が無色透明だと言えますか?」
キーイスは絵の圧倒的な情熱と才能に、言葉を失った。自分が愛したのはローザリアの個性ではなく、個性がないという虚像だったことに気づく。
「……君は、こんな絵を描けるのになぜ、私に隠していたんだ?」
キーイスの問いにローザリアは悲しい目を向けた。
「貴方が求めたのは私ではなく、貴方の権威を飾るための背景だったからです。わたしが自身になってしまっては困るでしょう」
顔を一切見ず、窓の外の嵐の海だけを見つめた。
ローザリアはキーイスを許さなかった。後悔を前にしても歓喜の涙は流れない。手に入れたものは自由と世界的な名声だ。対価として自分をありのまま愛してくれるはずだった居場所を完全に失うのだ。
キーイスが去った後、ローザリアは自画像をじっと見つめた。絵の中の自分は喜びに満ちて、途方もなく孤独に見える。
筆を手に取り、自画像の中に誰も気づかないほど小さな涙の粒を描き加えた。
真実の情熱は誰かの愛よりも、自分の孤独な創造性を選んだ。それがローザリアの得た甘く苦いカタルシス。




