第1話:咆哮するバルク ―タキシードの爆散―
どんな話を書こうかと、伏線とか話の展開とかいろいろ難しいことを考えていたら、いつの間にか頭が筋肉に支配されてました。しかたないよね。
西暦1912年4月14日、深夜ッ!! 北大西洋の海面は、鏡のように不気味な静寂を保っていた。しかし、その水面下では、運命という名の巨大な歯車が狂い始めていたッ!英国が誇る史上最大の不沈艦『アトランティス号』は、神の加護を疑わぬ傲慢な足取りで暗黒の海を切り裂き、ニューヨークを目指し猛進するッ!
一等客室のメインダイニング「ポセイドンの間」は、今夜も黄金の輝きに満ち溢れていた。天井から吊るされた数千個のクリスタルがシャンデリアとして煌めき、選び抜かれた紳士淑女たちがバッハの旋律に身を委ね、富と権力という名の芳香に酔いしれていた。そこは、人間が作り出した「贅」の極地であり、文明の頂点であった。
だがッ!その優雅な空気は、一人の男が放つ「圧倒的、かつ絶望的なまでの質量」によって、完全に支配されていたッ!
魁 巌ッ!!
全日本ボディビル選手権10連覇。人類が到達しうる筋肥大の限界点を超え、神話の領域に足を踏み入れた男。彼の座る椅子は、特注の強化鋼鉄製であるにもかかわらず、そのあまりの自重に耐えかねて悲鳴を上げていた。魁は、銀の皿に盛られた最高級のフォアグラやキャビアには一瞥もくれない。彼が手にしているのは、自ら持ち込んだ巨大なタッパー。その中には、味付けを一切排し、蒸し上げただけの無骨な「鶏胸肉」がおよそ四百グラム、岩のように鎮座していたッ!
「魁様、せめてこちらの熟成牛フィレ肉と、シャトー・マルゴーはいかがですか?」
若き給仕が、震える手で皿を差し出す。だが、魁の黄金の眼光が彼を射抜いたッ!
「無用だッ! アルコールはコルチゾールを急上昇させ、俺の魂である筋繊維を分解へと導く劇薬に他ならぬッ! 俺の細胞が求めているのは、純粋なアミノ酸と、次なる戦いへの『過負荷』のみだッ!!」
魁が特製プロテインシェイカーを煽り、濃縮された液体を喉に流し込んだその刹那だったッ!!
ドォォォォォンッ!!
船体の深淵、鋼鉄の胃袋から、内臓を直接握り潰すような、鈍く巨大な激震が突き上げるッ! 氷山との衝突。それは、華やかな文明の終焉を告げる、死の鐘の音であったッ!
「悲鳴を上げるなッ!! 落ち着けェェェッ!!」
誰かの叫び声も、パニックの激流にかき消される。傾き始める甲板。砕け散る数千のクリスタル。阿鼻叫喚の地獄絵図が、一瞬にしてダイニングを飲み込んだ。だがッ! 逃げ惑うおよそ三百名の群衆の中で、唯一、魁 巌だけが岩のように立ち上がったッ!
彼の脳内にあるのは、死への恐怖ではない。あるのは、「この状況下で、いかに効率よく筋肉を動かすか」という一点のみッ!
「来たか……。私の『本番』がッ! これ以上の有酸素運動は望むところではないが……細胞を喜ばせるための負荷としては、悪くないッ!!」
魁が深く、肺胞の隅々にまで酸素を送り込むように吸気したその瞬間、彼の肉体が咆哮を上げたのだッ!!
「全・身・充・血ッ!!」
魁の意思により、体内の全血液が各筋肉部位へと猛烈な勢いで送り込まれるッ! 血管は極太の電線のように皮膚を突き破らんばかりにのたうち回り、大胸筋は装甲板のように隆起、広背筋は猛禽の翼のごとく左右へ限界を超えて広がったッ!
バチンッ! バチチィィッ!
その急激な筋膨張のスピードに、世界最高の職人が数ヶ月かけて仕立てた特注タキシードが、砲撃のごとき爆音を立てて爆散したッ!! 舞い散る最高級シルクの破片は、敗北した物理法則のなれの果てのようだッ!
剥き出しになった肉体は、月光を反射して黒光りする「肉の彫像」そのものッ! 魁の周囲の空気は、筋肉が発する莫大な熱量によって陽炎のように揺らめき、近づく者を拒む熱波と化しているッ!
「……良いパンプだ。今日この日から、北大西洋は俺のプライベートジムだッ!!」
魁 巌。彼は「歩く核反応炉」! 絶望を燃料に変え、未曾有の危機を最強のトレーニングへと昇華させる、筋肉の救世主であるッ!!
「さて、まずはどこの部位から追い込んでやろうかッ!!」
(第2話へ続くッ!!)




