表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/32

第5話 屋根がある、それだけでいい


俺と伊賀は獣の巣に静かに接近し、

周囲の状況を慎重に調べた。


巣穴は川の近くにあり、

水源も確保しやすい。


地形も比較的守りやすそうだ。


伊賀は〈隠密〉スキルを使って、

音もなく洞窟の中に潜入していく。


「……中は思ってたより広いな。

 教室の半分くらいはあるかも」


「これなら、

 仮の拠点としては十分使えるだろう」


風雨を防げる安全な空間――

今の俺たちにとって、

それは最も貴重な資源だ。



※ ※ ※



偵察を終えた俺たちは、

一度拠点に戻って全員を集め、

簡単な作戦会議を開く。


「本当に……熊なんて倒せるのかよ……?」


誰かが不安げな声を漏らす。


「……もちろんリスクはある。

 でも人数はいるし、

 準備さえ整えれば勝機はあるはずだ」


「何もせずここで干上がるくらいなら、

 こっちから仕掛けるべきだと思う。」


重い空気が全体にのしかかる。


それでも、

最終的には皆、黙ってうなずいた。


松本は壁にもたれ、

黙って煙草をふかしている。


どこか陰のある表情は……

たぶん、補給の見込みがないことを

気にしているんだろうな。


……まあ、

異世界にコンビニとかあるわけないしな。



「……気をつけてね」


「無理しないで。

 奪えなかったら、引く判断も必要だよ」


「本当に……もし何かあったら、

 私たち、どうすれば……」


女子たちの声には、不安が滲み出ていた。


翠がそっと微笑んで、

皆を励まそうとする。


「大丈夫。私の治癒魔法……

 来たばかりの頃よりは、

 ずっと安定してるから」


でもその笑顔は、

ほんの数秒しかもたなかった。


すぐに、

不安の影がその表情を覆い始める。


「……でも、もしひどいケガだったら……

 わたし、まだ……足りないかも……」


その言葉を残して、重たい空気のまま、

俺たちは熊の巣へと向かった。



巣穴の手前でいったん立ち止まり、

声を潜めて状況を確認し合う。


熊は入口の近くにいない……

狩りに出てるのか、

それともまだ寝てるのか?


俺は伊賀に、もう一度偵察を頼んだ。


「……中で寝てる。

 かなり熟睡してるみたいだ」


「熊の視界は基本前方だ。

 嗅覚は鋭いが……今日の風向きは……

 こっちに味方してる。」


俺は深く息を吸い、

できるだけ冷静に考えを伝える。


「……左右に分かれて待機。

 正面から音を立てて、

 あいつの注意を引く。

 自分から出てきてもらう形だ。」


「佐野、小林たちは……

 石投げてあいつの動き攪乱できるか?

 目覚めた時、

 音のした方をまず見るはずだ。」


「石田、片山は洞窟の両脇に隠れて。

 あいつが出てきたら、

 側面から一撃入れて、すぐ下がる。

 無理は禁物だ。」


「松本……とどめの一撃は、

 やっぱり君の剣に頼るしかない。

 混乱してる時でいい、任せた。」


「伊賀……は自由行動。

 機を見て、急所を狙ってくれ。」


全員の顔を見回して、

理解していることを確認した後、

声を抑えて静かに告げる。


出発前、俺は魔石と魔力で

即席の閃光弾を数個作っておいた。


「──じゃあ、 始めようか」



※ ※ ※



伊賀は余計な声を発することなく、

洞口近くの岩壁を石で強く叩き、

同時に大きな石を洞窟へ投げ込んだ。


熊が反応する前に、

彼はもう影のように視界から姿を

消していた。



……来るぞ。



次の瞬間、

洞窟の奥から低く唸る声と荒い呼吸音が

聞こえてきた。


「撃て──いや、投げろ!」


佐野と小林が、洞窟の中に

向かって石を勢いよく投げ込み始める。


そして、緊張感ゼロのセリフを口にした。


「この球速、プロ野球いけるんじゃね?」



グォォォォォォォ!!!!



熊が怒りの咆哮をあげる。


前脚で顔を覆いながら、

巨大な体を引きずるように、

一歩ずつ洞窟の外へ出てきた。


「……今だ、準備ッ!」


石田と片山が両脇から飛び出し、

削った木の槍で熊の腹部を

突く──そのまますぐに撤退。

深追いはしない。


熊は怒り狂い、

口を大きく開いて石田に飛びかかる。

同時に、

爪を振るって片山の肩を切り裂いた。


片山は呻き声を上げて地面に転がる。


その時だった。

熊の怒号が響く中、

松本が茂みから飛び出した。


彼の手にした削って作った木剣が、

赤い炎を纏って鈍く輝く。


「くたばれ、クソ野郎!」


剣先が熊の脇腹に突き刺さる。


炎が傷口を焼き、

焦げた肉の臭いと断末魔の叫びが

空気を張り詰めさせた。


……やっぱ、こいつ魔法剣士枠か。

火力は新人離れしてるけど……

戦い方は相変わらず雑すぎる。


「撤退!距離を取れ!」


「佐野、小林!注意を引き続けてくれ!」


「「了解っ!」」


魔石に魔力を込めた即席の閃光弾。


俺はそれを熊に向かって投げつけた。

強烈な白い光が爆ぜ、

熊の視界を一瞬奪った。


熊は傷だらけだ。

だが苦しむほどに、凶暴さが増していく。


――あと少しで勝てる。

けど、こういう時が一番、死にやすい。


投石であいつの動きを抑えながら、

隙を見て前衛が突きを入れる。


時間が経つにつれ、

熊の動きは明らかに鈍っていった。


早く終わらせなければ。

片山の傷も、早く治療しないとまずい。


熊が低く唸り、

四つ足で地面を踏みしめる。

突進の構えだ。


「来るぞ!避けろッ!!」


熊が地を蹴ろうとした瞬間、

その動きが突然ピタリと止まった。



「……伊賀か?」


彼は、

いつの間にか熊の真下に潜り込んでいた。


そのまま、

無防備な顎の隙間に短刀を突き上げ、

刃は脳を貫いて深く突き刺さる――


「伊賀!カッコよすぎだろ!」


「トドメまで持ってくなんて、

 さすがだな〜」


熊の巨体がドサッと音を立てて倒れ、

その瞬間、周囲は静まり返った。


……勝ったんだ。


俺は静かに息を吐き、

手を上げて伊賀とハイタッチを交わす。


この一撃は本当に見事だった。


俺たちも、熊も、

誰一人として彼の接近に

気づいていなかった。


まさに忍者。完璧な暗殺だった。


「……よくやった。完璧な一撃だった」


伊賀は少し驚いたように目を見開き、

褒め言葉に慣れていないのか、

戸惑いの表情を浮かべたが──


それでも、

照れくさそうな微笑みとともに、

軽く手を打ち返してくれた。


彼は何も言わずにコクリと頷くと、

くるりと背を向けて

ひとり、拠点へ向かって走り出した。


この勝利の報告を、皆に伝えるために。


……俺を信頼してるからこそ、

こんな危険な任務を

引き受けてくれたんだろう。


そういう男には、俺も全力で応えたい。


俺はその場に立ち尽くし、

熊の死体を見下ろした。


背中が、急に重くなる。

勝ったはずなのに、

足の震えはまだ止まらなかった。


背中を流れる汗が冷たく感じる中、

心に浮かんだのは──ただ一つの思い。


今回は勝てた。

でも……こんな戦い、あと何回あるんだ?



※ ※ ※



熊の巣を簡単に片づけたあと、

俺たちは全員を迎えに一度拠点へ戻った。


どんなに簡素な場所でも、

外の風雨と獣の脅威から守られるだけで、

ここはもう十分「安全地帯」と言えた。


巣の中では、

残っていた血痕や腐った餌の残りを

できる限り掃除した。


まだ匂いは残っていたが、それでも、

しばらく身を置ける場所には

なったと思う。


臨時のキャンプ地に戻り、

女子たちを連れて巣へ向かう。


洞窟の入口で、皆の足が一瞬止まった。


俺は息を吸い込み、落ち着いた声で言う。


「……中はもう大丈夫だ。

 風も入ってこないし、

 魔物も近寄らない。

 匂いは多少残ってるけど……

 そこは我慢してくれ。」


女子たちは互いに顔を見合わせ、

おそるおそる洞窟へ足を踏み入れた。


中に熊の姿はなく、あるのは湿った壁と、

少しばかりの干し草が敷かれた床。


そして、

かすかに残る、生臭さと獣の匂い。


「……外より、ずっとマシだね」


「ちょっと匂うけど……

 風もないし、獣も来ない……」


「やっと、草の上で寝なくて済む……

 まるで難民みたいだったし……」


そう言いながら、

誰かが小さく息をつき、目元をぬぐう。


また誰かは、

膝を抱えて床に座り、静かに笑った。

張り詰めていた空気が、

ふっと緩んだ気がした。


安堵と疲労、

そしてほんの少しの脆さが滲んでいた。



少し休憩した後、

みんな自発的に洞窟の掃除を始めた。


俺は佐野と小林と協力して、

中に残っていた肉の破片や骨、

それに邪魔な石を一つずつ運び出した。


肉や骨は近くに穴を掘って埋めた。


こうすれば、

野生動物が匂いに釣られて来るのを

多少は防げる。


それから葉のついた枝を何本か折って、

簡易的なほうき代わりにして、

洞窟をざっと掃き清めた。


女子たちは近くで草や葉を集めて、

床に敷いて……少しでも「横になれる場所」

にしようとしていた。


「まだまだ不便だけど、

 昨日よりずっとマシ……」


翠が小さな声で言いながら、

どこかぎこちない笑みを浮かべた。


でも、その笑顔だけで、

空気が少しだけ暖かくなった気がした。


松本たち三人は

交代で洞窟の外を警戒していた。


「今夜から、

 ようやく洞窟の中で眠れるな」


「安全性もだいぶマシになる。

 見張りの人数も減らせそうだ」


「……でも、

 トイレと風呂は作り直さないとな」


まだ明るいうちに、

簡易トイレだけは急いで設置しておいた。

風呂の方は……

今日は無理だ、明日まで持ち越しだな。


熊がでかすぎて、

解体作業はかなりの重労働だった。


血抜きや肉の処理にも、

時間がかかりそうだ。


拠点に戻ると、

翠がすぐに《治癒》で

片山の肩の傷を塞いだ。


痛みは残っていたが、

命の危険はなくなった。


だから、

熊肉を食べられるのは……まだ先になる。


それでも、

雨風をしのげる安全な拠点が

手に入っただけで、

空気は明らかに和らいだ。


「……陽太たちの方は、

 うまくいってるかな。」


俺は洞窟の入口に腰を下ろし、

焚き火の灯を見つめながら、

今日の成果を整理しながら、

次にすべきことを静かに考えていた。


今日は──一つの戦いに勝った。

でも、明日は?


食料は足りるのか?

新たな魔物が現れる可能性は?

みんなの精神状態は、あとどれだけ保つ?


もし、陽太たちが……

無事に戻ってこなかったら。


俺たちは、何日耐えられる?


拠点づくりに、まだ何が足りない?

安全性は、どこまで引き上げられる?


俺は静かに、自分に問いかけ続けた。

誰も答えてはくれない。

ただ、考えるしかなかった。



――油断はできない。





《読後感:伊賀透》


……俺なんかが、

選ばれていいのか、

ずっと、そう思ってた。


でも……夜見は、任せてくれたんだよな。


熊のときも、自由に動かせてくれて……


……あいつが、

俺を信じてくれるなら――


俺も……少しだけ、自分を信じてみたい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ