第31話 取り戻した日々
ギルドに入った瞬間、
肌がぴんと張りつめる。
空気が……重い。
私は思わず歩調を落とした。
でもチーちゃんは一歩前に出て、
近くの先輩冒険者に声をかける。
「すみません、
ここで何があったんですか?」
相手は眉をひそめ、声を落とした。
「F級の三人パーティが……
オークに襲われて、
ほとんど全滅しかけた」
背中を冷たいものが走る。
チーちゃんは口を開いたまま、
言葉が出ない。
私も同じ。
頭の中で――浮かぶのは、
ただひとつの名前。
でも、それを口にするのが怖かった。
拓真君が先に動く。
私たちはすぐに続いて受付へ急ぐ。
エマさんは私たちを見るなり、
厳しい顔をした。
言葉はなかった。
……だけど、その沈黙だけで十分だった。
四人で治療室へ、足を速める。
扉を押し開けた瞬間、
薬草の匂いがつんと来た。
最初に目に入ったのは――
ベッドに横たわるスイちゃん。
顔は紙みたいに白く、
唇の色まで消えている。
そばには夜見君。
スイちゃんの手を強く握ったまま、
抜け殻のように動かない。
視線を横にやると、スピカ。
壁にもたれて、両腕を抱きしめている。
今にも崩れそうな顔で。
大輝君が口を開く。
「ユニクス……大丈夫か……」
夜見君は反応しない。
スピカは私たちを一瞥して、
小さく首を振る。
ショールを体に引き寄せ、
そのまま背を向けて部屋を出た。
私たちも続いて部屋を出る。
去り際に、もう一度ふたりを見た。
――その光景は、
胸に焼きついたまま動かなかった。
廊下に出て、私たちはスピカを囲む。
でも誰も詰め寄らない。
ただ、彼女が話し出すのを待った。
「狩りの途中で……
群れからはぐれたオークが
二頭出たの。
すぐ追いつかれて、
逃げ切れないってわかった」
そこでスピカはいったん黙って、
肩を小さく震わせた。
「どれだけ攻撃しても……
傷ひとつつかなくて。
スイナが大きく吹き飛ばされて、
ユニクスが庇って飛び込んだ。
あの瞬間……もう駄目だって思った」
声がどんどん細くなる。
ほとんど聞き取れない。
彼女は視線を落として、
眉間に皺を寄せた。
ぽろっと涙がこぼれて、頬を伝う。
私は彼女をそっと抱き寄せて、
頭に手を置いた。
鼻をすする音がして、
少し間をおいてスピカが続ける。
「ギルドマスターが駆けつけてくれた……
来なかったら、
私たちはもうここにいない」
「大丈夫。
……君が全力だったの、わかってる」
私はそう言って、
抱き寄せた腕に、そっと力をこめた。
※ ※ ※
私たちは食堂へ向かい、
席について遅い夕食をとった。
トーマスおじさんの大鍋は、
まだ湯気を上げている。
馴染みの香り。
……でも、誰も食欲はなくて、
ゆっくり口へ運ぶだけ。
大輝君が最後の一口を飲み干し、
椀を置いて、息を吐く。
「……あとでギルドマスターに
礼を言いに行こう。
いなかったら、仲間を永遠に失ってた」
皆が黙ってうなずく。
すぐに拓真君が口を開いた。
「そういえば……
駆けつけるの、早すぎない?」
私も同じことを考えていた。
先輩から情報を聞いて慌てて戻って、
速くはなかったけど、
少なくとも一時間半は走った。
そのあとレオ指導員と訓練して、
宿で体を洗って、やっと今、ここで食事。
流れで考えれば、
ギルドマスターは彼らを見つけ、
オークを討ち、戻った……ことになる。
……さすがに、早すぎる。
考え込んだところで、
背後から、淡々とした声がした。
「ギルドマスターは、
報せを受けてすぐ出発した。」
私とチーちゃんは同時にびくっとして、
スープをこぼしそうになる。
振り向くと、伊賀君が隣の席で、
何事もない顔で夕食を食べていた。
「君、毎回そうやって静かに現れるから、
びっくりするんだけど!」
「……みんなの雰囲気が重くて、
話しかけづらかっただけだ。」
拓真君は落ち着いたまま、
みんなが一番気にしていることを聞く。
「ギルドマスターが自ら出動?
しかも第一報で……なぜだ?」
胸がざわつく。
「まさか……最初から見張られてた?」
――どうして?
伊賀君はフォークで肉を刺したまま、
空中で止め、少し考えるようにして言う。
「わからない。
でも、
彼女が悪い人じゃないのは確かだ。
ギルドマスターは事務官を付けて、
俺に学ばせて、鍛えさせてる。」
淡々とした口ぶり。
でも、チーちゃんの目が
少しずつ見開いていくのが見えた。
みんなも固まる。
私が質問しようとしたとき、
伊賀君が自分から続けた。
「俺は……暗殺者だ。
彼女は――影者。」
喉が詰まって、唾を飲む。
暗殺者の頂点。
ただ一つの上位職――影者。
本でしか知らなかった存在が、目の前に。
大輝君もチーちゃんも、
口を開いたまま言葉が出ない。
拓真君だけが、小さく聞いた。
「……その彼女が、
ギルドマスターの……事務官なのか?」
思ったより弱い声で、
私も口にしてしまう。
「じゃあ……ギルドマスターは?」
伊賀君はフォークを静かに置いて、
こちらに体を向ける。
どうでもいいことみたいに、さらりと。
「……剣聖だ。」
※ ※ ※
夜、宿に戻ると部屋は静かだった。
私はチーちゃんと
ベッドの端に並んで座る。
スイちゃんのことがまだ心配。
もちろん、ユニクスのことも。
扉が小さく鳴って、
スピカが入ってきた。
軽くあいさつして、状況を報告する。
「スイナはまだ目を覚まさない。
ユニクスもほとんど口をきかない。
明日の朝、また様子を見に行くつもり」
彼女はショールを脱いで椅子に掛けると、
「おやすみ」と言って横になった。
その背中を見ながら、胸にひっかかった。
――さっきの視線、少し変だったかも。
何か言いかけて……飲み込んだ感じ。
でも聞かない。
疑問は、いったん心の奥にしまった。
※ ※ ※
翌朝、三人で食堂へ降りる。
チーちゃんはいつも通り、
パンをそのまま食べるか、
スープに浸すかで迷っていた。
スピカは静かに朝食を取りながら、
包み布を広げて、
パンや果物を入れていく。
「ユニクス、
まだ食べてないだろうから……
持って行くね。」
その姿に、胸が少し温かくなる。
でも、昨夜の違和感が
頭のどこかに小さな棘みたいに
残っていた。
「今、私たちにできることはある?」
「今はない……回復を待つしかない。」
スピカはゆっくり首を振る。
私はうなずいて、焦りをしまう。
三人で治療室へ向かい、
扉を静かに開ける。
二つの穏やかな寝息が聞こえた。
スイちゃんはまだ眠っていて、
ユニクスはベッドに突っ伏したまま。
やっぱり無理してる。
スピカに目を向けると、
彼女は唇に指を当てて、ささやいた。
「ここは私が見ているから。」
チーちゃんは戸惑いながら
扉のそばに立つ。
私は彼女の手をそっと引いて、
静かに外へ出た。
※ ※ ※
ギルドの大広間に戻って、
腰を下ろして間もなく、
大輝君と拓真君がやって来た。
大輝君は果物のかごを抱えていて、
どこか気恥ずかしそう。
チーちゃんがくすっと笑う。
「意外だね。
あんた、けっこう気が利くじゃん?」
「な、なぁっ!? 当たり前だろ!」
大輝君は真っ赤で、しどろもどろ。
隣で拓真君が小さく添える。
「提案したのは俺だけどな。」
思わず笑ってしまう。
空気が少しやわらいだ。
次にどうするか、という話になる。
隊長の拓真君が決めた。
「この状況じゃ任務は無理だ。
今日は休もう。」
私は賛成する。
「心も体も整えてから出るのが、
一番安全だから。」
大輝君はかごを抱えたまま、
ちらっと私を見て、
遠慮がちに聞いてくる。
「じゃあ……
せめてこれ、持って行ってもいいか?」
「今は少し時間をあげよう。
明日で十分。」
大輝君は肩を落として、
がっかりとつぶやいた。
「……そうだな。」
※ ※ ※
宿に戻って、
それぞれ装備の手入れをしていた。
そこへスピカが帰ってきて、
簡単に報告してくれる。
「スイナが目を覚ましたわ。
体に大きな問題はないけど、
しばらく静養が必要」
私たちは同時にほっと息をつく。
でも、彼女の目がかすんで、
うつむいたまま続けた。
「ユニクスは――
パーティを解散すると決めた。
冒険者をやめるって。
二人は激しく言い合った……
スイナは続けられるって言ったけど、
ユニクスは結局、
首を縦に振らなかった。」
部屋の中には、息遣いだけが残った。
あの二人に「けんか」という言葉が
当てはまるなんて、初めてで……
胸の奥が冷たくなる。
私たちはすぐに治療室へ向かった。
※ ※ ※
夜見君の姿はなく、
ベッドの脇にはスイちゃんだけが
座り込んで、ぼんやりしていた。
チーちゃんがそっと近づいて、
慎重に声をかける。
「スイ……体は大丈夫?
本当に……冒険者、やめちゃうの?」
スイちゃんはゆっくり顔を上げた。
無理に笑ったあと……小さくうなずいた。
「うん。」
私たちは、それ以上は聞けなかった。
「ゆっくり休んで。
難しいことは、あとで考えよう」
それだけを伝えた。
※ ※ ※
大広間に戻ると、皆でスピカを囲む。
「……スイナがあんな目に遭ったんだ。
ユニクスが続けないのも無理はない。
彼はいつだって、
スイナを最優先にしていた」
スピカは私を一瞥して、
小さくうなずく。
二人の問題は、二人にしか解けない。
私たちには……手が出せない。
ぼんやり立っていたとき、
階段の方から慌ただしい足音。
顔を上げた瞬間、夜見君が目に入る。
鋭い表情で、
足早にどこかへ向かっていく。
「……あ、ユニクス。」
私の声と視線につられて、
皆も一斉に見る。
大輝君はすぐ、
様子がいつもと違うのを見抜いた。
「ユニクス、そんな険しい顔して……
俺たちにできること、ないか?」
「ユニク、仲間だろ!
手、貸させてくれ!」
チーちゃんも慌てて声を上げる。
でもユニクスは答えず、淡々と言う。
「……スイナを頼む。
俺は――やることを見つけた。
スピカ……ありがとう」
そう言ってスピカに視線を送り、
次にチーちゃんへ向き直る。
「チサル、朝顔を任せた。」
その言葉を残して、
もう背を向けて出口へ。
あの背中は、今までで一番強く見えた。
問いただす間もなく、
スピカが小さく笑った。
「……立ち直ったみたいね。
戻りましょう。
私には、もっと大事な話がある」
※ ※ ※
私たちは宿に戻って、
男子の部屋に集まった。
机を囲んで腰を下ろす。
でも誰もすぐには話さない。
スピカが顔を上げ、
私たちを一人ずつ見て――
最後に私のところで止まる。
「ユニクスから全部、聞いた。
あなたたちのこと……
それに二人の、本当の名前も」
皆が一斉に目を見開く。
大輝君が身を乗り出し、声を荒げた。
「は? どういうことだよ、それ!」
「スイナが吹き飛ばされた瞬間、
ユニクスは本名を叫んだ。
私はそれを聞いた。
だから……
ユニクスが全部話してくれた」
昨夜の“違和感”と、
彼女が抱えていた重さが、
一気に結びつく。
――言うべきかどうか、迷っていたんだ。
スピカは深く息を吸い、
何かを胸に押し込むみたいにして、
大きく目を開き、まっすぐ私たちを見る。
「あなたたちのこと、
私は“絶対に”誰にも言わない。
命にかけて、誓う」
思わず、彼女の手を取って両手で包む。
「そんな覚悟はいらないよ。
私たちは君を信じてる。
だって、もう仲間だから」
「当たり前だよ!
ユニクの仲間になった日から、
もう友達なんだから!」
大輝君と拓真君も、静かにうなずく。
スピカの目に涙がにじんで、
小さな花がひらくみたいに笑った。
空気が重くなりすぎないように、
私はつい話題を変えて、
半分眠たそうな目でチーちゃんをつつく。
「チサ、最初にスピカを見たときさ、
“可愛いエルフ”って……
耳、触りたいって騒いでなかった?」
「わあああ!」
チーちゃんが飛びついてきて、
慌てて私の口をふさぐ。
その光景に、スピカがこらえきれず、
小さな笑い声をこぼした。
仲間の空気が戻ってきて、
みんなの表情も、やわらかくなる。
そのまま、思う存分、話を続けた。
※ ※ ※
この二日間、
私たちは簡単な依頼だけを受けていた。
ギルド倉庫の整理、
装備の手入れの手伝い。
それから街の清掃や、引っ越しの手伝い。
終わったあと、
いつものようにスイちゃんを見舞う。
治療室を出ると、大輝君が言った。
「ユニクス、
もう二日も宿に戻ってねぇな。
どこ行ってんだ?」
「スピカが言ってた。
……グレン工房にいるって」
私が答えると、
チーちゃんがすぐ前に出て提案する。
「じゃあ見に行こうよ!
元気づけてあげたいし!」
みんなで目を合わせて、うなずき合った。
――夜見君に、無理はしてほしくない。
その気持ちは、みんな同じだった。
※ ※ ※
グレン工房の扉を押し開けると、
鉄と火の匂いを含んだ熱気が
一気に押し寄せた。
最初に目に入ったのは夜見君。
背中を向けて、
汗まみれで作業に没頭している。
その隣ではスピカが椅子に腰かけ、
静かに寄り添っていた。
「……おい、本当にここにいたか。
おつかれ、ユニクス。」
大輝君が先に声をかける。
「手伝ってやろうか? なぁ、
ここ数日まともに寝てねぇだろ?」
「……ありがとな。
でも、これは俺にしかできねぇ」
彼は道具と部品を見つめたまま答える。
内容はわからないけど、
必死なのは伝わる。
「こらー、そのままじゃ倒れるぞ!
頑張ってるのはわかるけど……
何か、俺らにできることはないのか?」
「ユニクス。
急ぎたい気持ちは理解する。
だが身体を壊したら、本末転倒だ。
――冷静に進めるべきだ。」
チーちゃんは腰に手を当てて
やさしく気遣い、
拓真君も、彼なりの言葉で励ます。
「応援はしてる。
ただ……
スイナを余計に心配させるなよ。」
私は知っている。
彼が努力していることも。
でも、
このままだとスイちゃんが心配する。
無理だけは、してほしくない。
そのとき、スピカが静かに口を開いた。
「……大丈夫。彼ならできる。
心配いらない。……私がいるから」
そうだ。
今、彼に寄り添えるのはスピカだ。
任せておけば大丈夫。
私たちは夜見君をスピカに託して、
そっと工房をあとにした。
※ ※ ※
深夜、扉がそっと開く音。
私とチーちゃんは横になったところで、
顔を上げるとスピカが戻ってきた。
思わず口から出たのは――「どうしたの?」
彼女はあたたかな笑みを浮かべて、
瞳に小さな光をにじませながら答える。
「終わったわ。
……明日には彼、スイナに会いに戻る」
私は長く息を吐いて、
気づけば彼女を抱きしめていた。
「……おつかれさま」
「ううん。みんな、大事な仲間だから」
スピカも抱き返してくれる。
声は小さいのに、ちゃんと強い。
横でチーちゃんが頬をふくらませる。
「ちょっとー、私も抱っこしてよ!」
私とスピカは目を合わせて、つい笑う。
二人同時に手を伸ばして、
彼女を引き寄せた。
三人で抱き合って、
私は額を二人の肩にあずける。
胸の奥が、少しずつ静まっていく。
――明日には、
きっと、あの二人の顔を見られる。




