第2話 思ってたんと違うんだが!
「……ここは……?」
ゆっくりと目を開けると、
そこには、見渡す限りの森。
鼻先をくすぐる湿った土の匂い、
耳に絡みつく風のざわめき、
遠くで鳴く小鳥の声――
……どこだ、ここは。
ここは……教室じゃない。
さっきの光は? 仲間は……?
「翠……?」
次の瞬間、全身に緊張が走った。
胸の奥を、
冷たい手で掴まれたような不安。
手足が――勝手に動いた。
あたりを見回し、手を伸ばす。
そして――
……温もりが、あった。
胸元に、
小さな体が抱きつくように
寄り添っている。
「あ……」
震えるまつ毛の奥から、
かすかな声が漏れた。
「悠兄……」
かすれた声が、聞こえた。
翠が、俺の腕の中で目を覚ました。
「……よかった。無事で。
本当に……心臓、止まるかと思った……」
力が、抜けた。
とりあえず――安心した。
けれど、周囲の状況は明らかにおかしい。
さっきの光球、この森……。
「おい、ここどこだよ……?」
「なんで森の中に……?どうして……?」
「……まさか、異世界召喚……?」
「ふざけんなよ、
ラノベの読みすぎかっての!」
「スマホ圏外とか、終わってんだろ……
……マジありえねー!」
「いやいや、ただの遭難かも……?」
「でもさ、遭難にしても……
どうやってここに……?」
「……俺、部活の試合あるのに……
なんでこんなことに……」
「おかしいよ……これ……
帰りたい……帰りたいよぉ……!」
クラス全体が、パニックに陥る。
「月! 翠ちゃん! 無事でよかった!」
光が泣きそうな声で駆け寄り、
二人を抱きしめた。
晶は静かに後ろからついてきて、
陽太は周囲を警戒していた。
「悠、どうする?」
「状況が異常すぎる……まずは……
状況把握して行動するしかない。」
電波なし、ナビなし、援助なし。
……異世界なんて、そんな馬鹿な。
そう思い込まなきゃ、頭がもたない。
まずは、遭難と考えよう。
「水源と、開けた場所を探そう。
……クラスをまとめるのは――
頼む、陽太。」
陽太はすぐに頷いた。
深く息を吸い、吐く。
そして、クラス全体に向き直る。
「みんな、落ち着いて。
何が起きたかわからないけど……
とにかく、生きてる。」
「で、どうすればいいんだよ!?」
「戻れなかったら……死ぬのか?」
「放課後、
弟迎えに行かなきゃなんだけど……」
「インスタも繋がらないとか、
ふざけんな!」
「お前何様だよ?
クラス委員かよ、ははっ!」
佐藤。 クラスの陽キャ組。
中村、鈴木、高橋、山本。
……いつもの五人だ。
陽太に文句を言い始める。
こういう奴らは――口だけで、動かない。
……俺の中でブラックリスト入り、確定。
こういう時ほど足を引っ張るタイプだ。
ちなみに、陽太はクラス委員じゃない。
本当のクラス委員は、
購買に行っていて巻き込まれなかった。
陽太は、眉をひそめながら皆を見渡した。
「すぐに助けは来ない。まず、人数確認。
それから、安全な場所に避難。
……協力したくないなら――
勝手にしろ。」
中村たちは、後ろで舌打ちして、
ブツブツと文句を垂れている。
※ ※ ※
……そうだ。誰も来ない。
ここには、
教師も、警察も、SNSも届かない。
助けを呼ぶ手段が、何ひとつない。
……そう思うと、息が詰まりそうだった。
――ここ、本当に異世界なのか?
陽太……人をまとめるのが得意なやつだ
彼の指示で、
クラスはなんとか落ち着きを取り戻した。
森には虫の声、鳥のさえずり
……森は、生きていた。
命の気配があるってことは、
水もあるし――捕食者もいるってことだ。
陽太に、小声で耳打ちする。
「静かに移動しろ。
熊が出るかもしれない。」
陽太は、
表情を引き締めて頷き、先導に立った。
みんなでスマホを確認するが、
圏外のまま。
時間だけが過ぎていく。
二時間ほど、ただ歩いた、
そろそろ、疲れが漏れ始める。
「まだ歩くの? 足がもう限界だよ……」
「少し休んでいい?」
……まあ、当然だ。
想定内の、テンションダウン。
『30分休憩、勝手に動くな。
ペア行動を守れ。』
その一方で――
「俺、まだ全然平気だわ~
暗くなるまで余裕で歩けそう!」
「ほんとそれ!
なんか体が軽い気がする!」
……差が、出始めている。
まさか……
この世界、ステータスとかスキルでも――
あるのか?
「(ステータス)……」
「(ステータスウィンドウ)……」
「..................……」
神様…………
新人チュートリアルくらい付けろよ。
「翠、どうだ?」
「私は大丈夫!」
「じゃあ、光と晶と一緒に待ってて。
俺、周囲を見てくる。」
「私も行く!」
「……わかった。」
騒がしい皆から離れ、
森の奥に入ると不思議と落ち着いた。
やっぱりこういう空気のほうが
性に合ってる。
小さい頃から、
騒ぎより静かな場所を選んできた。
石を拾い、木に印を付け、静かに進む。
突然、草むらがざわつく。
俺たちは身を伏せて様子を見る。
――ウサギだ。
「ウサギ……?」
「未確認生物……安全距離……
接近は危険……観察継続。」
心臓が、嫌なタイミングで跳ねた。
いや、あれウサギじゃねーだろ!
額にドリルみたいな角があるじゃん!
……異世界感、MAXだな。
確定だろ、ここ異世界。
ドリルウサギが去った後、
その方向へ少し進むと――
水の音が聞こえた。
「水を発見。」
俺はすぐに引き返し、
陽太の元へ向かった。
「川を発見した。向こうに岩壁もある。
……拠点にできそうだ。」
陽太は、すぐに頷いた。
※ ※ ※
「水があるぞ。ついてこい。」
「マジで!? よっしゃー!」
男子の一人が走って川に飛び込み、
頭から水を浴びる。
「川の水深は浅い。
対岸の岩壁も安全そうだ。
みんな、向こうへ渡るぞ!」
陽太は泳ぎが得意な男子たちに
先に渡らせ、安全確認をさせる。
深さは――膝から、太もも程度。
……問題ない。
全員が無事に渡り終えた。
岩壁の陰で、一息つく。
……とりあえず、ここは使える。
「悠、よくやったな。いい場所だ。」
「……ただ、
つだけ伝えておきたいことがある。」
少し離れた場所に移動し、
俺は――さっき
見た"ドリルウサギ"のことを話した。
「……ドリルウサギ?
見間違いじゃないのか?」
「いや、間違いない。」
「……ってことは、やっぱり……
ここ、本当に異世界か…………」
陽太はしばらく沈黙した後、
決意したように言った。
「みんなにも伝えよう。
隠しても仕方ない。」
陽太が
異世界の可能性をみんなに話すと、
再び騒然となった。
「嘘でしょ……帰れないの?」
「お父さん、お母さん……うぅ……」
「なんだよこれ!
ラノベでもこんな展開ねぇよ!」
「普通なら女神とか巫女とか
出てくるんじゃねぇの?」
女子たちは絶望し、男子たちは沈黙、
数人のオタク男子だけが、
なぜか楽しそうに語り合っていた。
※ ※ ※
陽太は皆をなだめ、
すぐに役割分担を始めた。
男子たちは薪拾いと、
投げやすいサイズの石集め。
翠たちは
食べられそうな植物を探しに行き、
光と晶は拠点整理と、
落ち込む女子たちのケアに回った。
俺はひとり、
岩壁の裏にある緩やかな斜面を登って、
地形を確認する。
高いところから見れば、
危険の兆候や獣道も見えるかもしれない。
見える範囲に川の流れは一本、
森が延々と広がっている。
人の痕跡も、人工物も――何もない。
体力がある者は周囲の警戒、
疲れた者はその場で休ませる。
「誰か……ライターとか、持ってないか? いや、ないよな……」
クラスで唯一の不良、松本翔也が――
「持ってるけど?」
と、ポケットからライターを取り出した。
意外な救世主だ。
※ ※ ※
火を起こし、
ようやく焚き火の明かりが
森の闇を照らした。
鍋なし、肉なし。
あるのは柔らかそうな草と、
小さな果実だけ。
みんなの顔に疲れが滲んでいた。
「悠兄、これからどうする?」
「少し考えたい。お前は休め。」
「……わかった。
でも、あんまり離れないでね?」
「もちろん。」
火を見つめながら、漆黒の森を見渡す。
誰かが小声で
「ステータスウィンドウ」
と呟いている。
俺も苦笑しながら、
心の中で真似してみた。
……ほんとに開いたら、誰か教えてよ。
もしかして、何か条件でもあるのか?
……まあいい。
明日、もう一度試してみるか。
微かに聞こえる、女子たちのすすり泣き。
このメンバーで、何日持つんだ?
人数が多すぎる……いずれ、分裂する。
人間関係が崩れた時、
暴力が起きるかもしれない。
……本当に起きたら、その時は終わりだ。
俺と陽太で、翠、光、晶は守る。
もっと信頼できる仲間を増やさないと、
最悪の事態は避けられない……。
適任者……陽キャ連中は論外だ。
協調性もないし、足並みも揃わない。
遠くで小さな火が見えた。
……松本がタバコを吸ってる。
石田、片山も隣で談笑していた。
こんな状況で落ち着いてるなんて、
ただ者じゃない。
……あいつ、本当に信用していいのか?
油断せず、警戒しておこう。
それから、枯川。
頭も切れる方だが……どこか影が薄い。
ただ――静かすぎる。
……だからこそ、少し気になる。
あと……伊賀はどこだ?
全員を見回しても、どこにもいない。
え…………?
陽太の隣で普通に焚き火してるじゃん。
さっきまでどこにいたんだよ……
これ、人間の能力か? スキルか?
明日、ちゃんと確認しよう。
仲間と警戒対象を整理しておく。
それだけでも、明日への備えになる。
夜の静寂に、
焚き火の音だけがやけに響く。
その時、
遠くから獣の咆哮が聞こえた。
皆が一斉にそちらを見つめる。
「翠、大丈夫だから、おやすみ。」
「……うん。」
やっぱり寝てないな。
彼女の頭を撫で、手を握る。
少しでも安心させたかった。
目を閉じるのが、少し怖かった。
誰かが起きていてくれると安心する。
突然始まった異世界生活、
不安は尽きない。
でも、生き抜くしかない。
――翠を守るって、
父さんと約束したんだから。
《読後感:夜見悠月》
突然、異世界に来てしまった……
翠が無事で、本当に良かった。
正直、寿命が縮んだ気分だ。
とりあえず、
なんとか身を寄せる場所は
見つけたけど――
……この先、
俺たちがどれくらいもつのか、
正直……想像もつかない。