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第25話 忘れられた名前


樹海に、火花が散る。

甲高い金属音が、鼓膜を突き刺した。


汗と鉄の匂いが鼻を焼く。

痺れが骨の奥まで走った。


――カン、キン、カン。


一撃ごとに、衝撃が空気を裂く。


吐いた息は白く曇り、

すぐ冷たい風にさらわれた。


足元の泥と落ち葉は踏み荒らされ、

無数の足跡が刻まれている。


手のひらは熱い。


汗が耳の後ろから首筋へ伝う。


朝の冷え込みのはずなのに、

体は火照っていた。


正面の男は、片手で剣を握るだけ。


怪物じみた剣さばきで、

私の全力を軽々と流していく。


数日前なら、

この差に震えるしかなかった。


――でも、今は違う。


まだ到底届かない。


けど……もう、彼も完全な余裕じゃない。


一歩も動かずに受けていたはずが――

今は足を運び、斬撃をさばいている。


全身が悲鳴を上げる。

視界がかすむ。


それでも、わかる。

――私の剣は、前に進んでいる。


「……はぁ……っ、はぁ……っ」


息は乱れ、喉が焼け、

胸は燃えるみたいに熱い。


汗が全身を濡らす。


……この程度で止まれない。


「よし、今日はここまでだ。休め――」


「……嫌。」


地を蹴る。

彼の言葉を遮るように、突っ込んだ。


握る手に、さらに力を込める。

胸の奥を焦がすのは――ただ一つ。


「……時間がないんだ。」


男が小さく息を吐く。

眉間に、わずかな諦めが浮かんだ。


いくつかの斬撃を受け流したあと――

返ってきた一撃は、

比べものにならないほど重い。


轟音。体が弾き飛ぶ。


視界が一瞬で真っ白に染まった。

思考が途切れる。


地面を何度も転がり――

背中が岩に叩きつけられる。


白に塗り潰された視界。


……痛い。


頭の奥に熱が流れる。

触れた手が震える。血だった。


腹部に鈍い痛み。

口の中に血が込み上げる。


「……っ、まず……い……!」


霞む視界の向こうで、慌てた声。

足音が近づいてくる。


次の瞬間。

体を包む温もり。


骨の芯まで染み込み――

痛みが幻みたいに消えていく。


視界がゆっくり戻り、震えも収まった。


「……悪い。

 加減を誤った。俺のミスだ……」


狼狽した顔。

――わざとじゃない。


……やっぱり。

私の推測は、間違ってなかった。


男は息を吐き、低く告げた。


「〈治癒(ヒール)〉だ。

 お前がトロルに吹き飛ばされた時も、

 俺がかけた。

 

 多少は他のスキルも覚えてなきゃ、

 もう何回死んでたかわからん。」


軽く言う。

けれど、声には重さがあった。


光が消え、体を確かめる。

痛みは跡形もない。

疲労さえ、いくらか薄れていた。


倒れても、また立てる。

つまり――何度でも続けられる。


口元の血を拭う。

視線を上げ、睨みつける。


「……続ける。」


「は? 

 治したばっかで、まだやるのか。

 普通はそのまま寝転がるだろ。」


呆れ顔。

口の端が引きつる。


何度も踏み込む。

そのたびに腕が動き、剣が上がる。


金属がぶつかる音が、林に響き渡る。


一度、二度、三度――。


斬るたびに肺が焼け、視界が霞む。

裂けた掌から血と汗が滴る。


それでも止まらない。


痺れようが、腕が焼けようが、

足がふらつこうが――振り続けた。


ついに彼の剣も、

本気で応じざるを得なくなる。


力加減が乱れ、

私は何度も吹き飛ばされた。


数えるのを、もうやめた。


「……おっさん。もう一回、治して。」


地面に倒れ、かすれた声を絞り出す。

体は軋む。動かない。


けど……治せば、また振れる。

――()()だ。


男が息を呑む音。


「おいおい……

 これ以上やったら壊れるぞ。」


「……治せるんでしょ?」


その瞬間、彼の動きが止まった。


さらに踏み込み、刃をぶつける。

火花が散り、汗が彼の頬に飛ぶ。


「頭でも打ったか?

 治させて突っ込むなんて修行じゃねぇ……

 そんなやり方、見たことねぇぞ!」


声には呆れと苛立ち。


私は歯を食いしばり、

視線を逸らさない。


退く気なんて、欠片もなかった。


――まだ終わらない。

終わらせない。


その時。

彼の目に、一瞬の光。


口元に、抑えきれない笑みが浮かんだ。



※ ※ ※



数日後の朝。


朝食を終え、体を温め、

いつものように剣を握ろうとした時――


彼が、不意に口を開いた。


「……そろそろだな。

 行くぞ、小娘。

 あのトロルで試し斬りだ。」


「……え?」


息が詰まる。心臓が跳ねた。


彼は振り返らず、

森の奥へずんずん進む。


私は歯を食いしばって追う。

枝葉が腕をかすめ、空気が重くなる。


やがて――



――大地を揺らす足音。

――荒い鼻息。


木々の隙間に、巨体が現れた。

かつて私を吹き飛ばした魔物――トロル。


足が止まる。

血が凍りつき、掌が震えた。

心臓が胸を暴れて、呼吸は浅い。


「ほら、行け。」


男は腕を組み、余興でも眺めるような顔。


「……ま、待って……」


喉がからから。

声は掠れて、震えていた。

恐怖が背を這い上がる。


――バンッ。


刃が尻を叩いた。

思わず前につんのめる。


「……!」


何してんのよ、この変態……。

睨み返すと、彼は当然の顔。


「ここまでやった。

 トロルくらい、平気だろ。」


ふざけた口ぶり。

なのに――足の震えが止まっていた。


手を開閉してみる。

もう震えていない。

剣を、しっかり握れる。


……緊張をほぐした?

普通、そんなやり方ある?


「……わかったわよ、変態。」


トロルが咆哮する。

森全体が震えた。


私は正面から受け止め、一歩を踏み出す。


……狩りは、ここからだ。



丸太のような腕が振り下ろされる。

身を沈め、一歩滑らせて正面を外す。


耳元を風圧がかすめ、

次の瞬間――地面が爆ぜた。


――好機。


潜り込み、足元を駆け抜ける。

背後から狙いを定め、刃を振り抜いた。


筋を断つ感触。

鮮血が飛び散る。


片脚を失った巨体が、

地響きを立てて崩れる。


怒号。

腕が振り上がる。

だが――私は、もうそこにはいない。


死角に潜み、呼吸を整える。

柄を握り直し、全身に力を込めた。


「……はっ!」


この数日で叩き込まれた全てを――

首筋に叩き込む。


硬い肉と骨を断ち切った。


轟音。

巨体が倒れ、枝葉が舞う。

やがて動かなくなる。


あの日、私を死に追いやった怪物が――

今は足元に転がっていた。


……()った。


震えていた。

けど――それは恐怖じゃない。


確かに、成長していた。


深く息を吐く。


「……やった……」


背後から足音。

男は視線だけを落とし、平然と告げた。


「ほらな。トロル程度、

 もうお前を殺せねぇ。」


そして振り返らず、一言。


「戻るぞ。」


私は無言で剣を収め、その背を追う。


振り返った時、そこにあったのは――

恐怖ではなく、確かな()()だった。



※ ※ ※



草屋の外で焚き火が揺れる。

炭の匂いが室内まで流れ込んでいた。


「出て行くつもりか。まあ当然だな。

 樹海を抜けるまでに、

 お前を脅かせる魔物なんざ、

 もういない。」


荷をまとめる手が止まる。

……まだ、聞いていないことがある。


「……どうして?」


小さな声。

静けさの中で、鮮明に響いた。


水を飲んでいた彼がちらりと見る。

聞き返すような目。


「……どうして私に剣を教えるの。

 ――トロルまで一緒に狩らせて。

 見返りもなく……何を企んでるの?」


言葉が落ちた瞬間、空気が張った。


男はしばし黙り、

その視線をまっすぐ向けてくる。


――戦っている時より鋭い。


「……その髪だ。」


思わず触れる。

肩にかかる黒。


「東方に黒髪の民族がいた。

 もう滅び、伝承だけが残ってる。」


低い声。けれど揺るぎない。


「話したくねぇなら、それでいい。

 聞く気があるなら――教えてやる。」


火が瞳に映り、

奥を覗かれているみたいで息が詰まる。


……また、その伝承。

私は伝説の誰かじゃない。

ただの、地球から来た普通の少女。


この男は、私から何を知ろうとしてる?


沈黙のまま視線を返す。

彼は小さく笑い、

寝床の隅から長い木箱を引き出した。


カチリ――蓋が開く。


布に包まれた一振り。


細く、しなやかで、

火の光を受けて黒く艶めく。


心臓が強く鳴る。


……日本刀。

なぜ、この世界に。


「……これは?」


わざと知らないふりで、短く問う。


「伝説の東方の武器だ。

 形は奇妙で、刃は薄い。

 一振りで折れそうに見える。

 

 敵を斬るためらしいが……

 俺には、とても実用には思えねぇ。」


「だが――工匠の魂は宿ってる。

 ただの代物じゃない。

 何か秘密を抱えてるはずだ。」


「……ただ形を変えただけの剣だ。」


冷静を装い、話を合わせる。


「わかってる。

 お前がこれを見た時……

 目が変わった。」


「…………」


言葉が出ない。


彼はしばし黙り、

苦く笑って壁の布を払った。


ぱさり――。


現れたのは、私の背丈を超える両手剣。

漆黒の刃が、天を突くように立つ。


「こいつが相棒だ。

 数え切れねぇ戦場をくぐり、

 あらゆる魔物を斬った。

 龍すらも。

 これこそが――『剣』だ。」


大剣を軽く叩き、

視線を木箱の「刀」へ戻す。


「試した。だが軽すぎる、薄すぎる。

 今にも折れそうだった。

 ……だが直感が告げてる。

 あれは飾りじゃない。」


火が揺れ、声は真剣そのものだった。


「だから、秘密を知りたい。

 お前にわかるなら、見せてみろ。

 その時は――あれをお前にくれてやる。

 どうだ?」


細身の刃を見つめる。

冷たい光が瞳に映る。


心臓は激しく鳴っているのに――

感情は妙に静かだった。


……この男は、本当に知らない。


自分の背丈を

超える大剣を「力」と信じ、

「重さこそ強さ」だと語る目。


――日本刀の価値に、一度も触れていない。


言い換えれば――

この世界で知る者は誰もいない。


私がこの刃を手にすれば。

それこそが最大の武器になる。

死線に立ち続ける保証にもなる。



……決めた。手に入れる。


深く息を吸い、考える。

どう見せれば――伝わる?


ただ振るだけじゃ、納得しない。

見せるしかない。

この刀の、本当の価値を。


脳裏に、一閃の残像がよみがえる。


……あれしかない。

あれなら、わかる。


鞘に指を置き、静かに取り上げた。


「……いいわ。

 そこまで言うなら――よく見て。」


刀を腰に差し、外へ出る。

振り返り、向き合う。


静寂。

焚き火の音だけが耳に残る。


柄に手を添える。

吸って、止めて、吐く。

繰り返すほど、鼓動が落ち着いていく。


一歩、土を踏む。

靴底が擦れる音がやけに響いた。


腰を落とし、つま先で大地を掴む。


体が自然に答えを導く。

――今の私に最も相応しい姿勢。


低く、独り言みたいに告げる。


「……気をつけて。死ぬなよ。」


男の目がはっと見開かれ、眉が跳ねる。


「はぁ? 抜かねぇで、どうやって――」


言葉より早く――。


シュッ。


鞘走りの音が空気を裂いた。


銀の残光。

男は反射で剣を構える。


甲高い衝突音が樹海に轟き、

雷鳴のように木霊する。


草屋の屋根から、

葉がぱらぱらと舞い落ちた。


冷たい刃。

すでに男の喉元に突きつけられていた。


余韻が波紋のように森を伝い、消える。


横目に捉えた男の頬に、冷や汗。

最後の一瞬で防いだ――やはり怪物。


唇が震え、男が呟く。


「……この速さ……なんだ、これ……」


私は深く息を吐き、刃を鞘へ戻す。


カチリ――静かな収まり。


「……これで、譲ってくれるわよね。」


冷えた声。

男は呆然と私の手元を見て、

やがて刀に視線を移す。


数秒の沈黙。

そして天を仰ぎ――笑った。


「――ハハハハ!

 なるほど……この『剣』は!

 重さでも破壊でもねぇ……

 速さを極めた“技”そのものだと……!」


私は首を横に振る。


焚き火の光が刃を照らす。

夜風が名を運んだ。


「……違う。それは〝剣〟じゃない。

 私たちは――『カタナ(Katana)』と呼ぶ。」


焚き火の光の中で、

男の瞳孔が収縮する。


まるで新しい真名を刻まれたみたいに。


私はそれ以上言わず、

刀を差し直し、荷をまとめた。


「……このカタナ、持っていくから。」


男は一閃の残像に囚われたまま。


魂を奪われたように立ち尽くし、

刃の幻影を追っていた。


私は草屋を出る。


夜風に身をさらしながら、

足音を遠ざけた。


背後で焚き火がぱちりと弾け、

やがて静まる。


残された怪物のような男は、

低く呟き続けていた。


「……()()()……」

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