第23話 夕陽下の戦い
「ハァッ!」
朝焼けの街に、
俺の声と衝撃音が響き渡る。
腐った板が揺れて、バキッと砕け散った。
舞い上がる埃に朝日が差し込んで――
……いや、違ぇだろ。
これ、毎朝の素振りじゃねぇ。
握ってるのは剣じゃなく――ハンマーだ。
今やってるのは、ギルドの常設依頼。
放置された廃屋の解体作業。
報酬は悪くない。悪くないけど……
誰もやりたがらないから回ってきただけ。
……なんだろうな。
胸の奥に、妙な虚しさが残る。
「せいっ!」
横から澄んだ声。
振り返ると、
翠がメイスを振り下ろしていた。
メイスが角材を叩き割り、
バキバキと木片が飛び散る。
「……」
……おいおい。
雑用の解体ですら、
きっちり訓練にしてやがる。
一撃ごとに軌道も足さばきも、
全部が練習。
ほんと抜け目ない。
……俺の剣術がもっと上手けりゃ、
この家も一刀両断できるんだろうか。
いや、ねぇな。
俺はアニメの剣豪じゃねぇ。
「どっかーん!」
反対側から轟音。
スピカが長斧を振り上げ、
屋根をまとめて吹き飛ばした。
そのまま【運搬】スキルで、
木材を外へガンガン運び出していく。
……完全に建築現場じゃねぇか。
「なぁ……俺たち……本当に冒険者か?」
思わず小声でぼやいた。
「別に悪くないでしょ!
ギルドの依頼だし、
ちゃんと報酬も出るんだから!」
翠は額の汗をぬぐい、にかっと笑った。
「それに、こういう仕事は
たいていやりたがらない。
信用も積み上がるし。」
スピカは淡々と言い、斧を振り続ける。
……まあ、言ってることは正しい。
でも――
アザミたちは昇格した。
俺たちは、廃屋の解体。
拳を握りしめる。
胸の奥に、
どうしようもない焦りが滲んだ。
頭に浮かぶのは、
ギルド依頼で最上位の魔物――ロックボア。
その瞬間。
「ガンッ!」
スピカの斧が壁を叩き割る。
板が粉々に砕け、破片が弾け飛んだ。
「うわっ――!」
顔をかばったが遅い。
木片が腕をかすめ、赤い筋が走る。
……くそっ、もう三回目だ。
ただ家を壊してるだけなのに、
なんで俺ばっかり返り討ちに遭うんだ。
「ユニ兄! 大丈夫!?」
翠が駆け寄り、
俺の腕にそっと手を当てる。
柔らかな光が滲み出て、
傷はすぐに塞がって消えた。
「……助かった。」
息をつき、
腕を引こうとした瞬間――気づく。
……そういえば。
同じ作業をしてるのに、
翠は一度も傷を負っていない。
木片も瓦礫も、全部避けてるのか?
それとも――自分に治癒をかけてる……?
そこまで考えて、思考は途切れた。
すぐに別のことで頭がいっぱいになる。
握ったハンマーに力を込め、
足元の木屑を見つめて呟く。
「……ロックボア。 狩ってみるか。」
その一言に、
翠とスピカが同時に顔を上げた。
翠の瞳がぱっと輝き、
迷いなく大きく頷く。
スピカは一拍の沈黙を挟み――
静かに、頷いた。
※ ※ ※
廃屋の解体を終え、
ギルドに報告を済ませたあと。
そのまま休憩スペースに腰を下ろし、
俺たちは次の依頼について話し合った。
そして決めた。
――狩るのはロックボア。
常設依頼の中でも、最難関。
報酬の多寡なんて、どうでもいい。
今の俺たちが、
どこまで通用するのか――
その答えを試すには、
ちょうどいい相手だ。
※ ※ ※
――そして今。
俺たちはリヤカーを引きながら、
草原を進んでいた。
荷台にはすでに
ドリルウサギ数匹とフォグウルフ一体。
だが、本命の影はまだ見えない。
「おかしいな……ギルドの情報だと、
この辺りに出るはずなんだが……」
陽は西へ傾き始め、
そろそろ今日は引き上げか
――そう思った、その時。
「……あそこ。」
スピカが草むらを指さす。
風に揺れる茂みの奥から、
荒い鼻息が漏れ聞こえた。
次の瞬間――
巨体が草を裂いて飛び出した。
「来た!」
《ロックボア》。
全身を岩石のような甲皮に覆い、
牙までもが鋭い岩の塊。
ただの猪のはずなのに――
フォグウルフ以上の威圧感を放っていた。
地面を蹴るたび、空気が震え、
衝撃が胸の奥まで響く。
「行くぞ!」
俺は剣を抜き、正面から踏み込む。
翠は側面からメイスを叩きつけ
――ガンッ!
飛び散ったのは火花だけ。
「硬っ……!」
弾かれながらも必死に体勢を立て直す。
突進のたびに地面が揺れ、
攻撃はことごとく弾かれた。
……だが、退くわけにはいかない。
その時、スピカの弓弦が鳴った。
矢は肩口の隙間を正確に穿ち、
肉へ深く沈む。
大猪が怒声を上げた瞬間――
「チャンスだ!」
裂け目に剣を叩き込み、
熱い血が飛び散った。
翠も横から追撃を叩き込み、
スピカの矢がさらに突き刺さる。
三人の攻撃が重なった刹那、
大猪は絶叫を上げ、
地響きを伴って崩れ落ちた。
「……っは……なんとか、仕留めた……」
その場にへたり込み、額の汗をぬぐう。
翠も肩で息をしながら、無理に笑った。
スピカは矢を収め、淡々と告げる。
「今の私たちじゃ、まだ力不足。
二体同時に来ていたら……終わってた」
「……ランク上げは後回しだな。
今は力を伸ばすのが先決だ。」
二人は静かにうなずいた。
俺たちは獲物を回収しようと動き出した。
――その時。
風が変わった。
強烈な血の匂いに混じって、
鼻を突くほどの濃い悪臭が漂ってくる。
ぞわりと肌を撫でるような、
ぬるりとした低い声が、
風に乗って耳に届いた。
心臓がドクン、と嫌な音を立てて跳ねる。
※ ※ ※
「……グゥ……」
低く濁った呼吸音が、
草原を震わせるように近づいてきた。
俺たち三人は同時に足を止め、
森の縁へと視線を向ける。
次の瞬間――
枝葉がざわめき、
二つの巨体が、ゆっくりと姿を現した。
「なっ……オーク……!?」
翠が思わず声を上げた。
土色の肌、口元から突き出た獠牙。
丸太のような棍棒を引きずり、
ぎらついた眼光で俺たちと
大猪の死体を睨み据える。
「あり得ねぇ……
ここにオークなんて出るはずが……!
……大猪の血臭に
引き寄せられたのか?」
背筋を
氷で撫でられたみたいに冷たくなる。
「全員! 獲物は捨てろ、撤退だ!」
肺の奥から絞り出すように怒鳴った。
スピカは即座にリヤカーの取っ手を掴み、
視線で合図を送る。
翠は血の気を失った顔で俺の横に並び、
俺と一緒に振り返らず駆け出した。
だが――
「ドスン! ドスン!」
地を叩く足音が背後から迫る。
重さを感じさせながらも、
信じられないほど速い。
思わず振り返った瞬間――
二体のオークが
地鳴りのごとき衝撃を撒き散らし、
猛然と突進してきた。
「……速すぎるっ!」
心臓が跳ね上がり、喉が詰まる。
「もう逃げ切れねぇ……!うおおおっ!」
反射的に振り返り、
剣を突き出すように
構えてオークを迎え撃つ。
巨体の影が頭上を覆い、
突風のような圧が顔を叩いた。
次の瞬間――
「ドゴォンッ!」
振り下ろされた棍棒が直撃。
剣身は一瞬で弾かれ、
腕全体が痺れに沈む。
握力が抜け、剣を落としかける。
「ぐっ……!」
歯を食いしばり必死に後退。
――この怪力、まともに受けたら終わりだ!
咆哮を上げたオークが、
さらに畳みかけるように迫る。
その時――空気を裂く音。
「――ッ!」
矢が閃光のように走り、
オークの肩に突き刺さった。
「ガァッ!」
巨体が揺れ、動きがわずかに鈍る。
俺はその隙を逃さず、横へ飛び退いた。
「ユニクス! 急いで!」
スピカの声が後方から飛ぶ。
冷静……だが切迫していた。
すでに次の矢を番えている。
だが――俺の目にはわかった。
矢は刺さっている。だが浅い。
分厚い脂肪に阻まれ、貫けていない。
血は流れても、
勢いはまったく衰えていない。
「……浅い!」
唇から漏れたのは、低い呪詛だけだった。
その時――
二体目のオークが横から回り込み、
巨大な棍棒を振り下ろしてきた。
「しまっ――!」
避けきれない!
次の瞬間、影が俺の前に飛び込む。
「ユニ兄は下がって!」
ドゴォォン!!
翠が円盾を突き上げ、
真正面から受け止めた。
火花が散り、轟音が空気を震わせる。
衝撃に弾かれ、数歩よろめきながらも、
両脚を泥に沈めて必死に踏み止まる。
「……まだ、退かない!」
彼女の瞳は炎のように揺らめき、
守る意思だけがそこにあった。
「スイナ! 逃げろ!」
思わず叫ぶ。
今ので分かった。
あの威力をもう一度受けたら
――盾も彼女も砕ける。
「嫌っ!!」
張り上げた声が俺の叫びをかき消す。
オークを睨む翠の瞳は、
炎のように揺らめいていた。
「わたしは逃げない!
だって――ユニ兄を守りたいから!」
……心臓を殴られたみたいに、
息が詰まった。
「……っ!」
痺れる腕を振り払い、剣を強く握り直す。
「翠、耐えろ!」
オークの棍棒が円盾を
押し潰そうとする。
俺は怒号を上げて踏み込み、
剣を振り下ろした。
狙うは――
怪物の右腕。棍棒ごと叩き斬る!
「おおおぉぉッ!」
刃が空を裂いた――その瞬間。
「……なっ!?」
横合いから迫る凶悪な殺気。
視界の端で、
もう一体のオークが獰猛に笑う。
肩にスピカの矢を突き立てたまま、
痛みなど存在しないかのように。
棍棒が風を唸らせて迫る。
俺は反射的に剣を構えた。
……だが、
腕は痺れ、刃は小刻みに震えている。
防げるのか、この一撃を。
「くそっ……終わりか……!」
握り締めた手は震えを止められない。
……本当に防げるのか?
それとも――ここまでなのか。
背筋が氷のように冷たくなった。
その時――
金属と棍棒が激突し、
耳を裂く轟音が弾ける。
「ユニ兄ッ!!」
盾を掲げ、
俺の前に飛び込んだのは
――翠だった。
ドゴォォン――!!!
翠は横合いから飛び込み、
盾を高く突き上げ――
そのまま正面で一撃を受け止めた。
凄まじい衝撃が全身を襲う。
両脚は泥へ沈む。
それでも、必死に踏み止まった。
「……大丈夫、私がいる!」
歯を食いしばり、低く叫ぶ翠。
円盾は震え、表面に亀裂が走る。
それでも――
その瞳は、さっきよりも鋭く燃えていた。
だが、その瞬間――
もう一体のオークが側面から回り込み、
棍棒を振りかざして翠へ突進してきた!
ビィン――ッ!
弦音。
スピカの矢が鋭く飛び、
オークの脇腹に突き刺さる。
「ガァァッ!」
巨体が一瞬たじろぐ。
……だが、それもほんの刹那。
次の瞬間には、
棍棒を横薙ぎに振り抜いていた。
「……っ!?」
俺は呆然とする。
スピカの精密な射撃ですら――
この化け物を止めることはできないのか。
どうする……!
「クソッ……!」
痺れきった腕を無理やり動かし、
剣を震わせながら構える。
――この角度なら、賭けるしかない。
全力で突き刺す。
せめて一瞬でも足を止められれば……!
だが、その瞬間――
「……え?」
オークがぎろりと顔を向けた。
夕陽に照らされた獰猛な牙がぎらつく。
奴の眼が狙っているのは――
翠じゃない。俺だ。
「――っ!」
轟音。
棍棒が横一文字に風を裂いて迫る。
「やべ……!」
脳裏をよぎった瞬間――衝撃は来なかった。
「ユニ兄ッ――!!」
翠が盾を高く掲げて飛び込み、
横薙ぎの一撃を正面から受け止める。
ドガァァァン!!!
常軌を逸した衝撃。
盾が悲鳴を上げて歪み、
翠の身体は背後の樹木へ吹き飛ばされた。
幹に叩きつけられ、
鈍い衝撃音が草原に響き渡る。
「――ッッ!!」
息を呑む俺の視線の先で、
翠の口から鮮血が溢れ、
その身体が、
ゆっくりと崩れ落ちていった。
「翠ィ――ッ!!」
喉が裂けるような叫びが勝手に迸る。
胸の奥がぐちゃぐちゃにかき乱され、
頭が爆ぜそうなほど痛む。
もう、オークなんてどうでもよかった。
心臓を
わし掴みにされたみたいに苦しくて、
足は勝手に草を蹴り飛ばし、
一直線に――
樹の根元で倒れている翠へと走っていた。
全力で駆け寄り、その場に膝をつく。
「おい! 持ちこたえろ……!」
両腕で抱き上げた身体は、
想像以上に冷たかった。
返事はない。
瞼は閉じられ、呼吸もかすか。
唇から滲む血が顎を伝い、
俺の腕を赤く染めていく。
「……ッ!」
抱き締める腕に、自然と力がこもる。
息は乱れ、
鼓動が耳を突き破りそうだった。
――その時。背後から、重い足音が迫る。
「ドス……ドス……」
二体のオークが、
一歩一歩、確実に近づいてきていた。
「くっ……!」
顔を上げると、
スピカが射位を変えながら
必死に弓を引いていた。
――ヒュンッ!
矢が放たれるたびに、
オークの脂肪を抉り、血が飛び散る。
それでも……歩みは止まらない。
「ダメだ……効いてない……!」
珍しく焦りを帯びた声で、スピカが叫ぶ。
「ユニクス! 逃げろ!!」
……無理だ。
翠を置いて逃げられるはずがない。
頭に浮かんだのは、たった一つ。
――もう終わりか。
俺は静かに目を閉じた。
せめて……一緒に逝ければ、それでいい。
……だが、衝撃は訪れなかった。
「……ん?」
耳を裂く咆哮が、ぴたりと止んだ。
地を揺らす足音も、消えている。
辺りは――嘘のような静寂。
震える身体で、恐る恐る目を開く。
そこに広がっていたのは、信じ難い光景。
二体のオークの胸を、
巨大な氷の槍が深々と貫いていた。
夕陽を反射し、白銀に輝く氷槍。
草原にはまだ冷気が残り、
肌を刺す寒さが漂っていた。
「なっ……!」
奴らは土偶のように動きを止め、
次の瞬間――地響きを伴って崩れ落ちた。
俺は翠を抱き締めたまま、声を失った。
……何が起きた?
本当に、俺たちは助かったのか?
視線をさまよわせる。
「……誰だ?」
かすれた声でつぶやいた先――
逆光の中から、
一人の影がゆっくりと歩み出る。
長い髪が夕陽に照らされ、
橙金に揺れ、風に靡いていた。
「……あれは……」
胸がぎゅっと縮む。
知っている。忘れようもない顔。
「まさか……あの人……
……ギルドの治癒師!?」
なぜだ。
どうして、彼女がここに――。
※ ※ ※
「っ……!」
頭の中の混乱を振り切り、
地面に膝をつき、翠を強く抱き締める。
唇が震え、
身体から力が抜け落ちていく。
まるで自分が、
空っぽになったみたいだった。
それでも――
ただ一つの願いが、胸に渦巻いている。
「……頼む……助けてくれ……」
声はかすれて、掠めるほどに小さい。
だが、それは、
俺のすべてを絞り出した叫びだった。
……もう何も要らない。
ただ一つ――
翠が生きてさえいてくれれば。
俺は――絶対に失わない。
治癒師は足音も立てずに近づき、
落ち着いた眼差しで俺たちを見下ろした。
わずかに頷き、静かな声で告げる。
「……心配はいらない」
その言葉と同時に、
彼女の手がすっと掲げられる。
――[治癒]
温かな光が零れ落ち、
翠の全身をやわらかく包み込む。
胸が、かすかに上下する。
死人のように白かった顔へ、
ゆっくりと血色が戻っていく。
「……!」
息を呑み、思わず目を見開く。
「悠兄……」
かすかな寝言のような声。
指先に伝わる温もり。
確かな呼吸。
……生きてる。
翠は、まだ生きてる。
喉が詰まり、視界が涙で滲んだ。
「……ありがとう……本当に……」
それでも彼女の瞼は閉じたまま。
返事は、どこからも返ってこない。
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
治癒師は淡々と見下ろし、静かに告げた。
「命に別状はない。
だが、しばらくは安静が必要だ。
……ギルドの治癒室まで運びなさい。
撤退よ。」
その声は冷静で
――拒む余地を与えない重みを帯びていた。
「……はい。」
歯を食いしばり、俺は深く頷く。
抱き上げた翠の呼吸が、
胸に確かに伝わってくる。
顔を上げれば、
遠くでスピカが、
リヤカーを構えて待っていた。
張り詰めた表情。額には滲む汗。
深く息を吸い、足を踏み出す。
……重い。
胸の内も、足取りも。
その時――耳に、かすかな囁きが届いた。
「……あの緑の炎は……」
「……え?」
思わず振り返る。
だが治癒師は、静かに首を振り、
すでに無表情へと戻っていた。
「何でもないわ。……行きましょう。」
夕陽に照らされたその瞳は、
理由もなく胸の奥に不安を落としていく。
俺は腕の中の翠を見下ろした。
「翠……生き延びたんだな……」
気づけば、頬を伝うものがあった。




