《慕間:伊賀透──これでいい》
小学生のときの話だ。
前を歩いてた女子の手首から、
ヘアゴムがするっと落ちた。
なんとなく拾って、
「おーい」って声をかける。
振り向いた彼女は、俺の顔見た瞬間——
「……あ、透くんか。
○○くんならよかったのに~」
「だよね~、
○○くんマジかっこいいし~」
「拾ってもらえたら超ラッキーじゃん~」
取り巻きの女子も同じ調子で笑って、
俺の手からヘアゴム取って、
そのまま行っちまった。
「……えっ? お礼、なし?」
○○くんなら、言うの……かな?
——あの瞬間、はっきりわかった。
世の中には、
生まれつき覚えられるやつと、
ただの背景で終わるやつがいる。
……俺は、後者だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
胸の奥で、
カチリと何かが噛み合った気がした。
※ ※ ※
何年か経って、思春期。
背は一気に伸びて、
昔のチビな姿はもうない。
運動神経も、意外と悪くない。
体育のサッカーじゃ、
ポジションきっちり守って、
体育祭では百メートル走で一位。
リレーでも二人抜き。
クラスに迷惑かけたことなんてなかった。
なのに、
たまに聞こえる女子のひそひそ声……
……俺、なんかやらかしたか?
※ ※ ※
受験期。
親は俺にこう言った。
「お前はそのままでいい」
「近くの高校で十分だ」
おかげで受験のプレッシャーはゼロ。
楽勝ムードだ。
でも——兄貴は違った。
頭も良くて、学校じゃトップクラス。
県内で知らない奴はいない、
名門大学を狙ってた。
親の期待もすごくて、
父は帰宅後まず兄の様子を聞き、
母は夜中にそっと、
夜食を部屋の前に置いてた。
……あのプレッシャー、
マジやばそうだな。
俺は想像しかできねぇけど。
結局、俺は家から一番近い高校へ。
徒歩二十分、
バスもチャリもいらねぇ距離。
高校じゃ、
たまに声かけてくれるやつもいた。
礼儀として返事はする……
これ、友達って言うのかは微妙だが。
ちなみに兄貴は、
例の有名大学にしっかり受かった。
「これ……イタズラだろ?」
下駄箱にたまに入ってる可愛い封筒。
わかってる、ラブレターってやつだろ。
「は……あるわけねぇだろ」
間違いか、悪ふざけだ。
ため息ついてゴミ箱にポイだ。
※ ※ ※
あの日、信じられないことが起きた。
アニメの中だけのネタだと思ってた——
異世界召喚。
クラスの半分が巻き込まれて、
知らない森に放り出された。
幸い、全員無事だった。
日向はリーダーシップがえげつなく、
クラスの混乱をあっという間に抑えた。
……さすがだ。
水場を見つけて、やっと一息。
喉が渇いて、手ですくってガブ飲み。
そのとき日向が
「ドリルラビットを見た」って、
言い出した。
頭にドリルついたウサギ……
ここ、もう異世界確定だな。
一瞬ざわついたが、
日向の指示で男子は投げやすい石集め、
女子は薪と食べられそうな実を拾って、
分け合った。
その夜は、星空の下で野宿だ。
ふと耳に入ったのは、
夜見が日向に言った一言。
「せっかくだし、
職業とかスキルとか……あるんじゃね?」
俺も考えたことはあったが、
やり方わからずじまい。
……そういや昨夜、
“ステータス”って叫んでたやついたな。
俺も試したけど、当然何も起きなかった。
※ ※ ※
翌日、
日向が全員集めて世界のルール探り。
昨日の水探しで、
何人か明らかに体力が上がってた。
俺もだ。二時間歩いても全然疲れねぇ。
みんな自分の体を確認しながら、
アニメで聞くようなスキル名を
叫んで遊んでた。
中には本当に火の玉を出した女子も……
いや、火花レベルだったけどな。
星野はちゃんと回復魔法を
成功させてた。
……ファンタジーかよ。
俺はというと、動きが軽くなり、
反射も良くなってた。
スカウトか弓使いっぽい感じか?
そこへ夜見がこっそり来て、
「これ、試してみて」
……ああ、知ってるぞこのスキル名。
いや、
マジで言うの恥ずかしいやつじゃん。
ありえねぇ、と思ったが、
夜見がしつこく勧めるから——
「……隠密」
言った瞬間、みんなの視界から消えた。
俺はここに立ってんのに。
耳は欲しい音だけ拾って、
いらない音は遮断。
石を踏む音がやけに響き、
無意識に足音を殺すと——音は消えた。
みんなの後ろまで移動しても、
気づかれねぇ。
……と思ったら、急に見つかった。
効果切れか?
「やっぱ伊賀って忍者だわ!」
……なんだよそれ。
変な恥ずかしさがこみ上げる。
夜見はその後、
「巡回頼みたい」って言ってきた。
俺の能力は貴重だから、
安全のために——ってさ。
クラスには能力手に入れた途端、
調子乗るやつもいて、
優越感ダダ漏れでイキってたけど、
日向がピシャッと止めた。
さらに夜見が、
「そいつら見張ってくれ」って、
頼んできた。
理由はわかる。
それより——
誰かに期待されるなんて、
生まれて初めてだった。
……なら、やるしかねぇよな。
日向たちが救援に出て、
あの五人も一緒に行ったから
巡回の負担は減った。
だから少し範囲を広げてみたら……
獣穴を見つけた。
やべぇ匂いしかしない。
夜見に報告すると、
「先に潰すべきだ」って話になった。
計画通り、“隠密”で接近。
……クマの真下まで行っても、
気づかれねぇ。
下顎がくっきり見える位置で、
木の短剣を握り直す。
——一度きりのチャンスだ。
息を止め、
狙いを定め、
全力で突き上げた。
完璧に決まった——そう思った瞬間。
足元で、クマがかすかに
息を吐いた音が耳に残った。
胸の奥が、スッと冷える。
スキルや職業って、
こういうもんなのか……
だけど、命を奪う感触は……
やっぱ気持ち悪い。
安全のためだ、割り切るしかなかった。
任務は成功し、
夜見が笑顔でハイタッチしてきた。
妙に照れくせぇ。
「女子を案内してくる」と
適当な理由つけて、その場を離れた。
でも、胸の奥に熱いもんが広がってた。
※ ※ ※
最悪の事態が来たのは、その後すぐだ。
遠征に出てた枯川が、
異世界人の集団を引き連れて
戻ってきた。
俺は草むらに身を潜め、
体が石みたいに動かねぇ。
……格が違いすぎる。
腰の短剣に手を伸ばしては、汗で滑る。
足は痺れ、
呼吸は荒くなり、
もう息を殺すのも
限界だった。
——逃げたい。
目を閉じたい。
全部なかったことにしたい。
結局、仲間は全員捕まり、
枯川もその場で口封じされた。
声が……出なかった。
俺には……何もできなかった。
夜見が無事なのを確認して、
心底ホッとした。
でも罪悪感は消えない。
スキルを手に入れても、結局何も……
そんな俺に、夜見が言った。
「……苦しかっただろ。
でも、よく耐えてくれた」
見殺しみたいな形で、
それが正しかったのか?
許されるのか?
——いや、もう二度と、
あんな思いはしたくねぇ。
強くならなきゃ。
強くならないと……
また同じことが起きたとき、
俺は耐えられない。
※ ※ ※
拠点を離れ、ついに街にたどり着いた。
落ち着くかと思いきや、
胸のざわつきは消えないまま。
俺の天職は——暗殺者。
あの四人がパーティを組んだ。
バランスの良い編成だ。
俺は一人で鍛えることにした。
街は安全だが、
あの日の罪悪感は消えない。
もしあのとき飛び出してたら……
間違いなく即制圧だったろう。
……それ以上は考えたくない。
何かしてないと、心が持たない。
だから今日も一人で狩りに出る。
夜明け前、冷たい空気の中、
誰もいない通りを歩く。
足音が妙に響く。
音を消そうと歩き方を変えると、
今度は自分の呼吸がうるさい。
息のリズムを整え
——完全に無音になった。
危険を避けるため、遠出はしない。
近場でドリルラビットを狩り、
時には霧狼にも挑んだ。
訓練中、何度も考える。
あのとき、もし俺がもっと強ければ……
※ ※ ※
やがて、夜見にも仲間ができた。
自然体で信頼し合ってるのが、
見ていてわかる。
……羨ましい。
俺はあの輪に入ったことがねぇ。
俺も——居場所が欲しいのか?
はは……無理だ。
物心ついたときから、
そんなもんはなかった。
「……やっぱ……
最後に残ったのは……俺、か」
思わず口から漏れる。
※ ※ ※
……ああ、やっぱ俺はいらねぇんだ。
みんな前に進んで、
俺だけが後ろに取り残され、
存在すら忘れられてく。
下を向いて考え込んでたら、
夜見が真っ直ぐに俺を見て言った。
「巡回頼んだとき……
あれ、危なかったよな?」
「奴隷商のとき、
お前が衝動を抑えてくれて助かった。
あれは正解だ」
「街に来てからも、お前は気を抜かず、
一番早く起きて、
情報を集め、鍛えてた……
俺たちは、ちゃんと知ってる」
心臓がドクンと跳ね、
息を吸い込む音がやけに響いた。
……俺、見られてたのか?
……なんで今、泣きそうになってんだ、
俺。
夜見は続ける。
「お前はずっと、俺たちの前を歩いてた。
置き去りになったことなんて、
一度もない」
——そんなの、言い過ぎだろ
でも、その目は嘘をついてなかった。
ずっと……見られてた。
ずっと……期待されてた、のか。
胸が、痛いほど熱くなる。
……勘違いしてたのは、俺の方だった。
罪悪感だけじゃない。
誰かに期待される重さも、
確かに感じてたんだ。
※ ※ ※
俺は背景でいい、小物でいい。
でも、見てもらえるなら……応えたい。
暗殺者——案外、悪くねぇ。
あの日、仲間を連れ去った異世界人。
いつか必ずまた現れる。
そのときは、草むらに潜むんじゃない。
正面から——やる。
殺しは許されない。
だが、仲間を守るためなら……
必要なときは迷わない。
命は、自分で守るしかない。
もう二度と——あの悲劇は繰り返さない。
目を閉じれば、
あの光景が鮮明によみがえる。
草むらの奥で震えてた、
情けない俺が見える。
だったら——
最初の標的は、過去の弱い俺だ。
……もう、
影で見てるだけなんて、二度としねぇ。




