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第12話 見た目だけじゃ、もうないんだ


朝の光が窓から差し込んで、

冒険者ギルドの共用寝室を照らしていた。


上体を起こして、軽く伸びをする。


向かい側の佐野は、

髪をかきながら大きくあくびしていて、

小林はすでに起きてストレッチ中。


どうやら、よく眠れたらしい。


田村は寝返りを打ちながら、

まだ獣の毛皮を抱きしめたまま、

口元にゆるい笑みを浮かべてる。


……何の夢を見てるんだろ。


長谷川は

すでに毛布を丁寧にたたみながら、

静かに座っていた。


伊賀は……


朝からすでに姿がなくて、

折りたたまれた寝具だけが残されていた。


隣を見れば、

翠が丸まった小動物みたいに眠ってる。


なんというか……

キツネの子みたいな寝姿だった。



まわりの先輩冒険者たちも、

次々に目を覚まし始める。


金属のぶつかる音、

装備を締める音が、

あちこちから聞こえてくる。


保存食をかじりながら

装備を調整してる人もいれば、


なかなか起きられない誰かを、

隣がひたすら尻を蹴ってる組もいる。


……あれは絶対、朝が弱いタイプだ。


冒険者ギルドの朝は、

いつもこんな感じだ。



※ ※ ※



俺たち七人は、ギルドの前に立っていた。


目の前に広がる、

見知らぬ都市────リュゼルナ。


人で賑わう通り、

整然とした石畳、

ずらりと並ぶ看板たち。


喧騒と秩序のあいだで、

ようやく森の中の苦しい日々が

遠くなった気がした。



「トールは?」


「朝起きたら、もういなかったよ。」


佐野の問いに、俺はそう答えた。


……っていうか、お前、

外で歯の間いじるな。 見た目が悪い。


小林がその様子を見て、

肩をすくめながら聞いてくる。


「一人で修行に行ったのか?」


「こっそり強くなるとか、

 なんか……カッコいいじゃん!」


田村が妙にテンション高く言って、

長谷川がその頭を優しくポンポンした。


……なんか、

だんだんこの子の扱いが

分かってきた気がする。



彼ら四人は、 それぞれギルドから

支給された初心者用装備を手にしていた。


全部が中古品で、

中にはサビてるやつもある。


でも──

俺たちみたいな新米にとっては、

それでもありがたい。


……少なくとも、

木の棒よりは強そうだし。



「今日は……昨日の計画通り、

 四人で狩りの練習に行こうか?」


小林が、

明らかに長すぎる剣を持ち上げて、

空中で軽く二振りする。


「狙いは……やっぱりドリルウサギ?」


長谷川が装備を整えながら、

佐野に確認を取る。


「もちろん!  俺たちはまだ初心者で、

 経験も装備もないんだから、

 安全第一! ……な?」


佐野がサムズアップしながら言った。


その腕には、

ボロボロだけど

ちゃんと装着された手甲がある。


「魔法であのウサギたち、

 空まで吹っ飛ばしてやるんだから!」


田村がショートボウを掲げて、

やる気全開で叫ぶ。


……いやいや、お前の天職、

確かアーチャーに決まったよな?



四人パーティー。


経験はゼロでも、 息と絆は……

もう充分整っているように見えた。



その隣で、

翠が小さな布袋を胸に抱えて、

静かに立っていた。


「……そっちは、決まったのか?」


「うん。」


彼女は小さく頷きながら、

やわらかく答える。


「受付のお姉さんに、

 料理できるって伝えたら……

 近くのレストランを紹介してくれたの。

 キッチンで手伝い募集してるって。」


翠は〈治癒師〉だけど、

一人じゃ依頼を受けられない。


ヒールのスキルもまだレベル不足で、

ギルドのサポート枠も難しい。


──だから、

今はこうして日雇いの仕事を

探すしかない。


「俺も、そろそろ行くわ。」


手には、 自分の魔導身分証。


〈魔 導 具 職 人〉


そして、もう一つ──ギルドから手渡された

小さなメモを軽く振る。


そこには、

推薦された鍛冶工房の名前と住所が

書かれていた。


「今日から、それぞれ頑張ろうな。」


そう言って、俺は一人ひとりの顔を見た。


「ユニ兄も、頑張ってね!」


翠が笑顔で手を振ってくれる。


「そっちもな。」


俺も微笑み返して、

街の奥へと歩き出した。



──この世界に来てから、初めて。


それぞれが、

それぞれの目標に向かって進み出す日だ。



※ ※ ※



地図を見ながら歩くこと、三十分。


紙に書かれていた住所に辿り着いたのは、

石造りの二階建てだった。


看板はサビだらけで、

かなり年季が入ってるのがわかる。


そこには──「グレン鍛冶屋」の文字。



重たい扉を押し開けると、

鉄と油の匂い、


炭が焦げたような煙の臭いが、

一気に鼻を突いた。


耳に飛び込んできたのは、

金属を打つ音、ふいごの風音、


そして、重たい足音と怒号。


「こんにちは……あの、俺は──」


「こっちはまだ終わってねぇんだよ!

 新しいの持ってくんな!」


「それ、俺の担当分だろ!?

 目ェ腐ってんのか、

 脳みそ湧いてんのか!?」


……うわぁ、職人の戦場ってやつか。


俺は入口のところで、

公会の推薦状を手に持ったまま、

しばらく様子を見ていた。



しばらくして、

皮のエプロンをつけたヒゲ面の男が、

無表情で近づいてくる。


無言で俺の推薦状を奪い取り、

目も合わせずに────


「おい! 新人が来たぞ、バカども!」


「うわ、若っ! 

 本当にやるのか、この仕事?」


「……また二、三日で

 逃げ出すパターンじゃね?」


「見ろよ、やけに小奇麗じゃん。

 働けんの、コイツ?」


……職人って、

だいたいこんなノリなのか?



さっきのヒゲのおっさんは、

俺の推薦状をくしゃっと丸めて、

無人のカウンターに放り投げた。


「俺はグレンだ。

 用がないなら話しかけんな。

 お前は、

 周りの言うこと聞いてりゃいい。」


そう言って、背を向けて行ってしまった。


……あれが工房の主かよ。


「よろしくお願いします」

すら言えなかったんだけど。



初日の仕事は、完全に雑用係だった。


石炭を運んで、ふいごを踏んで、

鉄くずを片付けて。


職人の先輩に呼ばれたら、

言われたとおりに動くだけ。


どれも複雑な作業じゃないけど

────全部、力仕事。


正直キツい。

でも、黙ってやるしかなかった。



※ ※ ※



昼頃。 ようやく一息ついたところで

────怒鳴り声とともに呼び戻された。


目の前に、ボロボロのハサミが

「バンッ」と投げ出される。


「これはスクラップだ。

 直せるなら直せ。無理なら捨てろ。

 

 細工系の手が足りてねぇ。

 できねぇなら、また雑用だ。」


工房主────グレンのおやじは、

言葉は少ないが、

伝えたいことははっきりしていた。



俺はそのハサミを拾い上げ、

そっと開閉してみる。


──カシャン、と音がして、

途中で止まった。


錆びまくっていて、刃は欠けていて、

金具は噛み合っておらず、

本体まで曲がっている。


「お前にできんのかよ?」


隣の見習いが鼻で笑う。


「ぶっ壊してもいいさ。

 誰もこんなガラクタ気にしねぇよ。」


俺は何も言わず、静かに腰を下ろした。



バラしながら、

部品の位置を一つひとつ頭に刻みつける。


汚れと錆を丁寧に落として、

歪んだ本体を少しずつ叩いて矯正し、


最後に、刃の面を慎重に研いでいく。


額から汗が垂れて、砥石で指先が削れた。


でも、俺はただ黙々と──

余計なことは考えずに、仕上げていく。


何かを証明したいわけじゃない。

ただ────


これは俺にとって、この異世界では──


初めて自分の手で

完成させた“仕事”だった。



仕上げたハサミを

グレンのおやじに差し出すと、

彼はちらっと一瞥して、鼻を鳴らした。


「……使えそうだな。

 だったら、お前が使え。」


一瞬、意味がわからなかった。


「持ってけって言ってんだ。

 誰もこんなガラクタ欲しがらねぇよ。

 

 お前の“最初の仕事”だ。 取っとけ。」


そう言って、

おやじは背を向けて去っていった。


俺は手の中のハサミを見下ろす。


ボロいし、誰も見向きもしない。


────でもこれは、

俺がこの世界で作った、最初の“作品”だ。


……その重みを、確かに手に感じていた。



※ ※ ※



夕方、一日の作業が終わったころ。


額の汗を拭いながら工房の外に出ると──


痩せた少女が、一台のリヤカーから

大きな鉄くずの箱を

降ろそうとしているのが目に入った。


「ちょっ、それ、俺が────」


声をかけるより先に、

彼女はその箱を、

あっさりと地面に下ろしていた。


その顔が上がった瞬間、ようやく気づく。


────エルフ族の少女だ。


……やっぱり、異世界だよな……!


金色のポニーテール、

細い手首、翡翠色の瞳。


身体は中学生くらいに見える。


着ている麻の服は一回り大きくて、

ぶかぶかだった。


でも──なんとなく、

元気がなさそうにも見える。


あんなに小柄なのに、

あんな重そうなものを、

何でもないみたいに扱ってる。


……いや、普通にビビった。



「お、あのエルフ、

 今日も荷運び来てんのか。」


あまりに衝撃的な光景に、

思わず立ち止まると、


後ろから何人かの職人の声が

聞こえてきた。


「驚いたか? 

 アイツ、天職が“運び屋”なんだとよ。」


「他のエルフと違って、

 弓も撃てなきゃ魔法も使えねぇ。」


「でもまぁ、仕事は早いし真面目だよな。

 いつもサクッと終わらせてくれるし。」


俺は黙ったまま、その様子を見ていた。


彼女は何の表情も見せず、

息を乱すこともなく、

黙々と、次の箱を運んでいた。


エルフ族────


伝説では、優雅で、器用で、

魔力の扱いに長けた種族。


──けど、目の前にいるのは、

ただの荷物運びの労働者だった。


……この子も、

この世界に「選別」されたのか。


気づけば、

俺は手の中のハサミを

強く握りしめていた。



※ ※ ※



冒険者ギルドに戻ると、

ちょうど入口のところで────

みんながすでに集まっているのが見えた。


「ユニクス〜! やっと戻ってきたー!  

 めっちゃ待ってたよー!」


田村が手を振ってくる。

口には、

よくわからない果物を咥えながら。


「そっち、 どうだった?」


「まあまあかな! 

 ドリルウサギ五匹と、

 野生オオカミ一匹!」


佐野が手のひらを開いて、

魔石を見せびらかす。


「チサはずっと草むらに

 潜ってたけどな。」


長谷川が笑いながら田村の方を見る。


「違うもん! 

 矢を回収してただけだし! 

 放っといたら無くなるでしょ!」


本人は即座に反論。

小林がその肩をぽんぽんと叩く。


……そしてみんなで笑い合った。



俺はふと、隣にいる翠を見る。


彼女は静かに、

小さな布で包まれたバスケットを

胸に抱いて立っていた。


「今日、うまくいった?」


「うん……覚えることは多いけど、

 厨房のお姉さんたちが

 優しくしてくれて……」


少し疲れているようにも見えたけど、

森にいた頃に比べれば、

顔色はずっといい。


やっと──

彼女が、いつもの笑顔を見せてくれた。


「じゃあさ、街にでも行ってみようよ?  

 一日働いたんだし、

 ちょっと見て回らないと!」


「おおっ、 スイーツあるかな?」


長谷川の目が輝いた。


「私は肉串がいい!」


田村がやたらテンション高く言う。


……さっき果物食べてたよな。


佐野と小林も、

どこか浮かれたような顔をしていた。


伊賀はいつの間にか、

俺たちのすぐ後ろにいた。


……また気づかずに驚いた。何回目だよ。



※ ※ ※



七人はそのまま、

人の流れにまかせて街道へと歩き出す。


リュゼルナの夕暮れは、

とにかく賑やかだった。


料理の香ばしい匂いが路地に立ち込め、

荷物を運ぶ人、客を呼び込む声、


そして、

路上で楽器を弾く人の

歌声まで聞こえてくる。


喧騒の中を、みんなで笑いながら歩いて、

あっちを見たり、こっちを指差したり。


俺も頷いて、返事をして────

でも最初からずっと、探していた。


道具屋、雑貨屋、魔法用品を

扱うような古びた店。


もし、

あるのなら──今夜、やるべきなんだ。



いくつかの角を曲がった先。


ウィンドウに瓶や壺が並ぶ、

いかにも「怪しいものが売ってそう」な

店を見つけた。


……試してみるか。


扉を開けると、

薬草と油が混じったような

匂いが鼻をついた。


中はごちゃごちゃに物が積まれていて、

カウンターの奥では、

老婦人が本を読んでいた。


俺はそっと近づいて、声を潜めて尋ねた。


「すみません……

 髪の色を変えられる道具って、

 ありますか?」


老婆は一瞥だけして、

無言で背後の棚から瓶を取り出す。


────ドン、と音を立てて机に置いた。


「それが欲しいんだろ。変色薬だよ。」


「……塗るタイプですか?」


「飲むのも必要。

 これな──塗ればすぐに色が変わる。

 

 飲めば、

 生えてくる髪まで同じ色になる。

 

 色はランダム。

 選べない。

 永久的で、元に戻せない。」


「…………戻す方法は?」


「それは、

 頭ごと取り替えるしかないね。」


────さらっと、

とんでもないこと言うなこの人。


「一人分、いくらですか?」


「一本、金貨一枚。」


深く息を吸い込んで、俺は店を出た。



外では、みんなが路肩のスイーツ屋を

見てよだれを垂らしていた。


「なんか、あそこ美味しそうじゃない?」


俺はそのまま近づき、小声で言った。


「……染髪剤、見つけた。」


全員が一瞬でこちらを見る。

何も言わず、すぐに理解した。


「値段は?」 長谷川が聞く。


俺は指を一本立てた。


「一本、一人分、金貨一枚。」


沈黙。


「……マジかよ。」


佐野が眉を引きつらせる。


「本当だ。

 しかも永久タイプ──

 

 飲んだら、

 髪の色はその色に固定される。

 

 生え変わってもずっと。」


「そうか……」 田村が小さく息を呑む。


「高いけど……必要なことだろ。」

小林が床を見つめたまま、ぽつりと呟く。


伊賀は壁にもたれて、

もう覚悟はできていたような

目をしていた。


「見た目を変えるには、

 これしかない。

 

 ──もう、

 後戻りはできない。」


誰も、すぐには答えなかった。


全員がわかっていた。

これは──過去の自分を捨てる、

一線を越える行為だ。


俺は、最後の一言をゆっくり口にした。


「やるなら、

 今夜のうちに済ませよう。

 

 ……まだ、

 間に合ううちに。」



※ ※ ※



俺たち七人は、

にぎやかな大通りを抜けて──

路地をくぐり、

人通りのない空き地にたどり着いた。


壊れた倉庫の裏手。

壁に残った割れたガラス窓が、

かろうじて人影を映している。


人も、喧騒も遠く、夕暮れの光だけが、

木漏れ日となって差し込んでいた。


俺は懐から、 今日工房で手に入れた──

あのハサミを取り出した。


「……これで、やろうか。

 今日、自分で直したやつ。」


田村が目を輝かせて駆け寄ってくる。


まるで面白そうなオモチャを

見つけた子供みたいに。


「えっ、それ自分で直したの!? 

 マジで!? わ~見せて見せて!」


「まさか、最初に切るつもりじゃ……?」


「えへへ、イメチェンってことで~!」


そう言って、

自分の長い髪を前に垂らし、

分け目を整えて────

期待に満ちた顔でこちらを見る。


「どんな感じにしようかな~? 

 ぱっつん? それともショート?」


「偽装を、サロン気分でやるな。」


小林が腕を組んで、呆れた顔をする。


「だってさ、変身するんでしょ? 

 せっかくだから、

 可愛くしなきゃ損じゃん!」


俺はため息をつきながら、

ハサミを差し出した。


「じゃあ、動かないで。俺が────」


「やだ! 自分でやりたい!」


そう言って、

勢いよくハサミを受け取り、

ガラス窓の前へ。


「ちょっとオシャレに……

 こっちは短めで、ここはこうして……

 

 あ、意外とイケるかも?」


「もうちょい動いたら、耳ごといくぞ。」


小林がため息混じりにツッコミを入れる。


田村は髪を切り終えると、

ハサミを高く掲げて叫んだ。


「じゃじゃーん! 新しい私だよっ!   

 ……あれ、ちょっと短すぎたかも?」


窓に映る自分の姿を見て、眉をひそめる。


「なんか……小学生っぽくない……?」


「じゃ、次は変身ターイム! 

 小林くん、動画撮って!」


「スマホなんか、

 とっくに電池切れてるだろ、アホか。」


彼はため息混じりにツッコむ。


「じゃあ……あんたの目で見届けてよ。

 私の変身、ちゃんと。」


薬の瓶の蓋を開けて、

少し手に取って頭に塗る。


残りは口に含んで、一気に飲み干した。


髪がゆっくりと、

まるで陽の光に染まるように、


黒からオレンジへと変わっていく。


「完成~!」


鏡代わりのガラスに向かって、

満面の笑み。


その新しい自分の姿を、

嬉しそうに見つめていた。



……そして、不意に静かになった。



「……そっか。」


小さな声で、彼女は言った。


さっきまで輝いていた瞳から、

一気に光が抜けていく。


「私……本当に切っちゃったんだ。

 変わっちゃったんだ……」


そっと頭を撫でていた手が、

力なく落ちる。


唇を噛んで、目を伏せる。


「……私たち、

 ……もう……本当に戻れないの……?」


声がかすれて、小さくなっていく。


彼女はそのまま、

地面に座り込み、膝を抱えた。


「ただのイメチェンでしょ……

 なんで……?

 ……こんなに……胸が痛いの……」



唇が震えて、言葉は途切れがちになり、

ついに、ぽろぽろと涙がこぼれた。


小林は何か言いたげに口を開いて、

結局、小さく────


「……似合ってるよ。」


その一言が、最後の一押しだった。


彼女は顔を覆い、小さく身体を丸めて、

抑えきれない嗚咽を漏らし始めた。


小林は黙って、

彼女の背中を優しく叩き続ける。


それ以上、何も言わずに。


そして、足元には──

役目を終えたあのハサミが、

静かに横たわっていた。



「────次、私ね。」


長谷川が前に出た。


多くを語らず、

ただ無言で自分の長い髪を持ち上げて──

ハサミを握る。


パチン。


一切の迷いもなく。

一発で切った。

手元はブレず、視線も揺れなかった。


落ちた髪を見下ろし、小さく息を吐く。


「……まぁ、悪くはないかな。」


その様子を見ていた佐野の顔が、

微妙な空気になる。



「あ、じゃあ俺も……って言っても、

 切るほど無いけどさ……」


ハサミを手にしたものの、

一瞬ためらい、長谷川の方を向いた。


「なあ……ちょっと、頼んでいい?」


「ビビってんの?」


彼女はくすっと笑って、

ハサミを受け取る。


「いいから変なことすんなよ! 

 前髪だけちょっとで──」


ザクッ。


「──ひゃっ!?」


叫び声。


まるでウサギでも

殺されたかのように跳ね上がった。


「お、おまっ……切りすぎだろぉぉ!?」


「スッキリしてていいじゃん。

 似合ってるよ?」


長谷川はそう言って笑った。


────でも、その目には、

わずかに涙が浮かんでいた気がした。


「なんだよこれ……短すぎるって……!」


笑い声がこぼれて、

少しだけ空気が和らいだ。



翠は最後だった。


そっと俺の前に座り、髪を横に流す。


「……悠兄。」


声が、少し震えていた。


「私、これ切ったら……

 悠兄……私のこと……

 ……分かんなくなっちゃうかな……」


ハサミを持つ手を止め、彼女の目を見る。

そこには、不安と揺らぎが滲んでいた。


「……なんで、そんなこと聞くんだよ。」


「だって……すごく怖いの……。

 悠兄が、

 もし人混みの中で、

 私を見つけられなかったら……って。」


声はだんだん細くなり、目には涙。

手はスカートをきゅっと握り締めていた。


「……見失ったりしねぇよ。」


俺は、きっぱりと答えた。

ハサミが再び動き出す。


バランスを崩さないように、

傷つけないように────

ほんの少し、乱れた毛先だけを整える。


彼女の輪郭はそのままに。

安心も、そのままに。



髪を切り終えたあと、

俺はまず翠の髪に薬を塗る。


それから自分の頭にも。

そして、同時に────ふたりで薬を飲んだ。


「よかった……悠兄と同じ、銀白色だ……」


笑顔でそう言いながら、

その頬には一筋の涙が、

静かに流れていた。



長谷川は何も言わず、薬を髪に塗った。

──そして、水色に変わった。


彼女はガラスに映る、

自分の姿をじっと見つめていた。


言葉はなかった。長い沈黙のまま。


その間に、

髪を深緑に染めた佐野が、

気まずそうに近寄る。


「……お前さ、その、けっこう──」


返事はなかった。


彼女はガラスから目を離さず、

ただ自分を見ていた。


「お、おい……

 無言で見つめるのやめろって……

 なんか、雰囲気こえーから……」


「……今の姿、

 ちゃんと覚えておきたいの。」


彼女はそう呟いて、くるりと背を向けた。

それ以上は、何も言わなかった。



田村はまだ、地面に座り込んでいた。

小林がその後ろで、静かにそばにいる。


彼の髪は元々短く、切る必要はなかった。

薬を塗るだけで──淡い茶色へと変わった。



そして、伊賀はすでに終わっていた。


「終わった。」


それだけを呟いて、 壁際で黙々と、

深い紫色になった髪を整えていた。



髪を切り終え、薬もすべて使い切った。


七人はそれぞれ立ち上がり、

互いの姿を、静かに見つめ合った。


────この瞬間の、仲間の姿を。

しっかりと、心に焼き付けるように。


────もう、俺たちは“元の自分”じゃない。


風が空き地を吹き抜ける。


足元の髪をさらい、

そして──俺たちの「過去」までも、

連れ去っていった。



誰も多くを語らず、

静かに片付けを始めていた。


俺は黙って、足元のハサミを拾い上げる。


すると、田村がそっと近づいてきた。


目はまだ赤いけれど、その顔には、

少しだけ苦笑が浮かんでいた。


「ねえ……そのハサミ、もらってもいい?」


思わず目を見開く。


「私……弓使いでしょ?

 矢羽とか、切ったりするじゃん……。

 ……でも、

 ほんとは──すごく欲しかったの。」


俺は彼女の目を見つめてから、

ゆっくりと頷いた。


「……じゃあ、頼んだ。」


田村はそのハサミを

両手で大切に受け取ると──


まるで宝物みたいに、胸に抱きしめた。



「じゃあさ、 この機会に──


 うちら四人パーティーの

 名前決めようぜ!」


佐野が空気を変えようと、

明るく声を上げる。


その気持ちを察したのか、

長谷川も微笑んで聞いた。


「何か候補あるの?」


即答。


「ハサミ隊!」


小林は即座に切り捨てた。


「……ダサい。」


そのとき──


「アザミ。」


田村が、小さくつぶやいた。

手にしたハサミを見つめながら、続ける。


「アザミの花……

 なんか、うちらっぽい気がする。

 

 目立たないし、普通だし……でも……

 強い。」


「……アザミ。いい名前だ。」


誰も、否定しなかった。



※ ※ ※



夕陽はすでに沈み、

街の灯りが一つ、また一つと灯っていく。


俺たち七人は、

静かにギルドへと戻っていった。


騒がしくもなく、笑い声もない。

あるのは、それぞれの足音だけ。


髪の色も、髪型も、表情も、心の中も──

すべてが、少しだけ変わっていた。


俺は列の一番後ろで、夜空を見上げる。



……まだ生きてる。

ちゃんと、ここにいるよ。


陽太……お前たちは、今どこにいる?


他のみんなは──

クラスメイトたちは……

元気でいるんだろうか。



静かな夜。

俺のつぶやきに、

答えてくれる者はいなかった。


聞こえるのは、仲間たちの足音だけ。


その音だけが、静かな路地に

優しく響いていた。



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