56.新しい仕事
穂村は一旦創作活動から身を引き、転職活動をすることにした。
桐島の言葉は彼に勇気を与えた。確かに、女性は出産イベントによってブランクが発生しやすい。男の頭からはそれが抜け落ちていた。経歴にブランクが発生しているのは、自分だけではないのだ。
穂村は「書く」仕事を探し始めた。
本に関わる仕事や、ライターのような仕事はないだろうか。
この一年の桐島を見ていると、やはり自分の好きなことを仕事にするのが一番いいように思えたのだ。
穂村は自宅のパソコンから、都内のハローワークページを眺めた。
「編集者は外して……」
さすがに小説を書きながらあの仕事量をこなすのは、男の穂村にも無理だと察した。
「取次……広告……書店……このあたりかなー」
幸い四年制大学を出ているので、応募資格はある。
「でも、この業界はほとんどが都内だな」
穂村は地元から出るのをためらっていた。理由は簡単で、なるべく変化したくないからだ。持病を得てしまった今、体の負担になるような変化は避けたい。
リモートワーク可のところも当たって見る。いくつかあったので、連絡先を保存した。
「何も定年まで勤めると決めたわけじゃない。腰かけでも何でも、今はとにかく収入が必要なんだ」
穂村は思い切って何社にもメールで連絡をしてみた。都会は若い人材が枯渇しているらしく、あっという間に穂村のメールボックスは企業からのラブコールで溢れ返った。
「おっ……!ちょっと前より、だいぶ入れ食い状態だな」
穂村が新卒で活動していた時より、企業は人材確保への見境が無くなっている。穂村はこれ幸いに、面談の予約を入れて行った。
来月は都内に出る機会が多そうだ。
メールボックスを見返しながらスケジュール帳に面談の予定を書き込んでいた、そんな時。
穂村は見覚えのある企業からのメッセージを発見した。
「……ん?」
その瞬間、彼はすがりつくように本文をクリックしていた。
「……えっ!?嘘だろ……」
そこに書かれていたのは──
あれから半年の月日が過ぎ去った。
あれ以降、エンドレス・ファイアーからの連絡は途絶えてしまった。
桐島は更新のない彼のページを見、そっと閉じた。転生捜査官も、更新されていないままだ。
きっと現実が忙しいのだろう。転職活動中なのか、あるいは転職を遂げて一番忙しい時期にあるのかもしれない。
再び冬の季節がやって来て、それも通り過ぎ、東京はそろそろ春になろうとしている。
香川がホットティーの缶を持って編集部に戻って来た。
「はい、桐島さん。差し入れ」
「わ!ありがとー!」
温かいミルクティーを口に含むと、疲れた脳に糖分が行き渡る。
「は~、午後も頑張ろうっと」
「ねぇ、そろそろ発表だよね。エンドレス・ファイアーさん」
「あー……えっ?」
桐島は怪訝な顔で尋ねた。
「何?発表?どういうこと?」
彼女のその顔に、更に驚いたのは香川の方だった。
「うそ。……桐島さん、ファイアーさんのTwitterまだフォローしてないの?」
あの作家がX(旧Twitter)を開設したことなど、聞いていない。
「!だってファイアーさんはSNSの類は何もやってなかったはずよ」
「それが、始めたんだよ。昨日から開設したの」
「ちょっ……何で香川さんがそれを知ってるのよ」
「篠原君に聞いたんだも~ん」
桐島は呆気に取られた。
「え!?篠原……?」
「忘れちゃった?角泉社の篠原君」
「!」
「あ、思い出したって顔してる。12時に発表だよ~。見てごらん」
桐島はXのアプリを開くと、慌てて彼のペンネームを検索した。
そこに書かれていたのは──
『書籍化決定のお知らせ
〝転生捜査官~冴えないおっさん刑事は推理力で異世界を無双する~〟
4/12、角泉社より発売予定!現在予約受付中です』
桐島はそれを見て叫んだ。
「わああああ!ファイアーさんおめでとー!」
隣で香川がにやついている。
「今日が情報解禁予定日だったんだよ。だから桐島さんは知らなかったんだよね」
「ん?まさか香川さんは、知ってた……?」
「まあね。篠原君から〝ここだけの話……〟ってのは聞いてた。角泉社が〝転生捜査官〟に書籍化打診するって」
「す、すごい……!」
桐島は彼の文を何度も読み返しながら、肩の力が抜けた。
努力が実る瞬間を見た。
ひとりの作家が、絶望という泥の沼から這い上がって、再び全てを跳ねのけて咲き始めるのを──
桐島は静かに、余韻に浸るように、温かいミルクティーを口に含んだ。
「ふふっ……やったぁ」
自分のことのように嬉しい。
幸福の予感があったので、桐島はメールボックスをカチリと開けた。
やはりだ。穂村からメールが入っている──
『桐島乙葉様
お久しぶりです。エンドレス・ファイアーです。
桐島さんのおかげで〝転生捜査官〟が書籍化しました。
その節は大変お世話になりました。ありがとうございました!
【追伸】売れたら赤坂で焼肉奢ります!』
桐島はそれを読むと、微笑みながらごしごしと目をこすった。




