51.創作の燃料
「だから、そんな悲しいこと言わないでください」
穂村の言葉に桐島は小さく頷いたが、
「私……何だか最近、仕事に余り手ごたえを感じていなくて」
と吐露し始めたので、穂村は姿勢を正して少し前のめりに聞く。
「家族もこの仕事をあまりよく思っていないし、作家さんとの距離感も、最近はコロナのせいもあって特に取りづらいです。事務作業も改稿も、作家さんには見えにくい作業ですし……私たちが前に出て役に立つことといえば、何かあった時矢面に立つか、作家さんの話し相手になることだけ。それなのに、最近それも拒否されがちで。たまに〝自分は一体何をやっているのかな?〟って思うこともあります」
穂村はコーヒーに顔を映し、じっと考えてから言った。
「いい意味でも悪い意味でも、便利な世の中になったってことですよね」
「……」
「でも結局どんな作品だって、人間が作って人間が買うわけですから、今のこの話し合いとか作業とかは、絶対作品に反映されているはずです。作家さんはみんな口下手で感謝や要望をこまめに言わないから、ちょっとすれ違ってるだけですよ。変な話、会った回数がお互いの信用度を上げることってあるじゃないですか。そりゃ、時には不信に傾いちゃうこともありますけど……それでも、お互いに掘り下げ合った部分っていうのは、お互いの中から消えることはないはずです」
桐島は小さく頷いている。
「僕もですけど、編集者とのやり取りはどうしても事務的になります。パソコンとか電話とか、機械を通すからですけど。実際、新宿で会った時は驚きましたもん。編集者って、ヒトなんだ……って」
「ふふふ。そんな……人を未知の生物みたいに」
「いや、冗談抜きでそんな感じですよ。でもそれは、やっぱり作家も編集者も気を付けなきゃいけないことなんだと思います。どちらも同じように傷つく心を持った人間なんだって、理解し合わないと。僕は実際に桐島さんと会って、よかったと思ってますよ。やっぱり桐島さんのおっしゃる通り、話すだけで前に進みましたから。それだけは、どーしてもお伝えしたいです」
「……はい」
桐島はようやく笑顔になった。
「すいません、私ったら……急に愚痴っちゃって」
「いえいえ。生身の人間ですから愚痴りたくなることもあるでしょ。僕はそういうの、全然大丈夫です」
「そうですか……」
「とりあえず──話を小説に戻しますけど──これは一旦持ち帰ります。もっといい設定を考えないと、商業ラインには乗らないということですね?」
「はい。そういうことになります」
桐島がようやく編集者らしさを取り戻したので、穂村はあえて勝気に言った。
「分かりました。こうして桐島さんにアドバイス貰ったんですから、僕は絶対に売れて見せます!」
「本当ですか?頼もしいですね」
「見ててください。もし僕が売れた暁には、桐島さんには星野仙一ばりに〝ファイアーはわしが育てた〟って吹聴する権利を与えますから」
「え?そんなことより印税1%よこして下さい」
「すみません……おっしゃっている意味がよくわかりません!」
二人でゲラゲラ笑い合うと、どことなくお互いが抱えていた心のざわつきは収まった。
「すみません、わざわざ東京にお越しいただいて」
「いえいえ、それは僕のセリフですよ!また会っていただけます?」
「いいですよ」
「次こそは桐島さんのGOサインをもらいに行きます」
「期待してお待ちしてますね!」
二人は喫茶店を出ると、新宿駅東口で別れた。
桐島は本社ビルに向かって歩きながら、ちょっと顔を赤くする。
(しまった……私ったら、つい作家さんの厚意に甘えて弱音を)
グレースなどもそうだが、たまにとんでもなく他者の心への解像度が高い作家がいる。エンドレス・ファイアーもそのタイプなのだろう。
(やっぱり、会ってみないと分からないことが多すぎる。どんなに通信手段が発達したって)
ようやく自分と同じくらいの熱量でもって小説を書いてくれる作家が戻って来てくれて、桐島は内心わくわくしていた。
桐島は交差点の信号を渡りながら、穂村の言葉を思い出す。
〝お互いに掘り下げ合った部分っていうのは、お互いの中から消えることはないはずです〟
(きっとファイアーさんは、またいい作品を書いてくれるはず)
あの作家は、作品に対してかなりの熱量を持っている。何もかもを糧にして、酸いも甘いも全部取り込んで、次の作品の燃料にするのだろう。そんな気がした。
桐島はビルの狭間から初夏の空を見上げた。
ようやく書けるようになって這い上がって来たひよっこ作家エンドレス・ファイアーが、どこまで行けるのか見ておきたい。
(ファイアーさんが頑張ってくれたら、私もきっと頑張れる。……そんな気がする)




