50.黒桐島/白桐島
二週間後。
都内の喫茶店で、桐島は穂村のスマートフォンとにらめっこしていた。
穂村はコーヒーを飲みながら、固唾を飲んでその様子を見守っている。桐島は穂村がなろうの編集画面で書き溜めた5万字をとんでもない速さで読んでしまうと、はっきりと言った。
「主人公の目的がよく分かりません。友人に誘われていきなり無人島に行くのも疑問が湧きますし、主人公のみならず登場人物みんなが〝よくわからないけど面白そうだから来た〟とか言ってるのもよく分かりません。その島になぜ集まったのかがよく分からないし、その島から脱出したからどうなのかも冒頭で示されていないと、読者は一話で切ります。この小説は読者が一話から先に進むための動機が何も用意されていないのです。なろうならまだ読者がいるかもしれませんが、出版社から出す小説っていうのはお金を払って読ませるものですから、この冒頭では読者が買う動機に足りえません。そういうわけで全部見直しして下さい。トリックは後付けでも書けますが、人物描写は積み重ねですので一話で方向性を間違えるとその時点で詰みです」
穂村は愕然とした。
彼が当初桐島に思い描いていた、鬼編集の姿がそこにある。
「き、厳しっ……」
「そうですか?」
「〝後宮祈祷師〟の時は優しかったのに……」
「ふふっ。〝後宮祈祷師〟は完成された出来のいいお話でしたから、誉め言葉以外何も言うことがなかった、というだけですよ。これは主人公の動機作りがイマイチですし、私どもが絶対に打診はしないストーリー運びなので、そのままの感想をお伝えさせていただきますね」
桐島はそう言ってにっこりと微笑んだ。いい話にはいい話だと言い、悪い話には悪い話だと言う。桐島からすると、それだけのことなのだ。
穂村はがっかりしたが、桐島が物語の評論に関しては遠慮や忖度をしないことが分かったので、それはそれとしていい方向に受け止めることにした。
「何か、前も似たようなことを言われた気がするんですが……」
「あ、そうなんですか?誰に?」
「そうだ。確か感想欄の、明石のり男さんに」
桐島はアイスティーを飲みながら、静かに考え込んだ。
「どういったことですか?」
「えーっと、確か主人公の動機が薄いって」
「……」
「あれ以来、明石のり男さんに会ってないなぁ。桐島さん、最近は、明石さんとはどうですか?」
桐島は、あえて笑顔で答えた。
「私も最終巻を出して以降、全く連絡は取っていないです」
「そうなんですか」
「最後に、打ち上げでも……って誘ってみたんですけど、断られちゃいました」
二人は少し静かに明石のり男を回想してから、同じことを考えた。
「ファイアーさんみたいに書き続けるって、意外と皆さん出来ないんですよ」
「あ、明石さん、僕にもそんなこと言ってましたよ」
「そうですか……」
「長い時間書き続けるのは、才能だって。そして、明石さん御自身は、書き続ける才能は持っていないとおっしゃって」
桐島は頷いた。
「本当に、そうですね。だから私、ファイアーさんを引き止めたんです」
穂村は首をひねる。
「……どういうことですか?」
「明石さんみたいな作家さん、沢山いらっしゃるんですよ。記念に出したいとか、人生で一冊は出したいとか、お金欲しさにとか、出版社に言われたから何となくとか……皆さんが本に乗せる希望は様々です」
「へー」
「でも、ファイアーさんは続刊したがったし、打ち切りに怒ってた。それは多分、たくさん出版したいって気持ちの裏返しなんじゃないかなって」
確かにそう言われてみれば、そうなのかもしれない。
「なるほど……考えた事なかったです」
「変な話ですが、あの時は怒りをぶつけられて、私も本当に腹を立てました。……でも、ファイアーさんがめちゃくちゃ本気だったってことは伝わりましたよ。あの時、悔しさを隠そうとしなかったですよね?」
「お恥ずかしながら、悔しさを口に出さなければ心が壊れるんじゃないかという気がして」
穂村の偽らざる本音だった。桐島はハッと顔を上げる。
「そ、そうだったんですか……」
「今思えば、甘えてたんですね桐島さんに。だってこの悔しさを受け止めてくれる人は、目の前の編集者しかいなかったじゃないですか」
「……」
「それに、あの時桐島さんに引き止めてもらえなかったら、僕は書くのを辞めていたと思います。今だから言えますけど、創作者にとって、話し相手がいるっていうのは大事なことなんですきっと」
「……」
「今は、僕の初めての書籍の編集者が桐島さんで、本当によかったと思ってます」
桐島は穂村の素直な言葉を受け、どこか決まり悪そうに笑う。
「……そう言っていただけてよかったです。打ち切りになってしまった時は、どうしようかと……編集者なんか売り上げに関しては基本的に無力ですから」
「たとえそうだとしても、やっぱり気分の落ちた作家を引っ張り出す仕事は、一番近くにいる編集者にしか出来ないことだと思いますよ」
「でも、今やあまりそれも出来ていなくて。だから編集者なんてものは、これからの時代いらなくなると思います」
「……えっ?」
穂村はどきりとした。突然彼女は何を言い出すのだろう。
恐る恐る桐島の顔を覗き込むと、そこには今まで見たことのない沈鬱な表情の彼女がいる。穂村はその意見には同意しかねた。
「……いらないわけ、ないじゃないですか」
「そうですか?作家さんからすれば、売り上げランキングや書店POSを見れば流行りの分析なんてすぐ出来ますし、イラストレーターさんの依頼だってSNSを通じて出来る。アイデア出しはAIがやってくれるし、校正さんだって、依頼すれば出来てしまう。インターネットの発達によって、実は作家さんひとりの力で出版が出来る時代になっているんです。将来的に、編集者は出版界には不要になって行くと思います」
「……」
確かに、それも出版界の未来のひとつと言えないこともないが……。
穂村はじっと考え、あえてこう言った。
「もし誰かには必要ないとしても、今の僕には桐島さんが必要ですよ」




