44.才能は、あります!
それから二週間後の、19日。
穂村は、久々に東京行きの上り列車に乗っていた。
冬の冷え込みが緩和し、急に暖かくなった今日。桜の開花も騒がれ始め、穂村は私服の学生たちが浮かれながら電車を降りて行くのを何度も見送る。
春の夕方の新宿駅には、人を招くようなまったりとした空気が流れていた。
「ファイアーさん!」
思ったよりも早く来ていた桐島が、改札の向こうから手を振っている。穂村はちょっと恥ずかしくなった。
「……どうも」
「あれ?ファイアーさん、随分痩せましたね?」
「……」
穂村は苦笑いした。半分そっちのせい、と言いたいところをぐっと飲み込む。
「じゃあ、行きましょうか。美味しい割烹居酒屋さんがあるんですよ!」
「……はいっ」
桐島は先を行き、穂村はまたしても子鴨のようについて行った。
新宿の地下へ下りて行くと、石畳の続く居酒屋が見えて来る。靴を脱ぐと、座敷の半個室に案内された。
「ここ、日本酒が豊富なんですよ!わたし鬼ころしで。ファイアーさんは?」
「僕は……お酒いらないです。お茶でお願いします」
桐島が心配そうに穂村を見つめている。
「病気……っておっしゃってましたけど、どうなさったんですか?」
穂村はなるべく安心させるように笑ってから答えた。
「メニエール病でぶっ倒れまして」
「あっ、それ、私の友達にもいました。眩暈がするやつですよね?」
「それです。それがあって……仕事を辞めちゃって」
お通しの生湯葉とドリンクが運ばれて来る。
「とりあえず、全部忘れて乾杯しましょうっ」
桐島が取りなすようにそう言って、グラスを掲げた。
「どうにかなれ~!乾杯!」
謎の掛け声に、穂村は思わず笑ってしまった。
「でも、辞めるだなんて思い切りましたね」
「まあ……病気以外にも、色々ありまして」
「あのう。お聞きしても……?」
穂村は思い出したくもなかったが、編集者の桐島にこそ吐き出さなければいけないことのような気がした。
「会社には副業申請をして〝後宮祈祷師〟を出版したわけなんですが」
「ああ、はい」
「病気になって、倒れて、入院して……それでも最初は職場復帰を望んでいたんです。ですが、社長から〝こんなものを書いているから倒れたんじゃないか〟って、詰められまして」
桐島の顔色がさっと白くなった。
「えっ?〝こんなもの〟?」
「小説を書くなんていう遊びにかまけているから病気になったんだろう、って言われました」
「は……はああああああ!?」
桐島の手の中で、鬼ころしが激しく揺れている。
「よくも、そんなっ……」
「副業申請の取り消しを匂わされて、本当に……腹が立って」
「そんな職場!辞めて正解ですっ!」
そう言い切るや、桐島はきゅうっと酒をあおった。そしてまっすぐ穂村を見据える。
「そして今も、無職……?」
「そうなんですよ」
すると桐島は前のめりになって言った。
「ファイアーさんっ。書きましょう、小説!」
穂村はどきりとして顔を上げた。
「いや……あはは。実はもう書けなくなってて、無理なんですよ」
「見返してやりましょうよ!腹立つぅ」
「無理です。最近は本屋にも……図書館にも入れなくなっちゃって」
桐島の眉が八の字に垂れた。
「ファイアーさん……」
「なんか、全部の本が眩しいんですよね。希望そのものって感じがして。僕はその希望から弾かれた側なんです。だから、もう書く気が起こりません」
「……」
「才能がなかったんですよ。もうこれはしょうがないことです」
胡麻豆腐と山菜揚げの盛り合わせが運ばれて来る。桐島はそれをつまんで口に運ぶと、じっと考えて次の言葉を紡いだ。
「ファイアーさんは才能、ありますよ」
穂村の表情はぐっと沈んだ。
「適当抜かさないでくださいよ。才能があったら、売れてるはず……」
「ファイアーさん、出版社から小説を一冊でも出したことがある作家って、日本にどれぐらいいると思います?」
穂村は怪訝な顔になった。
「そりゃ、いっぱいいるでしょうよ」
「いいえ、そんなにいません。なろうを想像してみてください。10万字以上書いて、尚且つきれいに完結した人ってどれぐらいいますか?あまりいないな、って印象だと思いますが」
「まあ、ねえ……」
「これだけで、相当な才能があるんです。だって、私なんか完結はおろか、十万字書くことも、物語を起承転結でつくることも出来ないんですよ。これが出来るのは、なろうに登録している人でも一握り。その中でも誰かに読ませて〝面白いな〟と思わせられる作家さんはもっと少ない。更に、出版社からオファーかけられるぐらいのレベルに達している人は……ピラミッドの頂点、ここ!」
桐島は両の指で三角形を作って見せた。そして、それをぎゅうっと握り潰す。
「砂粒程度しかいないんです。だから、私たち編集者はランキングを見る。そのレベルに達している人が、余りにもいないから。ファイアーさんは、そんな貴重な作家さんのひとりなんですよ!」