43.印税振込先の変更
見慣れない封筒の差出人は──農協だった。
穂村は封を切って開けると、中に入っていた手紙を読んだ。
「ふーん……農協北野支店と二宮支店が統合かぁ」
どうやら近隣の農協支店ふたつが統合し、北支店と名称変更するようである。穂村は二宮支店の通帳を持っているので、通知が来たのだろう。
穂村はそれで気がついた。
「あっ」
ペンドリー出版の印税は、農協二宮支店の口座に振り込まれているのだ。今後電子分も振り込まれる予定なので、振込先名称の変更を伝えなければならない。
「桐島さんに伝えなきゃ」
穂村がペンドリー出版と繋がる全ての窓口は桐島が担っている。契約に関することなので、なるべく早く伝えるべきだろう。
「えーっと……四月から支店の名称変更、っと」
穂村は久々に桐島にメールを送信した。続刊しなければ、もう出版社とはこれぐらいのやりとりしかない。
「これでよし」
穂村は水着を用意すると、いつものようにスイミングスクールに出掛けて行った。
その頃。
桐島は久しぶりに穂村からメールを受け取って、ふむと呟いた。
「振込先の名称が変更、か……」
非常に業務的なメールである。
あれからエンドレス・ファイアーは一作品もなろうに上げていない。やはり彼は筆を折ってしまったのだろうか。
桐島はずっと、喧嘩別れのようになってしまったこの作家との現状をどうにか打破したいと思っていた。
単純に、才能がもったいないからである。
編集者も一般の読者と同じで、やはり手ごたえのある作品や気に入った作品を書いてくれる作家を応援したい気持ちがある。ファイアーは売れなかったにせよ、桐島にとっては応援したくなる作家のひとりだった。
色々と考え、桐島は返信した。
『振込先の名称変更の件、了解しました。ちなみにペンドリー出版では、刊行から一年以内の作家さんであれば経費でお食事など出来ますよ。東京にお越しの際は、ぜひご一報ください』
現状ではこれが精一杯だろう。下手に言葉を重ねて、これ以上関係をこじらせるわけにもいかない。たまには食事でも、と誘い出すのがせいぜいだ。
作家が立ち直る方法は、結局のところ作家しか持ち合わせていない。
「さ、仕事仕事」
桐島は振り切るように改稿提案作業に没頭した。
穂村はスイミングスクール帰りの駐車場で、桐島からのメールに気づいた。
「へー。一年以内なら、ご飯奢ってくれるの……?」
初めて聞く話だった。最近の彼は無職のため節約しようとろくな食事を取っていない上、薬の副作用で体重が以前より5キロも減っている。
穂村は桐島との食事を思い出した。
「串焼き……」
ぐううう、とやせ細った腹が鳴る。
「はー、最近腹いっぱい食べてないな」
メニエール病特有の眩暈も、食欲を落としている原因だった。
泳いでも泳いでもよくならない体。
穂村はハッとした。
「もしかしたら、もっといいものを食べるべきなのかな?」
穂村は無職特有の自由な時間で、思考を自由に巡らせた。
「……あー、そうかも」
どうせ無職で、何の変わり映えもしない毎日だ。売れない作家とはいえ一応は仕事をこなしたわけだし、編集者に奢ってもらうぐらいの特典は享受してもいいだろう。
「まあいいや。暇だし、せっかく作家業に足突っ込んだんだから、たまには作家っぽいことをしてみるか」
穂村は返信する。
『食事、いいですね!今、病気して無職になっちゃって暇なんです。是非お会いしたいです。三月で暇な土日ってありますか?桐島さんはお忙しいでしょうから、予定はこっちが合わせますよ』
送信すると、久々に穂村は少し笑った。なぜだろう。誰かと会う約束を取り付けるだけで、彼の中に謎の新しい力が湧いて来た。
「そういや、人と話してないな……最近」
穂村は車を運転し、家へと帰って行く。春めいて来た日差しで、車の中にもどこか春が溢れている。
一方、桐島は返って来たメールを見て真っ青になっていた。
「えっ!?病気で無職……!?」
初めて聞く話だ。もしかしたら穂村は〝書かなかった〟のではなく、その後病気に見舞われて〝書けなくなっていた〟のかもしれない。
「でも東京に出て来れるし、食事はしたいの……?」
あちらの近況がよく分からない。だが、桐島が思っていたより事態は深刻なようだ。
「これは、会って話した方がいいわね……」
困難な状況の中でも〝会いたい〟という意思を示して来るのは、何らかのSOSが隠れているように思えた。
「どんなものが食べられるのかな?ちょっと聞いてみようっと」
穂村に食べたいものを問うと、『美味しいものなら何でも』というしょうもない答えが返って来る。
ますます分からないが、とにかく美味しいものが食べたいのだろう。
『3月なら19日が空いてますよ。お店、リサーチしてまたご連絡しますね!』




