34.闇堕ち
〝君は小説家になれない〟
あの言葉は、本当にその通りだった。
きっとあの大作家は、自分の才能の無さを見抜いていたに違いない。今後どんなに頑張ろうがこのように叩き落されるであろうことを見越して、あえて傷の浅い若い内にあのようにハッキリと言ってくれたのだ。
(今思えば、あれは大作家なりの優しさだったのかもしれないな)
傷心の穂村は、次第にそう考えるようになっていた。
たまにAmazonなどの書籍販売サイトを覗くと、読者からの反応が書かれている。
『あんまりない感じの物語で、楽しかった。続きが楽しみです♪早く二巻が出ないかな~』
「出ませーん」
そう言うと、穂村はちっとも面白くなさそうにスマホを伏せた。
穂村は小説への意欲をすっかり失くしてしまった。様々な媒体からWeb小説の情報が入っては来るが、どれもこれも「その内打ち切りになるんだろうな」と思うとどうでもよくなって来る。
しかし、そんな彼にも少し困ったことが起こっていた。
工場の帰りに、穂村はいつものように書店に寄った。もうラノベはこりごりだったので、久々に純文学でも読もうかと思ったのだ。
軽自動車を降り、日が落ちた寒い中、彼はマフラーを巻きながら書店へと歩き出す。
ウイーン。
開いた自動扉の向こうへ、我先にと小さな蛾が飛んで行く。
穂村はそれを眺めてから、自身の異変に気付いた。
足を前に出そうとも、まるで力が入らない。
「あれ?……おかしいな」
書店には、出版されたばかりの本が燦然と輝いている。ハイビームに目をやられ道路に立ち尽くす夜の小動物のように、彼はなぜか小一時間ただそこに立ち尽くしていた。
穂村はそんな自分をこう分析した。
「……飽きたのかな、本に」
くるりと踵を返し軽自動車に乗り込むと、彼は自宅へ帰って行った。
金曜の夜。明日は仕事も休みである。それなのに読書が出来ないとなると、全ての時間を本に割いて来た穂村には何もやることがなかった。
「うーん、今日は買う気が起こらなかっただけかな……」
穂村は気を取り直し、明日は図書館に行ってみようと考えた。車で片道30分と少々遠いが、無料で読める本があれば、きっとすぐに色々借りたくなるはずだ。
しかし、次の日。
ようやくたどり着いた図書館にも、穂村は足を踏み入れられなかったのである。
図書館の自動扉の前に立ち尽くす穂村の横を、利用者たちは怪訝な顔で見ながら通り過ぎていく。
彼は冷や汗をかいた。
(……おかしい)
足が驚くほど重い。そこだけ違う磁場が働いているかのようだ。
本以外で、穂村が楽しめるものは特にない。執筆と読書は、彼の唯一の文化だった。これが出来ないとなると、これから自分は一体何を生きがいに生活すればいいのだろう。
穂村は愕然と図書館を離れた。その敷地から出ると、驚くほど体は軽くなる。
「……しょうがない」
軽自動車に乗り込むなり、穂村は呟いた。
「しばらくこんな感じか……あと今からやれることといったら、テレビ観るぐらいしかないな」
本を読めない人生とは、何と単調でつまらないものなのであろうか。
「あーあ、書籍化打診なんか受けるんじゃなかった。こんな感じになるって分かってたら、絶対出版なんかしなかったのに」
貴重な趣味のひとつを失い、穂村は腹立ちまぎれにひとりごちた。
「ま、最近は仕事が忙しいし……食っちゃ寝でもするかな」
そうは言ったが本を読まない生活にまるで慣れないので、彼は内心焦りを感じていた。
穂村は全てを諦め、とにかく仕事をすることに決めた。
公募10年、子供の頃から書き続けて20年。ここまでやってまるで芽が出なかったのだから、諦めるしかないだろう。
桐島には悪いことをしたと思っている。
でもあの時ああ言わなければ、穂村の心は完全に壊れてしまっていただろう。あの苦しみを口に出さずひとりで抱えることは、あの時は難しかった。
それから、あれを最後に書かないでいることが、〝後宮祈祷師〟への供養だと思われた。
穂村は亀岡化学工業が隅田プラ工業を買い上げるに伴い、次々とやって来る仕事を無心にこなした。悲しいことに、小説を読まなければ、書かなければ、いつもより疲れることなく仕事が捗る。これが本来の自分の仕事ぶりなのだ、と穂村は思った。
(小説にかまけている時間をもっと別のことに充てていれば、もっといい大学に行けて、こんなところじゃなくて都会の大企業なんかで働けていたんだろうな……)
才能がないくせに、小説なんかにしがみついたのが失敗だった。
(でもこういう人、巷に沢山いるんだろうな……)
全部諦めると、思いのほか楽に生きられる。
穂村は残業の毎日をこなしながら〝何でもない日々〟を送った。
才能のない自分には、こんな何の変哲もない日常を送ることが最適解のように思われた。
(もう、悪あがきはしない。高望みもしない。死なないように生きるだけだ)