33.自分だけが悔しいと思わないでください
約束の土曜がやって来た。
最近は食欲も失せ、やつれた穂村は鳴って来た電話を手に取った。
「……はい」
「ファイアーさんですか?」
「はい……」
緊張しているらしい桐島の声を受け、彼も何を言えばいいのか分からなかった。
「あのっ」
桐島がつんのめるようにして言う。
「私どもの力が及ばず……本当に申し訳ありませんでした」
穂村は歯噛みする。
「桐島さんが謝ることじゃないですよ」
「で、でも……」
「謝るのはこっちです。売れない、つまらない話を書いてしまってすみませんでした」
電話の向こうは一瞬静かになった。が、
「つまらない話ではないです。とても素晴らしいお話でした」
などと桐島が言うので、穂村はカチンと来た。
「素晴らしい話だったら、どうして売れなかったんですか?おかしなこと言わないで下さい」
再び静寂がおとずれる。
絞り出すように桐島は言った。
「運が悪かっただけです」
穂村はふんと自嘲するように鼻を鳴らした。
「運なんて実体のない話はよしてください。これが僕の実力だったんです」
「いえ、10月は思った以上に後宮ものが出てしまいました。タイミングを各社申し合わせているわけではないので、これは避けようがありませんでした」
「その中でも、いい出来だったら売れているはずでしょ」
桐島はまた間を置いて告げた。
「素晴らしい出来でも、売れなかった本はいっぱいあります」
穂村は思いがけない話が出て、黙って聞く。
「私の担当作で売れなかった本はいくらでもあります。どれも作家さんの渾身の作品で、素晴らしい本でした。それが売れなかったのは作家さんのせいではありません。売れなかったのは出版社の責任です」
穂村は彼女の自責的な発言にあえて反論した。
「その責任を負うのは出版社であると?その割にすぐ打ち切って、作品を全うするという責任は負いませんよね」
「一巻以上に二巻以降が売れる本は、ほぼ存在しませんので……」
「数字としてはそうでしょうね。でも、出版社は作品を物語として考えられないんですか?いつもそうやってラストまで書かせずに打ち切りばっかりやっているから、ライトノベルは市場が縮小しているんじゃないですか」
「……!」
「その理論だと〝どんどん盛り上がって行く話は一巻より売れないから書かない〟という結論になりますよ。だから最近のラノベって、ありきたりな出だしで一点突破するしかない有象無象ばかりだと馬鹿にされるんじゃないですか?」
二人の間が静まり返る。
桐島が口火を切った。
「……今、何て言いました?」
その声は震えている。穂村は繰り返した。
「ラノベが有象無象ばかりで馬鹿にされてるって話ですか?」
「それです!今すぐ訂正してください!」
穂村は言葉に詰まる。確かに、この言葉は穂村にもブーメランとなって返って来る言葉だった。
「私は本気でライトノベルの仕事をしています!仮にも作家であるあなたがラノベを否定するなら、私は何のために今までこの仕事をして来たんですか?私だって出版社だって、〝後宮祈祷師〟は絶対売れるって思ってやって来ました!二巻、三巻と続くだろうって……結果が伴わなかったとしても、その作品に関わった人たちや業界全体を否定したりするのはやめてください。こちらを愚弄する言葉です、それは!」
しかし穂村も苛立ちを抑えられない。
「作家にとってはね、作品は自分の子どもと一緒なんです!それを真っ二つに切ってあとは捨てて〝残念でした、完成しなかったのは運が悪かったですね〟なんて言われても、正気じゃいられないんですよ!」
桐島はきっぱりと言った。
「商業はどうしても利益優先です。売れない本は出せません」
「それはそうでしょうけど、ライトノベルのあの打ち切り率の高さはどうにかならないんですか?嬉々として一巻を買って続きを楽しみにしていたのに続きが出ないことがザラで、最近は僕だってラノベを買うことを避けている状況なんですが」
「申し訳ないですが……それが商業です。ご理解ください」
取りつく島もない。穂村は諦めの境地で言った。
「そっちはそれで終わらせられるからいいんでしょうね。でも僕たち作家は、この一件でずっと苦しみ続けるんです」
「……」
「売れなかった辛さを、ずっとひとりで抱えて苦しむんです。桐島さんは、〝利益を出すために〟次の仕事に取り掛かればいいだけでしょうけど」
再び静かになってから──桐島はうめくように言った。
「ファイアーさん。もしかして……今苦しんでるのは自分だけと思っていらっしゃる?」
穂村は目を丸くした。桐島は声を震わせている。
「悔しくて、苦しいのは私も同じです。私もこの作品が大好きでした。自分ばかりが悔しいと思わないでください。売れなくて、辛いのは、私だって同じ気持ちなんです!」
穂村は急に怒りがしぼんで行くのを感じていた。
同時に、彼の心の中で何かがぷつりと音を立てて切れてしまう。
「桐島さん……そうですか」
「だから、あの……私、ファイアーさんには今後もっとお話を書いてもらいたいと思っていて」
「……」
「えーっと、なろうで新作を待っている読者もきっと」
「すみませんでした」
「……えっ?」
「打ち切り、了解しました。では、別の用があるのでもうこれで」
「!ファイアーさん……」
穂村は一方的に電話を切った。
彼の中で、わだかまっていたものが何もかも消え去ったような気がした。
何をどうあがいても、あの作品は打ち切られて終了したのだ。文句を言ってもわめいても、今更何も変わらない。売り上げられなければ、人気が出なければ、どんなにお互い心血を注いでも、こんな風に編集者と喚き散らし合いながら作品を終了するしかない。
商業出版を目指す限り、このサイクル、この苦しみからは絶対に逃れられないのだ──
穂村は仰向けにごろんと転がって、ぽつりと呟いた。
「もうやめよ……書くの」