32.運に見放された作家
※嘔吐描写注意
営業部に行った桐島は、しばらくしてから真っ青な顔で編集部に帰って来た。
〝後宮祈祷師〟が、全然売れていないというのだ。
営業から見せられたデータは、驚きの内容だった。〝後宮祈祷師〟は、近年稀に見る売り上げの低さを叩き出していたのだ。
「……どうして?」
桐島は書店で見た後宮モノ小説を思い出す。先月は、どの社も一気に後宮モノを出版していた。もしかしたら供給がありすぎて、新人の穂村の作品は手に取られなかったのかもしれない。
「どうして……」
とてもいい話だった。
かわいい表紙だった。
けれどそういった書籍の出来に関わらず、二週間~二か月間までに読者に買われなければ全てが終わりなのである。
出版は残酷だ。売れるための確実な方法は何もない。宣伝が功を奏すことも、意外とない。編集者が〝これは〟と思って書籍にしたものを、とりあえず市場に出してみるしかないのが実情だ。あとは運を天に任せるだけなのだ。
文字通り頭を抱えている桐島を心配して、香川が声をかけて来る。
「後宮祈祷師のこと?」
「……うん。続刊不可だって」
「え!あんなにいい話でいい表紙なのに?」
「……ダメだった」
「んー。運が悪かったとしか言いようがないよ。先月は後宮モノが大漁だったからね」
「……」
運が悪かった。
確かに出版社としてはそれで片付けられるのかもしれない。だが、作家にとってそんな言葉は何の慰めにもならない。
桐島はうつむきながら言う。
「とにかくやれることをやろうと思って、営業さんに掛け合って試し読みを増やしてもらおうと思ったんだけど」
「うん……」
「あそこまで売り上げが悪いと、一応販売サイトには掛け合ってみるけど、もうこっちで出来ることはないって」
「ああ……」
新刊本は、二か月も経つと棚刺し分を残してあとは返本されてしまう。そうなると、それ以降は殆ど売れなくなってしまうのだ。
電子書籍は、大抵紙の本の十分の一しか売れない。売り上げ回復の見込みはない。詰みである。
香川が続けて尋ねた。
「あれ?〝後宮祈祷師〟は二巻確約だっけ……?」
「ううん」
「……えっ、あ、そっか。じゃあ」
「打ち切りになるの」
「……」
「一巻で終了。あれじゃあ巻き返しようがないって言われた……」
デスクに突っ伏す桐島の背を、香川がぽんぽんと叩く。
「しょうがない、そんなこともあるよ」
「……」
「感動のラストを見せられないのは勿体なかったね」
「……」
編集者にとっては〝そんなこともある〟で済ませられるが──
桐島は穂村の言葉を思い出した。
『自分を信じてやって来たことは、無駄にならなかったんだなって』
(そう言ってくれたのに……)
桐島は思う。作家エンドレス・ファイアーのために、出来ることはやっておきたい。あれはとてもいい作家さんだ。お話を作るのだって上手だし、熱意があるし、常識的な人だ。ここで筆を折って欲しくない。
処女作がヒットする作家は稀だ。大抵は売れずに筆を折り、出版界を去って行く。
桐島は落ち込みつつも、自分の今やれることを考えた。
「sunaoさんのスケージュールはバラしで……ファイアーさんにも、連絡を」
桐島は気の進まないメールを打つ。
出版社によっては打ち切りの場合、作家に連絡しないでフェードアウトすることも多い。しかし桐島は、新人作家である穂村には、何か前向きになる言葉をかけなければならないだろうと考えていた。
打ち切りを喰らっても、その後ヒットを飛ばしている作家なんかいくらでもいる。
桐島は〝後宮祈祷師〟は素晴らしい話だと信じている。ただ運が悪くて、偶然売れなかっただけなのだ。
気休めでしかないが、そのことだけでも、あの作家に伝えなければならないと思った。
穂村は久々に桐島からのメールを受け取り、愕然とした。
『力及ばず申し訳ありません。〝後宮祈祷師〟は続刊不可の判断を下されました。色々と営業部にも掛け合ってみましたが、ここから売り上げを挽回するのは困難であると──』
何かと思えば、打ち切りの連絡である。
二巻以降に感動の展開が来るはずであった。
それが、もう出版されない──
たった二か月間の夢物語だった。穂村の体に、どっと重力がかかる。彼は感想欄で励ましてくれた読者たち、絶対に買いますと言ってくれた読者たちに、申し訳なくなって涙が出て来た。
同時に、言い知れない怒りが湧いて来る。
「何だよ。ラストがいいって言ってくれて出版したのに、そのラストは出さないのかよ……!」
漫画雑誌の連載ならば、人気が出なければソフトランディングしつつ、それなりの終わり方を模索できる。しかしライトノベルは前の巻の売り上げが全てなので、それが売れなければ連載ものでもいきなり終了させなければならない。
「……じゃあ、一巻を買ってくれた人はどうなるんだよ」
実は読者としての穂村にも、ライトノベルには幾度となく打ち切りでがっかりさせられた経験があった。ラノベの購読者は、買ったというのに「売り上げが低い」などと言われて続刊をぶった切られることが頻繁なのだ。それもあって、最近は穂村ですらラノベの新作を買うことを躊躇するようになっていた。
「何だよ、ラノベって……読者おいてけぼりにして、簡単に打ち切りやがって。すげーむかつく」
穂村はメールの続きを読んだ。
『一度お電話出来ますか?ファイアーさんに話しておきたいことがあります』
桐島の方から、何か言いたい事でもあるのだろうか。
はらわた煮えくりかえっている穂村は正直言って断りたかったが、余りの体の重さ、心のしんどさを受け、むしろ電話をしてこの苛立ちを吐き出した方がいいのではと考えた。
穂村はすぐさま返信する。
『では、来週の土曜15時に電話をください』
あちらが聞いてくれると言うなら、そうしよう。
このまま怒りを溜め込んでいると、体が危ない気がする。
何より、ひとりで抱えているには重すぎる絶望感で──
「……ウッ」
そう考えた瞬間、急に喉に異物がこみ上げ、穂村は慌ててトイレへ駆け込んでいた。頭が割れるように痛い。気づけば彼は、胃の中のものを全部そこに吐いていた。
意識が遠くなる穂村の頭の中に、田中教授の声が鳴り響く。
君は小説家になれない。
君は小説家になれない。




