31.筆を折りに来る奴は敵
清楚で温和そうなうら若き女性編集者桐島は、急に何かが乗り移ったように語り出した。
「そうやって他人の筆を折ろうとする人は、どんなに肩書が立派であれ最悪です。出版社の敵です。ひいては読者の敵です。その先生に限らず、どこにでもいるでしょう。SNSで作家を叩いて憂さを晴らしている匿名の誰かや、買って読んでもいないのに決まりきった低評価レビューをして来る誰か。たまに編集者にもそういう人間が紛れ込んでいることがあって……高圧的に振る舞いたいばかりに作家の心を折って楽しんでる奴がいるんですよ。ああいう人は全員私の敵です!本を作ることを、名作の芽が萌えるのを、てめえのなけなしのちっぽけなプライドで邪魔しないで欲しい……!」
穂村は唖然とする。桐島は真っ赤な顔できゅうっと日本酒を飲み干すと、はっと我に返った。
「あああっ、ごめんなさい!私ったらお酒が入って、つい喋り過ぎましたね」
穂村は尚も口を開けていたが、ゆっくりとかぶりを振った。
「……いいえ」
穂村は微笑んだ。
「そんな風に怒ってくれる編集者さんがいたんですね。安心しました」
桐島は首を傾げる。
「だって、作家さんがいないと出版社なんて存在する意味がなくなっちゃうんですよ?」
「そうですね」
「私たちのお給料は、作家さんがいるから貰えてるんですよ?」
「……そうですね」
「敵だわ、その大作家。マジ敵だわ。それって誰ですか?」
「いっ、言わないです」
「ラノベの先生じゃないことだけは確かなようですが……?」
「桐島さん、怖い」
桐島はしばらくブツブツと唸ってから、気を取り直したように前を向いた。
「何はともあれ、ファイアーさんは立派な作家です。出版社から請われて出版出来る人なんて、なかなかいないんですよ?もっと自分に自信を持って下さい!」
穂村はエリンギの串をコリコリと食べた。
最初は迷ったけど、来て良かったと素直に思う。
「桐島さんって……見た目によらず結構アツいっすね」
「そりゃそうです。いつだって本に本気です私は」
「本だけに」
「ちょっと今半笑いで言いましたね?ファイアーさんも、お名前通りに本気出して下さいね」
「はい」
「二巻を出しましょう、二巻!あの感動のラストを、早く読者に見せたいんです」
「三巻って出ます?」
「二巻で区切りをつけて、三巻は別エピソードで始めるっていうのもアリですよ。念のため、先のことを考えておいて下さいね」
食事を終えると、二人は再び新宿駅に戻って行った。
「では、ここでお別れですね」
と桐島が言う。穂村は腹をさすった。
「ごちそうしていただいて、ありがとうございました」
「いえいえ。作家さんの胃を掴むのも、こちらの仕事なのです」
「あっ、そういう……」
「そりゃそうですよ。同じ釜の飯を食って、恩を売っているのです。作家さんに頑張って貰わないと出版社もお腹空かせちゃいますから」
「……頑張ります」
「また連絡しますよ。次は、いいご連絡が出来るといいんですけどね」
二人は頭を下げ合った。
「では、さようなら。私はこれで」
「……桐島さんは家に帰らないんですか?」
「私、これから仕事がありますので」
「これから……?今日は土曜ですよ……?」
「夜の十一時ぐらいまでに、やらなきゃいけないことがあるんです」
「……前から思ってましたけど、本当に大変ですね編集者って」
「ふふふ。大変です」
「とりあえず、死なない程度に仕事して下さいよ」
「はーい。それでは、また」
二人は振り返らずに別れ、穂村は真っすぐ改札を抜けて行った。
ペンドリー出版のビルは、確か新宿区にあるのだ。
(女性なのに、物凄い体力。俺も見習わなきゃな)
一方では作家と編集者であるが、他方ではふたりとも働き盛りの労働者だ。
(兼業作家か。どうにか続けたいけど)
二日後。
穂村は〝後宮祈祷師〟を持って亀岡化学工業の事務室に入る。
「失礼します」
社長が何やら嬉しそうに手を挙げる。穂村が入るなり、持っている本を目ざとく見つけたようだ。
「社長。これが献本です」
穂村がデスクに差し出した煌びやかな書籍を見て、社長は首を傾げた。
「おっ?何だ、少女向けか……?」
イラストからそう判断されてしまうのはしょうがない。穂村は困ったように笑った。
「……いけませんか?」
「何か穂村君、そんな感じに見えなかったから」
どんな感じに見えていたのだろう。穂村は言った。
「これは厳密に言うと、少女向け小説ではありません。ライトノベルっていうんですよ。社長、漫画やアニメなんかは……」
「見ないねぇ」
穂村は前のめりになった。
「ライトノベルは最近、漫画やアニメとメディアミックスしているんです。そういったものの原作と考えて頂けると分かりやすいかと」
「うーん、私にはよく分からないね。でもとりあえず貰っておくよ」
とりあえずとは何だ。
穂村はイラッとしたが、昭和生まれの頑固おやじに横文字を並べ立てても無駄だと思った。
「ま、小説ですよ。男性にも楽しんでいただけると思います」
「ふーん……」
社長はパラパラめくりながら、ぽつりと言った。
「穂村君がこんなのを書いているとはねぇ。もっと高尚なのを想像してたんだけど」
こんなのとは何だ。
こちらは真剣に書いたのだ。けれど、サブカルチャーに馴染みのない社長からは、ブンガクより一段落ちる小説と判断されたらしい。社長はどこか失望したような顔で彼に告げた。
「ま、遊びにかまけず、本業をしっかりやってくれよ。仕事さえしてくれれば、あとは自由だからさ」
遊びにかまけているとは何だ。
出版をお遊びだとでも言いたいのだろうか。穂村は唖然としてから、これ以上この人に説明するのは時間の無駄だと感じた。
「はい、失礼しました」
穂村は事務室を出ると、扉ごと蹴ってやりたくなった。
「くそっ、今に見てろよ。ヒットさせてギャフンと言わせてやるんだからな!」
それから一か月後。
桐島は内線を受けて、真っ青になっていた。
「はい、はい……では今からそちらに向かいます、はい」
隣の香川が声をかける。
「どうしたの?桐島さん、顔真っ白だよ」
「……ちょっと行って来る」
「どこへ?」
「営業部まで」
桐島はそう言うや、足早に編集部を出て行った。
「どうしよう、どうしよう……〝後宮祈祷師〟が……!」