30.打診の事情
桐島はあっさりとビールを飲み干すや、空のグラスと交換するように店員を呼んで梅酒のロックを頼んだ。
「飲み放題オプションもつけましたから、どんどん飲んじゃってくださいね!」
穂村は少しギョッとした。見た目によらず、桐島はかなり上戸のようだ。
対して、穂村は下戸である。
「こんなこと言うのも悪いんですけど……僕は下戸で」
「あっ、そうなんですか!?じゃあ私が穂村さんの分まで飲みますね!」
「……!?」
「ここ、ドリンクの種類がかなり豊富なんですよ」
やはりだ。会ってみなければ分からないことが沢山ある。電話だけの関係では、桐島のこんな生態など知ることもなかっただろう。
穂村はビールジョッキをあおりながら、顔を隠すように笑った。
「桐島さんは──」
今の穂村は、純粋に桐島のことが知りたいと思う。
「何で〝後宮祈祷師〟に書籍化打診をしようと思ったんですか?」
桐島は少し考えてから答えた。
「実は、短編でホラーランキングを埋め尽くした頃からファイアーさんのことを追ってました。いきなりなろうにやってきて、大量に投稿して、かなり精力的にやってるなと。編集者はやはり書籍化打診したい作品をランキングから探しますので、その表紙を一気に塗り替える人は目立ちますよね」
「そんな前から知ってたんですか……?」
「はい。それから他の作品を読みまして、〝書ける〟作家さんだなと思いました。けど、その時はどの作品もキャラクターの動機が弱い感じがしまして、打診は見送っていました。そのままブクマして注視しておりましたら、ちょうど〝後宮祈祷師〟が始まりまして……ラストにかけて盛り上がって行くところが昨今のスタートダッシュ的なろう小説とは違うな~と思い、あとはちょっと泣ける要素もあったので、打診に踏み切ったというわけです」
一息にそう言って、桐島は焼き鳥に齧りついた。穂村は微かに頷きながら、ことの経緯を理解する。
「じゃあ桐島さんは〝なろう小説らしくない小説〟を探していたってことですか?」
「いいえ。それは結果論であって……やはりなろう小説っぽいものが売れますよそりゃ。でもそうではなくて……何が言いたいかと言うと〝なろうとはちょっと違う、でもなろうっぽいもの〟も、読者のニーズとしてありますので」
「あー……」
「今、後宮モノが流行ってるじゃないですか。恋愛・推理を軸としたものが溢れていますけど、うちとしてはそれとちょっと違うのが読みたい、出版したかった、ということですね」
王道ばかりではなく、少し外した作品も必要だったということなのだろう。上手いタイミングで〝後宮祈祷師〟は出版社のニーズにハマったのだ。
「じゃあ、出版出来るかどうかは運みたいなものですね」
「そうです。運によるところは大きいです。なろう内で長年くすぶり続けてもいきなり大ヒットを飛ばす人もいますし、急に作品が打ち上がらなくなる作家さんもいます。それを読者さんは〝作家の力量が上下しているせい〟などと考えがちですが、そんなことはないです。時代のニーズとか、なぜかそのジャンルが急に終焉を迎えるなんてザラですから、そこに引っかからなくなっただけ。時流や運は確実に打診に影響しますよ」
桐島はそう言うと顔の前で手を左右に振って見せた。
「そう……って、桐島さん」
「はい?」
「もう梅酒のグラス空いてますけど」
「あっ、本当だ。店員さん呼びますね。あ、国稀の冷やでお願いしまーす」
桐島は次に日本酒を注文した。しかし、全く酔っている様子はなくケロッとしている。
「……よく飲みますね桐島さん」
「飲まないとやってられないです。ファイアーさんもそうでしょう?」
「だから僕は下戸なんですってば」
「飲まない人って、ストレス発散はどうしてるんですか?」
「発散……そうだな」
穂村は微笑んだ。
「やっぱり執筆ですかね」
「ああ、そうなんですか?そういう方、多いですよね~」
「書いてる時は、本当に多幸感に包まれて楽しいです。書籍として全国に発売されるとなれば、尚更ですよ」
桐島は前のめりに頷く。
「ファイアーさん……〝書くのが苦痛ではない派〟ですね?」
「そうですね。苦痛と感じたことは無いです……〝校正以外は〟」
「あはは。みなさんそうおっしゃいます」
「僕は、前も言いましたけどずーっと読んでは書いてる子どもでしたから。それが、ようやく日の目を見てほっとしてます。自分を信じてやって来たことは、無駄にならなかったんだなって」
「そうですね。長く続けて来たことが、徒労に終わるのが一番悲しいですよね」
下戸の穂村は酒が入ると、段々気分が下がり、思考が後ろ向きになって来る。だから普段酒を飲まないわけなのであるが、彼はふと過去のことを思い出した。
「実は昔、僕は大学内で短編の文学賞を貰ったことがありまして」
桐島は上機嫌に相槌を打った。
「へー、凄いですね」
「そこで選考委員の大作家から〝君は小説家になれない〟って言われたことがあるんですよ」
「……えっ?」
桐島は日本酒をあおるや、目を丸くした。
「……大学内ってことは、学生の時ってことですか?」
「そうですね」
「ひどい。大人が、学生相手に?」
「そうなんです。だから〝後宮祈祷師〟が出版出来るまでは、ずっとそれを引きずってました。自分の作品はどれも駄目なんじゃないかって。純文学の偉い先生の言葉だったから、余計に」
桐島の猪口が空いたので、穂村は酌をした。桐島は「すいません」と頭を下げてから、へらっと笑ってこう喝破した。
「その先生は、何か勘違いをしていますね」
穂村は目を瞬かせた。桐島はぐいぐい飲みながら続けざまに言う。
「その先生の、どこが偉いんですか?純文学を書いているから?文学賞を受賞したから?」
穂村はぽかんとする。桐島はアスパラの串焼きを頬張り、さも楽しそうに続けた。
「作家に上下関係や優劣なんてないはずですよ。出版社や編集者からしたら、書いてる人はみーんな等しく偉いんですから。作家に差があるとしたら、売れたかどうかってだけですね。私たちにとっては、売れた人にはもっと書いてもらう、売れなかった人には売れるまで頑張って書いてもらう……それだけの差しかないんです。書いている本人が自作を高尚だと自負するのは構いませんが、それをもって他人をこきおろすのはただの横暴です。……違いますか?」