26.一緒に行きませんか?
「書店に行く?一緒に?」
穂村が戸惑うような声を出したので、桐島は慌てた。
「あのっ!もちろん、来なくても大丈夫です、ハイ」
「???」
「ファイアーさん、地方ですもんね……こちらも交通費は出せないので、こんなことを言うのはちょっと心苦しくて、えーっと……」
「……」
「あっ、でもお食事代なら出せます!」
「……?」
あちらは呆れたように黙っている。桐島は〝しまった〟と思ったが、口に出したことを今更引っ込めるわけにも行かない。彼女は駄目押しした。
「あの、つまり……出版したら、お祝いでもご一緒にどうですか?こういうのは……経費で落ちるので」
穂村はそれでようやく口を開いた。
「ああ。そういうことなんですね!お祝い!」
話が通じたようで、桐島はホッとする。
「そうなんです。都内の作家さんには、出版したら打ち上げのお誘いをしているんです。それで、もしよかったらファイアーさんもどうかなーと……」
しばらく間があって──穂村は頷いた。
「いいですね。是非ご一緒したいです!」
その言葉に、桐島はホッと息を吐いた。
「お忙しいのに、急にこんなことを言ってしまいすみません」
「いえいえ。僕も、特には言っていなかったんですけど……実はこんな田舎からでも、東京へは電車一本で行けるんですよ」
桐島は目を丸くした。
「えっ、電車一本で……?」
「最近は色んな路線が東京と繋がって、こんな田舎モンでも都会までずいぶん出やすくなったんです」
「何時間ぐらいですか?」
「山手線直通なら二時間半」
桐島は驚いた。
「えっ?そんな感じなんですか、今」
「あはは。東京の人はこんなこと興味ないですよね~」
「……そんなことないですよー、あはは」
桐島は引きつったが、笑って誤魔化した。
「じゃあ、ファイアーさん。こっちまで出て来られますね」
「はい。東京には、以前も明石のり男さんと食事に行きましたし……」
その言葉に、桐島はちょっと感傷的になった。
〝パン海苔〟の最終巻発売以降、明石とは全く連絡を取れなくなっていたのだ。
「ああ、そうでしたよね……」
「どうですか?明石さんは、元気にしてます?」
桐島は静かに答えた。
「それが……最終巻発売以降、音信不通で」
「へー、そうなんですか」
穂村は平静を装ったが、桐島の沈むような声に思うところがあった。穂村はあえて少しテンションを高めにして続ける。
「打ち上げって、何を食べるんです?」
「たいていは居酒屋ですね。でも、行きたいお店があるならこちらで予約することもできますよ」
「本当ですか!?」
「はい」
「桐島さんなら、きっと美味しいお店をたくさん知ってるんでしょ?」
「うーん、男性作家さんなら焼肉とかですかね……女性作家さんだと、お昼のアフタヌーンティなんかが人気です」
「出た!作家の焼肉。SNSに上げてる人、よく見ますよ」
「普通のレストランや居酒屋でも大丈夫です」
「うわ~、楽しみだなぁ」
穂村が乗り気なのを微笑ましく思い、桐島は尋ねる。
「これで、校正へのやる気が湧いてきましたか?」
穂村は電話の向こうでくすぐったそうに笑った。
「何ですかこれ。鼻先のニンジンってわけですか?」
「まあ、そういうことです」
「でも、先の楽しみは大事ですよね。あるのとないのとでは大違いですよ」
「こちらでもお店を調べておきますが、ファイアーさんもいいお店を知っていたら教えてください」
「はい。えーっと……とりあえず、校正ゲラを一週間以内に返送すればいいんですね」
「はい。これがそのまま本になりますから、そのつもりで直して下さい」
「緊張するなあ」
桐島は締切日を重ね重ね言い含めると、穂村との電話を切った。
「さあ……これからが地獄よ」
作家は皆、この校正が一番気を揉む作業なのだ。
「これから一週間は、ファイアーさんにかかりきりになるわね」
桐島はほっとして椅子に背をもたれた。
彼女の部屋のフローリングに、夕陽の光が落ちて行く。
「電車一本で、東京か……」
自分の知らぬ間に、地方の交通網が発達していたらしい。桐島は都内路線と新幹線しか使わないので、地方の私鉄のことまでは分からないでいた。
「じゃあ、ファイアーさんは気兼ねなく呼べるかも」
桐島は〝後宮祈祷師〟のPDF原稿を眺めた。これが二巻、三巻と続けば、エンドレス・ファイアーという作家とも長い付き合いになる。いい作品を書く作家さんとは、人間関係を作っておいた方がいい。交流を深めるチャンスがあるなら、掴んでおくべきだ。
それに──彼は名前の通り、暑苦しい。
この作家の熱量が、桐島には嬉しかった。
やる気のない作家との仕事は、のれんに腕押しでどこかもの悲しい。実のところ、桐島にとっては明石より叶との仕事の方がやり易いくらいだった。叶との面倒な押し合いの方が、まだ仕事の手ごたえを感じられるのだ。
「どこに行こうかな……」
桐島はスマートフォンで、新たな作家と行く店を探し始めた。