25.桐島の誘い
桐島との改稿ラリーが終わり、いよいよ刊行に向けてのスケジュールが詰まって来る。
刊行予定は十月中旬に決まり、夢の初出版がいよいよ現実味を帯びて来て、穂村は落ち着かない。
そんな彼の元には、毎日のようにひっきりなしで桐島からメールがやって来るようになった。
『背表紙のフォントはどうしますか?』
『帯に書く言葉はこんな感じでどうでしょうか?』
『英語で題をつけるとしたら、このように英訳されますが大丈夫そうですか?』
『英語表記での名前はどうなさいますか?』
『裏表紙にイラストを入れられますが、どのようなイラストを入れますか?』
『作者プロフィール欄に書く文章を考えて下さい』
『あとがきはどうされますか?』
『書店用SSは書けそうですか?』
『あらすじはこのようになりますが、訂正したい点があればおっしゃって下さい』
毎回、こんなことまで作家が決めるのか……という新鮮な驚きがある。出版は、全てにおいて決定権は作家が持っているのだ。穂村は初めて出す本に手抜きなど出来るわけもなく、そのたびに何度も頭を悩ませるのだった。
それと平行して、現実の穂村久遠は亀岡化学工業の社員としての仕事も慌ただしくこなしていた。
隣接する隅田プラ工業を買い上げるにあたり、その機械の点検整備に回されるようになったのだ。事業拡大に伴い、新たな配送ルートも覚えなければならない。穂村は今までの仕事に加えてこのような業務も増やされ、執筆に時間が取れなくなって行った。
それでも、書籍化作業は楽しかった。
イラストレーターからの挿絵イラストが上がって来る。これにもひとつひとつゴーサインを出さなくてはならない。が、やはりイラストレーターの見落としがあったり文章通りの演技をキャラクターが取ってくれていないとなると、穂村から訂正をお願いすることとなる。
再びの土曜。
穂村は桐島に電話をかけていた。
今日は、人生初めての校正作業のやり方を聞くのだ。作家が一番重荷に感じるといわれる、この校正とやらのコツを──
「もしもし、ファイアーさんですか?」
初めはかなりぎこちなかった桐島とも、何か月も連絡を取り合っていると慣れた間柄になっていた。
「桐島さん、お久しぶりです」
「この前風邪ひいたっておっしゃってましたが、大丈夫ですか?」
「ああ……インフルでもコロナでもない謎の病気でした。もう大丈夫です」
「じゃあ、締め切りまでに間に合いそうですね。校正から著者校正用のゲラが上がって来たので、修正方法をお話したいと思いまして。ちょっと、パソコン立ち上げて貰っていいですか?まず、PDFで校正ゲラを送りますね」
穂村は電話を置いてパソコンを立ち上げた。
早速来たメールを開くと、赤字がびっしり書き込まれた原稿がそこにあった。余りの赤さに穂村は言葉を失う。
文章の乱れ、文法の間違い、表記の揺れ、方角の指摘──赤い文字は穂村の文章力の未熟さを浮き彫りにしていた。
「……うっわ!」
「あ、驚きますよね?勿論、全部直さなければいけないわけではありませんよ。ただ、表記ゆれは全て直します……これらは『以降〝来る〟』『以降〝気付く〟』とか一回書いておいていただければ、全てそれに揃えます。方角間違いはどの作家さんもよくあります。東に向かっているはずなのに日が落ちて行くのを見る……というやつですね。あとは歴史的にその時期にその技術はなさそう、というパターンです。マッチが発明されたのは1800年代、缶切りが発明されたのもその頃、みたいなことです……」
プロフェッショナルの技術で稚拙さが全てつまびらかにされ、穂村は顔を赤らめた。
「あああ……」
「皆さんここで結構落ち込まれますが、校正さんはかなり厳密にやっているので、崩したい・開きたい・ファンタジーのまま通す言葉は〝ママ〟で放置して気になさらないでください。それに、ファイアーさんはまだこれでも赤が少ない方です」
「えっ、これで……!?」
「これを一週間後までにPDF上で修正し、返却して下さい。それで、ファイアーさんの〝後宮祈祷師〟一巻の作業はいったんお終いです」
穂村は目を丸くした。
これが完成すれば、穂村の仕事は終わる──
「……マジっすか?」
「はい。あとは、イラストレーターさんのお仕事をファイアーさんに確認して貰う作業になります。これから販促会議になりますが、そこで店舗用SSを何本書くかが決まるので、それを書いてもらうという……というのが最後のお仕事ですかね」
「大体何本くらい書けばいいんですか?」
「少ない人で三本、多い人で八本とかですかね。新人さんは少なめだと思いますよ」
穂村は虚空を見上げた。
「うわあ、作家みたい」
「あの、ファイアーさんは作家です」
「あっ、そうか……」
「ふふふ。校了すればその一か月後には書店に並びます。そうなったら、晴れて作家を名乗れますよ!」
穂村は夢にまで見た光景を想像した。
書店に自分の書いた本が並ぶ日を。
そしてその本が、いつか地元書店の〝映画化コーナー〟に並ぶ日の妄想を──
穂村は身悶えて言った。
「自分の書籍が本屋に並んだら、絶対見に行かないと!」
「発売は金曜日ですね」
「金曜の夜に行こうかな。ああでも、土曜にゆっくり見るのもいいよな……」
そこで、ふと穂村は疑問が湧いた。
「……桐島さんも、自分の担当した本を見に行ったりするんですか?」
桐島は電話の向こうで首を縦に振る。
「はい、私は書店に寄った時には見に行きますね。でも、見ない編集者が大半だと思います」
「そうなんですか。確かに、作家にしたら一生にいくつ出せるかみたいなところありますけど、編集者さんは毎月のように本を送り出してるんですもんね。仕事なわけだし、そんな感じにもなりますよねー」
桐島は少しむっとした。
「だから、私は見に行く派なんですってば」
「あっ、そうかすいません……」
少し気まずい空気が流れ、穂村はまた余計なことを喋り過ぎたかと縮こまったが、
「あのー、もしよかったら」
と桐島が話を続けた。
「発売したら、一緒に見に行きませんか?書店へ」
穂村は目が点になった。