20.書ける才能と書き続ける才能
「えっ。〝パン海苔〟もう終わっちゃうんですか?」
「ああ。もうちょっと続けてもいい……と桐島さんに言われたんやけどな、もう五巻で勘弁して、って言うたったわ」
「勿体ない。出版社から引き止められたら、僕なら絶対書きますよ」
明石は困ったように笑って見せると、きっぱりとこう言った。
「ファイアーさん。僕には〝書ける才能〟はあっても〝書き続ける才能〟はなかったみたいや」
穂村は目を瞬かせた。
「〝書き続ける才能〟……?」
「プロの作家さんがよう言うやんか。〝書きたくてしかたない人が作家になれる〟て」
「まあ、それはそうですね」
「僕は〝書いてみた〟止まりなんや。試しに書いた小説が何か、本になったぞ、お金貰えたぞ。まあええか、記念出版や。……そんなんは作家と言わん。一作だけ出して、もう無理や、やめたろ……そんな半端もんは、作家名乗ったらアカンねん。僕は読者やさかい、余計にそう思ってまう」
穂村はそれにはちょっと反論したくなった。
「何を言ってるんですか。一冊でも出せたら、それは立派な作家でしょう」
穂村には、捨てて来た小説がたくさんある。どの賞にも引っかからずに、泣く泣く別れた小説たちがたくさん。書籍化作家が自分の出した一冊を否定することは、そういった作家志望たちの亡骸を踏んづけるような傲慢な行為だ。穂村はどこか出版を他人事のように語る明石に、我慢がならなかった。
「書籍化作家さんが自分の出版なさった小説を否定することは、作家になれない人たちを足蹴にするのと同じことですよ。小説家志望界隈、どんだけ死屍累々だと思ってるんですか……!」
明石はきょとんとしている。その悪意なき戸惑いがやり切れなくて、穂村はまだ何か言いたげに口を閉じた。
明石はじっと何か考え込んでから、ふと言った。
「その熱さがな、……悲しいかな、僕にはないみたいやねん」
穂村は諦めたように小さく頷いた。
「そんな風に思えたらよかったのに、と思うことがあるわ。そしたら、また色々思いつくんやろなって」
意外に思い、顔を上げて穂村は尋ねた。
「明石さん、やっぱり書きたいんですか?」
「うーん。書きたいっていうか、そう言う人になりたかったけどなれなかったな、って感じやな。何や、魔法少女になりたかったのに無理と分かった……スーパーサイヤ人にはなれなかった……みたいな」
「ああ……」
「僕は浅はかだから、書いてみたらそういう人になれるんやないか、って思ってた。でも、ファイアーさんみたいな多作な人と僕とは、どうやら根本から違うねん。僕は、書きたくて止まらん奴にはなれんかった。せやから僕の作家人生はこれで終わり……限界が見えてもうたんや」
明石のり男は、思いつきは素晴らしくても、それを継続させる力を持ち合わせていなかった。
でも、と穂村は思う。
「だけどそれで何冊も出せるんだから、むしろすごいです。僕なんかは何十作も書いて、それで10年も公募に落ちて、今、ようやくですから」
「いやー……僕はね、今回のことで近道は結局、遠回りなんやと思ったよ。ファイアーさんはきっとこれからも筆が続くやろね。間違いない」
「だといいんですけどね……」
「どう?桐島さんとは上手くやっとる?」
「まだ二回しか電話したことないから、よく分からないです……」
新宿三丁目界隈が、次第に暗くなり始める。
明石は夜の飛行機で帰らなければならないらしく、二人は八時ごろ新宿駅で別れた。
穂村は電車に乗り込む。
東京の流れる夜景を眺めながら、穂村はこのビル群のどこかで桐島が仕事をしているのだろう、と考えたりする。
この電車内のどこかに、顔の知らない作家が乗っているのではないかとも妄想する。
そして、作家になりたいのになれない人も、きっとこの車内のどこかにいる……
電車内のモニターでは、最近アニメ化された後宮ものが延々と流れていた。
ああなりたいと思った時、穂村は明石のことをふと思い出す。
(誰もが、望んだ自分になれるわけではない──)
人によっては、家族に恵まれ、小説も出版出来た明石を見て「ああなりたい」と思うだろう。
しかし明石は、全く別の方向を向いて〝出版〟にケリをつけようとしている。
(世の中って、ままならないな)
そう思った穂村だったが、自分がこんなことを考えられるようになったのもまた、夢に一歩近づいているからなのだと思い直した。
(とりあえず、自分がこの世界で出来ることをしなくては……この、出版大国日本で)