19.羽をもがれた作家
穂村は、新宿三丁目にある明石行きつけの店に案内された。
半個室のある店で、二人は開店と同時に入って飲み始める。日本酒と海鮮料理の食べられる、和食の店だった。
作家同士、向かい合って座る。
とりあえず店員を呼び、日本酒を瓶で注文する明石。コース料理を予約しておいてくれたようだ。
穂村は見知らぬ男と相対し、まるで話も弾まないので不安になって来たが、おしぼりで手を拭きながらふいに明石は彼に尋ねた。
「ファイアーさんは、小説書くの楽しい?」
関西訛りがある。穂村は突然の質問に驚いたが、自信を持って答えた。
「はい、楽しいですよ」
「ええなあ。若いからかな」
「……そんなことはないと思いますけど」
「自分、いくつなん?」
「28です」
「そうか。いや、いつもファイアーさんが書いてるの読んどって、ああこの人は書きたくてたまらんのやろな~って……ちょっと羨ましかったから」
穂村は首を傾げる。
「何でですか?明石さんこそ、楽しんで書いていると思って読んでましたけど」
「うんにゃ全然。僕なんかは、最初は小遣い稼ぎのつもりで何となく書籍化してな……」
穂村が更に眉間の皺を深くしていると、お通しと日本酒の瓶が運ばれて来た。
とんでもない箇所で会話の腰が折られたが、明石は気にせず穂村の盃に酒をつぎ出した。穂村も慌てて明石の置いた瓶を取り、酒を注ぎ返す。明石は上機嫌で「かんぱーい」と言った。穂村も、取り繕うように「かんぱーい」と返す。
「僕にはね、妻と三人の子どもがおる。海苔の養殖業と加工をしとってな……」
穂村は先輩の話を拝聴する。
「趣味は読書。とにかく読む。子どもも放りっぱなしで……妻にはあんまりええ顔されへん。でも、読みとうて読みとうてしゃーない。……元々は書く方やなかった。なのに書き始めて……僕はどえらい目に遭うてもーたんやな」
「どえらい目?」
「出版よ。まあ思い出作りにと手を出したら、なぜか続きよる」
穂村は苦笑いした。
「そりゃあそうでしょう。あんな面白い話、誰でも書ける訳じゃないと思いますし」
「一冊でよかったんや。でももっと書いてくれと編集者に……」
「桐島さんですか?」
穂村がそう続けると、明石は目を丸くした。
「何や。ファイアーさん、桐島さんのこと知っとんかいな」
「実は、僕も桐島さんが担当編集者なんです」
すると明石はからかうように笑って言う。
「そら大変やな」
「……何がです?」
明石はお通しのきゅうりを頬張りながら言った。
「ありゃとんでもない女やで。出版のことになると、目の色変えよる」
穂村は内心「そりゃそうだろう」と思うが胸に秘めておいた。代わりにこう言う。
「あちらも商売です。売れる作家さんに書いてもらいたいのは当たり前じゃないですか?」
「いやいや、もうそんなんちゃうねん。なんか、こう……詰めてくんねん。逃げ道を塞がれる言うんかな」
「……お仕事だから仕方ないんじゃないですか?」
「でも、僕の仕事は作家業だけやないやんか」
穂村はちょっとイライラし始めた。この明石と言う男、どうやら売れる作家ではあるものの、書くことには情熱がないと見える。
「あの……明石さんは、実は書くことがお好きではない?」
穂村がそう芯を喰って見せると、明石は素直に言った。
「そうやな、好きやない。僕は読み専やったからな。今でも読むんは好きや。色んな作家さんを応援したり、もっと続きを読ませて貰うために後方支援的に感想やレビューを書くのは何の苦にもならん。けど……自分の妄想を出力するのはとんでもなく苦労せなならんかった。想像以上のストレスやったんや。それやから、僕は今では前よりもっと作家さんを尊敬するようになったで。あんな曲芸、ようやるわと思て」
10年も書き続けていた穂村には、まるで考えたことのないことだった。
「曲芸……ですか?」
「そうや。妄想し続ける、書き続ける、それに見合った文章や表現を身に着ける、読者を裏切る展開を出す、けれど理解される内容でなければならないし、順序立てたプロットにしなければならない。そんなことを全部いっぺんにやっとるんや作家は。それを何百ページ、何年と続ける?頭おかしなるで普通に考えて」
明石は作家としてはとんでもなく面倒臭がりに見えるが、これらの創作の手順には誰よりも理解があった。理解出来て実行しようとしたからこそ「僕には無理だった」という結論に至ったようである。
「……僕は、それを苦労と思ったこと、なかったです」
穂村が恥ずかしげもなくそう言うと、明石は快活に笑った。
「おっ、威勢がええねファイアーさん。新人作家はそう来なくっちゃ!」
「はは……」
「僕はファイアーさんの作品からそういうところが見えてね、好きなんよ。突っ走ってるっていうか、やったれ!感っていうか、スピード感ていうの?そういうのを感じる作家さんやな~と思ててん。実際書くの早いやろ」
「そうですね。わりと早い方だと思います」
「ええな~。正直、書く情熱が続く人が羨ましいわ。こちとら書ける側に行けたら……と淡い夢見てちょいっと真似事やったら、大怪我したからな」
「ははは」
「こういうのが、才能の差って言うんやな~」
明石は筆こそ遅いらしいが、喋りは達者だった。食事が運ばれて来ると、次第に和やかな空気が流れ出す。
「それやから、僕はファイアーさんのその才能を浴びたいがために誘ったんやわ」
穂村はそれを聞き、おっかなびっくり顔を上げる。
「……どういう意味ですか?」
「〝パン海苔〟、あと一巻で終了やねん。ここらへんで気合入れなと思ってね」
明石の暴露に、穂村の目はより大きく開かれた。




