15.一巻を頑張るしかない
いよいよ編集者との電話会議の日がやって来た。
穂村は切腹前の武士のごとくスマートフォンの前に着座し、時計の分針と睨み合った。
〝土曜の午後3時に電話をかける〟と桐島からメールがあったのだが──
ブーッ。ブーッ。
スマートフォンから着信アリのバイブレーションが鳴り響き、穂村は恐る恐る電話を取った。
「はい……穂村です」
しばし沈黙があって。
「あのう、エンドレス・ファイアーさんのお電話で間違いないですか?」
女性の柔らかい声がする。思ったより若い声であることに驚き、更に相手から発せられた自身のしょうもないペンネームを今更後悔しながら、穂村は蚊の鳴くような声で答えた。
「はい……」
「初めまして。ペンドリー出版編集部の桐島と申します」
「どうも……」
「早速ですがエンドレス・ファイアーさん」
「はい……」
「ペンネームが長いので、ファイアーさんとお呼びしてもいいですか?」
穂村は消え入りたくなったが、
「はい」
と何とか自分の意識を呼び戻した。桐島は彼のか細い声も気にせず元気に言う。
「ファイアーさんの小説〝後宮祈祷師〟とっても面白かったです!」
その言葉で、穂村は一気に息を吹き返した。
「お、面白かったですか?」
「はい!クライマックスの盛り上がり方、凄かったですね。最近ああいう書き方する方が減っているんです。久々にラストで泣きました」
桐島は努めて穂村を励してくれる。創作に関して冷や水ばかり浴びせかけられていた彼には、たとえリップサービスだったとしても彼女の言葉に救われる気がした。
「あ、ありがとうございます……」
「いえいえ、お礼を述べるのはこちらの方です。ええっと、今日はとりあえず、一巻分の範囲をどこまでにしようかというご相談をさせていただきたいのですが」
穂村は虚空を見上げた。一巻分。そんなこと、小説を書いている時は考えたこともなかった。
「じゃあ桐島さん。20万字なので、10万字ずつで分けます?」
「そうすると、第五章の真ん中で話が切れてしまうんですよ」
「あっ、そうか……」
「大判での出版になるので、最低でも十二万字は欲しいんです」
「とすると、五章の最後までで一巻を終わらせて……」
「それで十二万字ですね」
「それだと二巻は8万字になっちゃいますね」
「そうなったらファイアーさんに不足分を書き下ろして貰うことになりますが、ここで一点だけよろしいですか?」
桐島は念を押すように溜めると、告げた。
「二巻の発売は、現時点では決まっていません。二巻が刊行出来るかどうかは、一巻の売れ行き次第です」
穂村は少し怯んだ。これが商業出版だ。一巻が売れなければ、どんなに感動させるラストだったとしても最後まで刊行出来ないのだ。
「じゃあ、とりあえず一巻を頑張るしかないですね」
それが、穂村の導き出した結論だった。
「そうなんです。逆を言うと、一巻さえ沢山売ってしまえば二巻、三巻ととんとん拍子に行くことが多いです。一巻が、今後の指標になるわけなんです」
桐島の言葉に、穂村は急に緊張して来た。逆説的に言えば一巻で結果を出せなかったら、その後が全て決まってしまう。
「……一巻をたくさん売るには、どうしたらいいんでしょうか」
穂村は必死の思いで聞いてみたが、返って来たのは思いがけない言葉だった。
「それは我々にもよく分かりません」
穂村は訝しむ。
「えーっと、売るのが出版社の役目では……?」
「もちろん、弊社は全力で〝後宮祈祷師〟を書店さんに売り込みに行きます。しかしながら書店さんの意向や時代の流行り廃りがありますから、必ず平積みで並べてくれる方法とか、売れる方法と言うのは確立されていないのです」
「まあ、確かにそうですが……」
穂村は反論をいったん飲み込んだ。今ここで売り上げの話をしても埒が明かないし、あちらの時間をいたずらに浪費するわけにもいかない。
「……とりあえず、五章まで入れましょうか」
「はい。それでですね、そうなるとちょっと尻切れトンボになるので、エピローグ的なものを書きおろして欲しいんですが、出来ますか?」
「はい。全然構いませんよ」
「一か月後、メールに改稿提案を添付して送りますので、誤字脱字、矛盾点などを直してから返信してもらっていいですか?書き下ろしはそれからで構いません」
「改稿提案……?」
「原稿の改善案のようなものです。なろう版をコピペした小説から私の方で原稿をお作りし、改善案を付け加えてまた送信します。ファイアーさんのお仕事はその改稿からなので、来月まで待っていて下さい」
穂村はてっきり原稿をこちらで用意するのだと思っていたのでほっとした。勤めながら事務作業をこなすのはきつい。コピペや字下げの手間が省けたようだ。
「兼業なので、そうしてもらえると助かります」
「あと……何か質問はありますか?業界のこととか、雑談でもいいですよ」
穂村は、ずっと気になっていることを尋ねた。
「あの、桐島さんは女性ですよね?」
「はい」
「桐島さんはどうしてライトノベルの編集者になったんですか?……ちょっと聞いておきたいなと思って」
桐島は思わぬ質問を投げかけられたようでちょっと考え込むように沈黙したが、
「私はライトノベルが好きで、ライトノベルの編集者になりました」
と答えた。