10.くだらないライトノベル
「……今、何て言ったの?お母さん」
桐島が震える声でそう問うと、美枝子は続けた。
「だってそうじゃない?あんたがいつも作ってる本ってさ、西洋で海苔?つくるとか、可憐な見た目のお姫様がざまあみろって啖呵切るとか、おじさんがハーレム作ったりする……くだらない話ばっかりじゃない」
桐島は二の句が継げなかった。
親に、自分の仕事をそんな風に思われていたなんて。
「そうだわ乙葉。そのペンドリー出版ってところで長く経験積んだんだから、純文学なんかも手掛けてるもっと大きい出版社に転職してみれば?あなたは最終学歴だってK大なんだし、きっとそういうところがふさわしいのよ。その職歴をつけて婚活市場に出れば、またいい人に出会えるはずよ」
桐島はぎゅうっと歯噛みした。
「私……ライトノベルをくだらないなんて思ったこと、ないよ」
「あら、そう?」
「それに、大きな出版社で働くことは、婚活で箔を付ける手段ではないわ」
「ええ~。でもさ、お母さんはあんたの仕事、恥ずかしいと思ってたよ。あんたの携わった本の題名なんか、親戚に言うのだって憚られる題だもの」
「……!」
「信吾君だって、ちょっと周りに言えなかったんじゃない?だからほら、乙葉は大手出版社に行った方がいいのよ。知ってる?三島由紀夫の原稿を最後に受け取った女性編集者のこと。乙葉がああいう歴史の生き証人みたいな編集者になったら、お母さんも鼻が高いわぁ」
桐島は声を落とした。
「……もう、かけてこないで」
「えっ、何?」
「もう電話かけて来ないでって言ってるの!」
桐島は力いっぱい叫ぶと、電話を切ったついでに叔母の電話番号も着信拒否した。
そして、流れて来た涙を拭う。
恋人に振られた昨日の涙より、もっと大きな涙が桐島の頬を伝っている。
「何よ……信吾も、お母さんも……」
彼女の仕事を、生きがいを、彼らはそばにいながら全く理解してくれないし、母に至っては否定する始末である。
「何でよ。何で近くにいる身内に限って、私の好きな仕事を認めてくれないの?」
一方その頃。
穂村ことエンドレス・ファイアーは〝後宮祈祷師〟を書き続けていた。ありがたいことに一週間ほど小説家になろうの日間ホラーランキング一位をキープし、ついに週間ランキング5位にも入り込んで来た。
明石のり男も、感想欄に絶えず現れ励ましてくれる。
〝生霊、誰が送っているんでしょうね?続きはよ〟
他のなろう小説を読んで気づいたが、この明石と言う男はなぜかどの小説にも感想を残しているアグレッシブ野郎であった。読書量が並ではない。穂村はこの敬虔ななろう読者兼作家に対し、次第に畏敬の念を抱き始めていた。
彼の活動報告の内容を見るに、明石はなろうから低ポイントでくすぶっている名作を見つけ出す「スコッパー」という活動に精を出しているらしい。彼はその見地を踏まえちょろっと小説を書いてみたらなぜか大当たりしたという、稀有な経歴を持つ作家だったのだ。
「すごいぞ、明石のり男」
彼のこの情熱は一体何なのか、どこから来るのか──穂村は素直に知りたいと思う。
「明石のり男も、子供の頃から本が好きだったのかな……」
それから穂村はベッドに寝転がり、自身のことを反芻する。
子供の頃から、穂村は本の虫であった。
幼少期の穂村はあまりにも本を読むため、小学生の頃担任の教師に「言うことを聞かない隠キャ」として目を付けられてしまったほどだ。通信簿に「穂村くんは本ばかり読んでいるため、お友だちが少ないです。視野を広げ、もっと外に出て遊びましょう」などと三学期に渡って書かれもした。
挙句、その担任からは作文を書けばなぜか低評価をつけられるという嫌がらせ(他の子には花丸をくれるが、穂村だけでっかくみせしめにペケをつけられる)まで受けるようになった。が、親や友だちがいつも読んでは褒めてくれたので「先生って見る目ないんだな~」という感想を抱くだけにとどまった。
中学校に入ると穂村はライトノベルに夢中になり、アニメも録画してすりきれるほど観るようになった。それらを真似て小説を書き、友人に見せて感想を貰ったりもし始めた。この頃になると本を読む生徒はなぜか「模範」的扱いとなり、彼は割と優等生な中学高校生活を送れるようになった。
そんな彼が大学の文学部に入るのは、必然だったと言えるだろう。
当初は創作ゼミに入ることを希望したが、一年次に大学主催の文学賞に応募したところ、創作ゼミ担当の大作家・田中清高からこてんぱんにされたので、穂村はそのゼミに入ることを諦めた。
代わりに近現代の文学ゼミに入ったのだが、これが良かった。現代文学の読み解き方が理解出来たことで、彼は純文学にものめり込むようになったのだ。読む作品の幅が広がったことで、書ける作品の幅も増え、穂村の創作活動は輝かしいものになった。ゼミで小説の構造を解読して掘り下げることは、穂村の創作の糧になって行った。
それでも、穂村が惹かれたのはライトノベルだった。
何せ、ラノベは題材の自由度が違う。表紙も可愛らしく、楽しそうでいい。何を書いたって文壇などに「高尚」「低俗」というラベルを貼られることもなく、読者の「面白い」「売れてる」という評価が全てを蹴散らす。話の構造がどこかで見た凡庸なものであれ、売れていて面白ければそれでいい。ラノベのその「俗物上等」な突き抜け方が、穂村にとっては魅力だった。
「面白い話が書きてえ……」
穂村はそう呟き、「明石のり男が実は美少女だったら?」という妄想をしながら眠りに落ちて行った。