1.君は小説家になれない
「君は小説家になれない」
と目の前の大学教授は言った。
「文章もテーマも凡庸。つまらないストーリー展開。別の道に進んだ方がいいよ、穂村君」
そして、彼はテーブルの上にこれみよがしに原稿の束を投げた。
大学構内で行われた、学生を対象とした大学主催の文学賞の授賞式でのことだった。
あり得ないことが起こり、場内はざわついた。
大学教授の目の前に、呆然とひとりの男子学生が立っている。
穂村久遠は目を剥いて、かつて芥川賞候補作家だった男を見つめた。一触即発の気配を察し、周囲の教授たちが止めに入る。
「まあまあ、田中先生!」
「何を言い出すんですか田中先生。彼はまだ前途ある学生です」
「田中先生、そう言わずに。今年の学内文学賞の最優秀賞は彼に与えられるんですから……」
田中清高は日本文学界でも重鎮で、いくつか文学賞も獲っている純文学の作家だ。有名な賞レースの審査員も務めている。本年度から穂村の通う大学の教授になり、文学部の創作講座を受け持っているのだった。
そんな大御所に、学内文学賞の授賞式とはいえ「君は小説家になれない」と言い切られた穂村は、何も言い返せなかった。大賞を受賞し舞い上がった気持ちを粉砕され、ただ立ち尽くすだけ。田中教授がなぜこんなことを言ったのか、一介の文学青年にはまるで理解出来ないでいた。
すかさず近代文学科の金谷教授がフォローした。
「穂村君。君の作品はね、田中先生は最低点をつけたけど、私は満点を入れたんだよ」
それを聞き、穂村は何を言われているのかさっぱりわからない、という顔をした。金谷は尚も言い募る。
「どういうことを言いたいかというとね、小説っていうのは万人に必ず受けるものなんかない、ということなんだよ。誰かはとても評価してくれる。でも誰かは気に入らないと言う。それが小説なんだよ。完璧なものなんかなくて、だからこそ面白いんだ。私はね、君は書き続けるべきだと思うよ。文章だってそこらの学生よりは大分上手いし、テーマを見つけてそれに沿って書けるんだから君は。だからね、誰に何と言われようと書き続けるべきなんだ。田中先生はね、君が若くて天狗になられると困るからハッパをかけただけ。ねえ、そうでしょう田中先生?」
すると田中教授はこう言い切った。
「学内で、もう小説家デビューしている奴を何人か知っている。彼らはこんなところに作品を提出していない」
穂村は頭を殴られた気がした。
「こんなところでヘラヘラしているようじゃあ出遅れ過ぎだよ。時間は有限なのは知ってるよね?」
田中の物言いに金谷はため息を吐くと、目の前の不幸な学生をフォローし続けた。
「確かに穂村君のスタートダッシュは彼らより遅かったかもしれません。でも、だから小説家になれないかどうかは違うと思いますよ。ええっとね、今回、私は君のファンになったよ。だからこれからも挑戦を続けてくださいね」
金谷教授は好々爺のとてもいい先生だ。
でも、と穂村は思う。
金谷教授は小説家ではない。元々文芸評論家である。
片や田中教授は純文学の作家で、何度か芥川賞候補になり、芥川賞とはならなかったが別の大きな賞を幾度か受賞した。穂村は行きつけの書店の棚に田中教授の本が何作も名作として刺さっているのを目にしている。今回は現役の作家に評価されるまたとないチャンスだと思って彼は学内文学賞に挑戦したわけなのだが、ここまでこてんぱんにされるとは思ってもみなかった。
佳作を受賞した他の学生数名も、青くなって静まり返っている。
田中は彼らにも檄を飛ばした。
「いいか?先に言っておくが、君たちには怒りすら感じない」
場が一気に冷えた。
「穂村君とやら。〝凡庸〟も評価である。君は小説家になれないにせよ、そういう点ではある意味評価されている。彼以外の佳作の君たちは日本語で書かれていた、というだけ。落選作品は日本語ですら書かれていなかった。以上!」
こうして穂村の、人生初めての文学賞授賞式は幕を閉じた。
あれから十年。
穂村は──まだ小説家になれていない。
今年もまた、公募に落ちた。
応募したライトノベル大賞の受賞者が発表されたが、そこに自分の名前が無かったのだ。
穂村は何度も画面を上下にスクロールし、絶望の余韻を無闇にしがみながら深くため息を吐いた。
もう今年で二十八歳だ。十年やっても芽が出ないということは、本当に才能が無かったのであろう。彼は自らの癖っ毛をふわふわと掻きむしった。
〝君は小説家になれない〟
田中教授からぶつけられた言葉は、まだ穂村に呪いをかけていた。
小説を書くのは孤独な作業だ。作品の伏線を全て回収し完成させるのは至難の業で、創作とは自分との戦いだ。でも自分に勝ったところで他人には勝てないのだから、もうどうしようもない。
書いても書いても疲労が蓄積するだけだ。受賞できなかったら、今までの努力など全て徒労に終わるのである。
毎年、地層のように積み重なって行く絶望。
「……やめるか、公募」
穂村はひとりごち、朝の重い体を引きずって黒い軽自動車に乗り込む。
「あー、くそっ。でも小説家になりてぇ。出版せずに死ねるかよ……!」
何はともあれ、出勤だ。
穂村は化粧品のパッケージを作る工場に勤めている。北関東辺境のさびれた田舎町には、正社員になりたいならこんなところしか働き口はない。公務員、JA職員、郵便局、医療職、工場作業員。ここからあぶれるとあとはパートしかない。絶望の地である。
穂村は「亀岡化学工業」の門をくぐると、作業服に着替え、タイムカードを切った。
本日の仕事は、ひたすらプラスチック容器に凹凸模様を刻印して行く地味な作業である。これを終えてあとはパートさん頼みの検品に回すと、穂村は別のプラ容器をトラックに積んでパッケージ印刷会社へ配達する。
毎日がこの単調作業の繰り返しである。ちょっとでも気を抜けば狂ってしまうのではないかというほど画一的で単調な毎日だ。だが就職活動中、ここぐらいしか受からなかったので仕方がない。
見飽きた田舎町。田んぼの上には広すぎる空。
仕事を終えれば、また一人暮らしのアパートにまっすぐ帰る。結婚はしたことがないし、今は恋人もいない。友人は皆東京に出て行った。実家は更に遠い県境の山奥にあり、両親による祖父母の介護が始まっている。なので足は自然と遠のき、滅多に帰ることがない。
清々しいまでの孤独。
「俺……このまま何事もなく死ぬのかな」
運転しながらひとりごちた時、ふと穂村の瞳に大型書店が飛び込んで来た。
「……そうだ。何か本でも買おうっと」
穂村は作家になれない自分を呪ってはいたが、本自体を憎むことはなく、むしろ大好きで、飯を抜いてでも購入するほどの読書ジャンキーであった。
穂村はいつもの書店へ入った。
そこから彼の人生が変わるとも知らずに。