8日目 生死の境
「奴らめ、勝手なことをしやがって!」
カレリア市庁舎の執務室、ツェーザルはデスクへ拳を叩きつけて怒鳴る。
歳若くとも連邦軍の一部隊を率いる彼の怒声は警護の兵士を震わせるが、副官のマテウスはいつものように軽い調子で笑いながら「まあまあ」とツェーザルを宥めていた。
「まさか国民議会の連中が王族を処刑しようとするなんてね。躾の悪い犬にはお仕置きが必要かなぁ?」
「当たり前だろう、ル=ヴェリエ家……特に娘2人は生かして引き渡せ、というのが支援の条件のはずだ」
元よりこの内乱自体も連邦が仕組んだもので、常に手綱は握り続けていた。支援要請をさせたのも、表向きに連邦軍を動きやすくするために他ならない。
だからこそ、国民議会とやらが自分で革命を起こして国の実権を握ったという考えは思い上がりも甚だしい。密造したと思われている武器も連邦の供与品で、正規軍を撃破したのも民兵に偽装した連邦兵なのだ。
彼らは何ひとつ自分の手で為していないお飾りに過ぎない。その癖飼い主の手を噛んで好き勝手仕様としているのだから、ツェーザルとしては仕置きをしながらも目的のリディを確保しなければならない。
「それが、姉の方は逃げられちゃったらしいよ。それじゃあ格好がつかないから病死ってことにしたみたいだけど」
「それはこちらから捜索部隊を出そう。保険だ」
「じゃあ、リディはどうするの?」
ツェーザルは壁に貼ったカレリアの地図へ目を向け、処刑が行われる中央広場へ目を向ける。
「王族の処刑とあれば、議長が見届けに来るな?」
「多分ね。国民議会の正当性をアピールする演説でもすると思うよ」
「それを狙う。ヒルトマンの小隊を完全武装で広場付近へ待機させろ。マテウス、俺とジュリー塔へ上がって狙撃だ。議長か、混乱を起こせそうな人物を狙撃する」
「で、混乱しているところへヒルトマンの小隊を突っ込ませて、リディを奪うんだね?」
「そうだ。すぐに準備しろ」
状況が動き出す中、ツェーザルは少しだけ気がかりなことがあった。もしも自分があのスナイパーだとしたらどうするだろうか。
リディが目的ならば同じジュリー塔へ上がって狙撃を試みるか、近くのタンプル塔へ陣取って狙撃をするだろうか。
その考えは頭を振って追い出した。アイツは殺したのだ。死んだ人間のことを考えても仕方がないが、他の傭兵が来た時に備えて警戒だけはしておいた方がいいだろう。
「マテウス、ハルツェン伍長も出撃させる。タンプル塔へ配置するんだ」
※
レイジは路地から路地へ、時には角をチェックしながら着実に目的地へ歩みを進めていた。
パスカルはもう支援なしで進めると言い、ならば先に狙撃地点を確保しようと疾走しているのだ。時間が早まった、敵がいた、そういった不測の事態への備えでもある。
「クソが、生きていてくれよ……」
奥歯を噛み締めて、心臓が破裂するかと思う程に苦しいのを堪えて走る。装備のせいでそんなに速くないというのに、自分のトップスピードが出ているかと思う程に呼吸が苦しい。
どうして、誰かのために苦しい思いをしているのだろう。自分の身を一番に考えるのが人間だというのに、どうして俺はそうしないのだろうか。
誰だっただろうか。俺たちは誰かを守ることが、それ以外にないならば、死してその役目を果たすことが誇りなのだと教えてくれたのは。
記憶を無くして、自分が何者なのかもわからない。レイジは魂の断片をひとつずつかき集めて、自分を構成しなおす中でその誇りは強く、しかし歪にレイジを再構成していた。
リディを助けたいのだって、再構築の一環なのだろうと分かっている。彼女が望んでいるかどうかも知らず、レイジが勝手に使命感を覚えて命を懸けているだけで、独りよがりなエゴの所業だという事も。
「ここか……」
だとしても、もう戻れないし戻らない。目の前に聳え立つ鐘楼、タンプル塔はここまで上がってこいとレイジを試すように見下ろしていた。
「時間がねえ、クソ!」
広場の喧騒は大きくなり、ドラムの音が響いていた。もうすぐ処刑が始まってしまう。
「パスカル、処刑が始まっちまいそうだ!」
「クソ、お前どこにいる!?」
「タンプル塔に着いた、今から登る!」
「急げ!」
そう言われるより早く、レイジは駆け出していた。
勾配の急な螺旋階段を2段飛ばしで駆け上がり、喉から込み上げる鉄錆の味を飲み込む。
あまりにも長く、見上げても果てが見えない階段は登る者の心を砕く。そのために作られたのならば、設計者は大層な試練を与えてくれたものではないか。
「クソが、エスカレーターのひとつつけやがれ!」
理不尽な文句を叫び、装備重量に軋む体へ鞭打ってひたすらに駆け上がっていく。
響く銃声と歓声は誰かの死を意味していた。それがリディでないといいのだが、などと非情なことを考えてしまう。
――許してくれ、俺に全てを救う力はない。
何を守って何を切り捨てるか、誰を殺すのか、レイジは非情にそれを選んで引き金を引く必要がある。
スコープの世界は遠くまで見えるけれど、代わりに視野は肉眼よりも狭い。その世界だけが、レイジにどうにかできる範囲なのだ。
「レイジ、王が処刑されたぞ。まだ着かないのか!?」
「もうちょい!」
「急げ、俺は広場に突入したが、人混みで思うように動けん!」
あと少し、あと少しで階段が終わる。
そんなレイジを出迎えたのは灰色の影と、漆黒に光る刃だった。
死神が舞い降りる。その瞬間が止まって見えて、レイジの目がこれでもかと見開いてその動きを追いかける。
予想外の出来事に思考が止まる。そのまま動く事も出来ずに首を切り裂かれるか突き刺されて、頸動脈を切り裂かれて死ぬのが普通だろうか。
人間は不意討ちに遭遇して動けることは少ない。訓練した兵士でも、ナイフを持った通り魔に殺される可能性が高いくらいだ。
レイジの思考は動かない。それでも、技術を本能に刻み込まれた身体は反射的にアサルトライフルを盾にして、敵の振り下ろすナイフを防いだ。
その衝撃がレイジを正気へ引き戻す。同時にストックを振り抜いて敵の顎を打ち据え、続けてストックを突き出して更に顔面を打つ。
「死ね、クソが!」
レイジは後退って距離を取る。銃を構えるだけの間隔を確保し、狙いは感覚で付ける。この距離ならそれでも当たるし、当たるまで撃ち続けるしかない。
それでもたった数歩の距離、レイジが撃つより先に敵が距離を詰めてきた。あまりにも速く、獰猛にも思える戦意はレイジを怯ませる。
「死ね、傭兵!」
「うるせえ!」
こうなれば銃はナイフに劣る。点で狙う銃は激しく動く目標を捉えきれないし、命中させても勢いをつけて突っ込んでくる人体を止めるだけの力はない。
撃っても相討ちに持ち込まれる可能性がある。ならばとレイジは再びアサルトライフルを槍のように構え、ナイフを受け流す。
そこからは刹那の勝負だった。左肩に取りつけていた銃剣を引っこ抜き、素早く銃身の着剣装置へ取り付ける。
渾身の突撃を受け流された敵兵はたたらを踏み、レイジへ背中を向けていた。急ぎ振り向いても、レイジの方が早い。半身を返すのがやっとの敵へ、ナイフよりもリーチの長い着剣小銃が迫る。
「えぇぇぇぇいぁぁぁぁぁぁあ!」
猿叫を思わせる烈迫の雄叫びが敵兵を怯ませる。刹那にわき腹を黒い銃剣が突き刺し、悲鳴が上がる。
それでもレイジは止まらない。反撃を許さぬとばかりに連続で刺突し、一撃目で致命傷を負った敵兵を素早く死に至らしめるべく追い討ちをかける。
呻き声を上げながら崩れ落ちた敵兵は階段を転がり落ちて行く。
帽子が吹き飛び、その下に服と同じ灰色の耳が見えた。リディと似た犬科の耳で、もしかしたらレイジがここを目指していることを聴覚で知って、待ち構えていたのかもしれない。
「レイジ、王妃がやられたぞ、何してるんだ!」
「狙撃地点到着、配置につく!」
「急げ!」
パスカルは必死に人ごみをかき分けながら進んでいる。それでも、分厚い人の壁はパスカル1人に崩されることはなく、遅々として進めていない。
レイジは急いでガンケースからスナイパーライフルを取り出す。
スコープのカバーを外して二脚を立て、ようやく射撃準備が整った。
並ぶ銃殺隊の前に立たされた青年は王太子だろうか。5つの銃口を前にして目隠しもせず、拘束もされていないのに堂々と立っているのが見えた。
せめて王族の誇りを見せてやるという意地なのだろうか。これから殺されるとは思えないほどに威風堂々としていて、僅かな震えさえ見せない。来るならば来いと、まるで決闘を受けた騎士にさえ見える。
今ここで銃殺隊でも、壇上で偉そうにしている議長でも狙撃すれば、混乱で処刑を阻止できるかもしれない。
そうすれば彼は助かる。その代わりにリディはまた連れ去られ、奪還のチャンスが無くなってしまうかもしれない。
スコープの中に王太子が映る。どうかお許しを、リディを守る為に、貴方を切り捨てなければならない。
どこまでも銃弾は届いて、その一撃で今を変えることはできる。でも、それは望む未来に繋がっていない1発だから、撃つわけにはいかない。
何を守って、何を切り捨てるのかを見定めろ。
そう教えてくれたのは誰だったか忘れてしまったけれど、その言葉だけは何度も頭の中を反響し、レイジを縛り付けた。
救える命を救いたいという渇望に似た感情と、リディの救出という役目を果たせと叫ぶ理性の狭間で、レイジはトリガーから指を外した。
——リディを頼む。
スコープ越しに目が合った彼は、そう口を動かして微笑んだ。見捨てられたと理解してなお恨みなく、自らの死を受け入れて妹の命を見ず知らずの傭兵に託して。
刹那、響く銃声に遅れ、崩れ落ちて行く姿を見送ったレイジは静かに目を伏せた。
——お見事。後のことは任せて、どうか安らかに。
この任務を果たすことが、きっと彼への弔いになる。その勇敢なる最期を見送ったレイジは静かに右手を挙げ、心からの敬礼を送って誇り高い最期を讃えていた。
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