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5日目 アナザー・スナイパー

 街はさっきと打って変わって、全てが死んだように静寂に包まれていた。

 

 相変わらず続く石畳の道と、何階にも積み重なる薄汚れた集合住宅の森林には血の川が流れて、水を飲むかの如く死体が倒れ伏す。

 そんな地獄の惨状が広がり、もはや声を発するものが残っているとも思えない。


 音を響かせるのは足音だけ。パスカルとアルギルスが先を進み、レイジが後方でリディを守りながら歩く。

 レイジが負傷している事もあるが、スナイパーであることや言葉が通じなくて連携に難がある。だからこそ、目まぐるしく状況が変わる前衛より、時間の余裕がある後衛を務める方が理にかなっていた。


「随分静かだな」


 リディも何か言っているが、レイジにはその意味がわからない。


 ルネーめ、言葉くらいサービスで理解できるようにしてくれよ。そんな文句が思い浮かぶが、何も変わらない今を嘆いてもいられない。


 静かで人影ひとつないけれど、散歩気分で歩いていられるわけでもない。

 どこに敵が隠れているかわからないから、物陰に隠れて進むパスカルとアルギルスの合図に従ってリディを連れて進み、隠れる。その繰り返しだ。

 そんな中で、レイジが警戒するのは建物の屋上やバルコニーといった、少し遠くで狙撃に適した場所。それでも、壁に開けた小さな穴から撃たれたら気付くこともなくあの世行きになるだろう。

 

 モグラ叩きのように、訳のわからないところから急に敵が飛び出してくるのが市街地戦の厄介さだ。

 後衛だからと油断していたら、待ち伏せしている敵にドカンとやられてあの世に行く、あまりに高い代償を払う羽目になるだろう。


 そして、警戒していても不意の一撃に命を落とす危険もある。そんな理不尽な戦場だということを忘れてはいけない。

 それだけの警戒をしても、守りに先制を奪われる事の方が多いことも。

 

 それを思い出させるように小さな、スプレー缶にでも穴を開けたかのような音が静寂を切り裂き、悲鳴が静寂を破る。


 アルギルスが血飛沫を上げて倒れ、それを見たパスカルは近くの建物の陰へと飛び込む。レイジもリディを庇いながら、パスカルとは違う建物の陰へ飛び込んだ。

 刹那に踵の辺りで何かが跳ね、甲高い音を響かせる。あと少し遅ければ、足首を撃ち抜かれていたところだ。

 

 だがアルギルスは動けない。彼は道に転がって這いつくばっているが、誰も助けに行こうともしない。

 

 残酷な話だが、負傷者が出てもすぐに助けに行くことは絶対の禁忌だ。

 負傷者が出るという事はそこが危険という事であり、何も考えずに飛び出せば自分が負傷者へなり下がるか、最悪死体になってしまう。

 

 アルギルスを救うためには、建築物の森へ隠れているスナイパーを探し出して始末するか、最低でも制圧射撃を加えて攻撃不能へ追い込まなければなるまい。

 時間が経てば敵スナイパーが増援を呼びよせるはずだ。時間がそんなに残っていないし、急がなければアルギルスはトドメを刺されるか失血死してしまう。


「リディ、ここから動くなよ」


 覚悟を決めるしかない。レイジの位置はもうバレているというのに、敵の居場所をレイジは知らない。僅かにでも身を乗り出したならば、必殺の一撃がレイジの頭を砕く。


 それでも戦う以外の選択肢はない。


 レイジは覚悟を決めるわけでもなく、まるで呼吸をするのと同じような気持ちでガンケースをバックパックごと下ろし、ファスナーを乱暴に引く。

 姿を現した薄茶の迷彩塗装が施されたスナイパーライフル。

 対人狙撃銃という無骨な刻印と桜の模様が刻まれたそれを握るレイジはパスカルへ目を向けた。

 

 頷いたパスカルが僅かに角から顔を出す。レイジも顔どころか、片目を半分出しただけの僅かな視界で敵スナイパーの居場所を探す。


 雲間から差す陽光を照り返す白い光が見えた。それに遅れて見えた閃光に、レイジは首筋へ鎌を当てられたような気分になる。

 マズイ、そう察した刹那に風切り音を纏って7ミリの殺意が飛んできた。咄嗟に顔を引っ込めることができたのは、もはや奇跡と言えようか。あと少し遅ければ頭がスイカみたいに飛び散っていたことだろう。


 そんな捨て身の索敵が功を奏して、レイジは敵スナイパーの位置を掴んだ。距離100メートルちょい、正面8階建て集合住宅の屋上で伏せている。


 位置は覚えた。スコープのダイヤルをいじって射距離100メートルで調整し、端数は照準をずらして合わせよう。

 

 準備よし。親指を立ててパスカルへ見せると、彼は縦に頷く。


「リディ、ちゃんと隠れていてくれよ」


 不安そうな彼女の頭を撫でると、くすぐったそうに目を閉じて尻尾を振り始めた。

 癒されて恐怖心は飛んだ。リディを守るために、命のひとつ捨ててやろうじゃないか。


 ――狙撃手の本懐を見せてやるよ。


 ひとつ深呼吸をすれば、たちまち頭が冷えていく。


 まるで血が抜けていくかのような感覚と共に、思考が切り替わっていくような気がした。


 思考から無駄が消えていく。


 戦う理由もリディのことも、負傷して呻くアルギルスのことも頭から抜け落ちて、これから放つ一撃の事だけに全てのリソースを向けていく。

 

 これが狙撃手。そのたった一撃のために全てを費やし、時には命に優先順位をつけて、誰かを見捨てる。

 そのたった1発で戦局を変えるために。


 より多くの者のために。


 全ての条件が噛み合い、7ミリの弾丸を数百メートル先の小さな目標へ正確に直撃させる、そんな神の一撃を引くためだけに。

 

 情を捨てて、理だけに全てを委ねよう。


 "撃て"


 パスカルへそう叫ぶ代わりに、右手を振った。

 

 それを理解したパスカルは半身を建物の陰から乗り出し、届くかもわからない先にいるスナイパーへ弾幕を浴びせる。

 サブマシンガンでこの距離を正確に当てるのは難しいけれど、弾幕を浴びたスナイパーが怯んでくれればそれでいい。

 

 敵が撃つのを躊躇う状況さえ作ってくれれば、それで事足りる。


 コンマ1秒、それだけ稼いでくれれば十分すぎる。


 そして、覚悟を決めたレイジは建物の影を飛び出た。

 半身を出しただけでも、敵スナイパーからすれば十分すぎるほどに大きな的になるだろう。

 

 そんなことは覚悟している。やれるものならやってみればいい。先に頭を撃ち抜いてやる。


 しゃがんでスナイパーライフルを構え、スコープを覗き込む。立てた左膝に左肘を乗せれば、銃が安定してピクリとも動かない。

 嗚呼、覗きやすいし構えやすい。チークピースも何もが自分の体に合わせてあるんだ。

 まるで自分の半身にも思えるスナイパーライフルの帰還に、この体は喜んでいるのだろうか。パズルへピースを嵌め込むかのように、空白が満たされた気分だ。


 スコープの中に閉じ込められた虚像の世界はどこまでもクリアで、まるで自分の故郷のようだった。


「……上に1、ここ」


 目盛り1つ分上を狙い、息を吸う。

 そして僅かに吐いて止めれば、鼓動が一瞬止まったように感じた。

 

 同時に鼓動が生み出す照準の揺れが止まる。

 

 4倍の世界に浮かび上がる漆黒の虚像の上に、黒い十字架を建てた。


 ――当たる


 確信と同時に、体は指を引けと命じる。


 既にトリガーの遊びは引き切っていて、少し力を込めれば撃鉄が落ちる。

 

 引いた衝撃で照準がブレることのないように、コトリと落とすように。

 

 繊細な引きの後に、押さえるもののなくなった撃鉄がバネに弾かれて落ちた。

 

 撃鉄は撃針を叩き、撃針が薬莢に取り付けられた雷管を叩き、炸薬へ点火する。後は、弾丸が飛び出していくのを見送るだけ。


 強い反動が肩を押す。ストックに押し付けていた頬骨が殴りつけられるように痛んだ。


 刹那のうちに、弾丸が届いたことだろう。

 

 奴さえ仕留めれば戦況は変わる。そう思っていた矢先に鈍い音が響き、痛みと共に視界が掠れていく。


 嗚呼、撃たれたのか。


 ヘルメットを貫かれたのか頭に衝撃が走り、視界が霞んでいく。

 

 姿勢を維持できない。下半身の力が抜けて崩れ落ち、視界が青空に包まれていく。倒れた時の痛みさえ分からない。


 ヘルメットが石畳へ叩き付けられ、鈍い音が響き渡る。リディの叫び声さえも聞こえない。


 パスカルがどこかへ向けて撃ちまくっているけれど、それは上のスナイパーへ対してではなく、水平に撃っていた。地上から迫ってくる敵へ対処しているのだろう。


 よかった、スナイパーは排除出来たんだ。役目は果たせたな。


 リディが必死に体を揺すっているけれど、もう体が動かないんだ。ごめん。


 視界が闇に包まれていく。灰色の戦闘服に身を包んだ男たちがリディの両腕を捕まえて連れ去っていくところを見ていたというのに、俺の腕は拳銃を握る事さえ出来ずにいた。

 

 あと少しだけ体が動いたのならば、戦況を変えられただろうか?

 

 スナイパーを排除しただけでは何も変えられなかったのだろうか?


 リディを守るって言っていた癖に。


 トドメを刺されるアルギルスが見えた。連れ去られるリディを見送った。制圧射撃を受けて身動きの取れないパスカルを見守った。


 もう沢山だ、何か出来るはずなのに何も出来ないのは。

 

 エゴさえも守れずに終わっていくというのだろうか。

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