4日目 共通の目的
足音は急に消えて、代わりに木の擦れる不快な高音が響いた。
それはドアを開ける音で、遅れて静かな金属音が響き、何者かが銃を構えた姿を幻視させる。
部屋のドアは開け放たれたままで、飛び出してくるならばこのドアに続く廊下だ。そこから足音が迫ってきており、レイジに戦う以外の選択肢は残っていない。
やるしかない。敵は次々部屋の扉を開けて中をクリアリングしている。どう考えても手練の動きで民兵ではないのが丸わかりだけれども、退く道は奴らが塞いでいるんだ。
ならば、前へ出て活路を求めるしかないだろう?
レイジは飛び出した敵の銃口目掛け、槍のように持った小銃を突き出す。
そのまま絡めとるようにして相手の銃口を明後日の方向へ弾き飛ばし、肩口から思い切り体をぶつけて相手の姿勢を崩す。しかし敵も上手い。倒れながら腕をレイジの首へ回して、巻き込むように転がった。
レイジと敵が取っ組み合いになっているせいでもう1人の敵は撃てずにいる。黒いケープに身を包んだ死神みたいな男で、レイジを睨むように見下ろしながら射撃のチャンスを伺う。
待ってろ、次はお前を殺してやるから。
もみ合いで銃は役に立たない。レイジは射撃をすぐに諦めて、脇腹のあたりに取りつけているナイフを抜いて敵を刺し殺そうとしたが、敵はその意図に気付いたのだろう。レイジの手首を掴んでナイフを抑え込む。
それで止まるかと力を籠め、ナイフを突き出そうとした頭が揺れ、力が僅かに緩んだ。鈍い痛みが追いかけてきて、漸く頭突きされたと気付く。
居眠りしている間にヘルメットを外していたことを思い出す。痛いわけだ。
敵の右フックが来た。敵の肘の内側へ左腕をぶつけて止めて、右手のナイフで今度こそ脇腹を刺してやろうとしたが、逆の腕で防がれた。
敵はレイジを突き飛ばすように蹴り、それに抗うことをしなかったレイジは後ろへ吹っ飛びながら後転で受け身を取り、立ち上がる。お陰で間合いを取れた。
殺してやる。レイジは敵への殺意に飲まれかけていた。
アサルトライフルを構えて、さっきまで組み合っていた敵を狙うけれど、もう1人の黒衣の敵がレイジへ銃口を向けて叫んでいる。
少なくとも1人は殺せるけれど、間違いなくレイジも殺される。それでもリディが逃げる時間を稼げるならばそれでよかった。
黒衣の男が何を叫んでいるのか分からない。殺すか殺されるか、今ここにあるのはそれだけの関係でしかない。
覚悟を決めよう。トリガーを引いて、殺されるまでに一か八かもう1人道連れに出来ればパーフェクトだろう。
「――!」
逃げろ、レイジが叫ぶより早くリディが叫ぶ。何を言っているのか、レイジは相変わらず理解できないけれど、黒衣の男がそれに反応した。
油断させるつもりか、そんな警戒心がアラームを鳴らす。
そんなレイジの肩をリディが引いたことで頭に上っていた血がスッと流れ出ていく。
それが銃を下ろせと意味するのが分からない程無能ではない。
レイジは警戒を解かず、ゆっくりと銃口を下ろしていく。でも体は射撃姿勢を維持しているから、男が妙な真似をすれば先に撃てる。安全装置だって外しているんだ。
それでも男は妙な真似をすることもない。レイジと殴り合っていた方も武器を置いたまま起き上がったかと思えば、リディを前に跪いた。
黒衣の方も武器をマントの下へ隠し、警戒心を露わにするレイジの横を素通りしてリディの前で跪く。
それを見たレイジは銃に安全装置を掛け、漸く気を抜くことが出来た。
彼らが何を話しているのかは分からないが、彼らは守るためにリディを探していたのだろうという事と、リディが何かの重要人物であるという事だけは理解出来た。
レイジは知らずにVIPを護衛していたことを察し、少し気もが冷えた。向こうからすれば誘拐犯にも見えなくはないし、問答無用で射殺されていたかもしれない。
緊張の糸が切れ、レイジはへたり込む。すると、手が何かに当たった。
それは最初の時に拾った迷彩柄のケースで、何が入っているのかまだ見ていなかった。
「そーいや、これなんだっけな」
ファスナーを開けると、薄茶や茶の迷彩塗装を施された、スマートな印象の銃がクッション材の玉座に鎮座していた。
それがスナイパーライフルだとすぐに分かった。それを手に取ってボルトハンドルを僅かばかり引いて、弾薬が入っていることを確かめる。鈍く金色に輝く薬莢と、汚れを知らない銅の光沢を見せる弾丸が確かにそこへあり、放たれる時を待っているようだ。
名前も覚えていないスナイパーライフルなのに、レイジはどうしてかこれの使い方を覚えているし、何よりその弾道特性さえ知っている気がした。
細身の銃に乗せられた歪なスコープを覗けば、十字の黒線が刻まれている。レイジがそれを覗いた途端、頭へノイズが走った。
黒衣を身に纏った誰かと、これ越しに撃ち合った記憶がレイジの頭を埋め尽くす。スコープの映し出す虚像の世界へ閉じ込めた死神とレイジは撃ちあい、確かに頭を撃たれたはずだった。
頭へ走る衝撃、途絶えていく意識を覚えている。その次の瞬間には白の世界へ閉じ込められ、肉体を失ってルネーに相まみえたはずなんだ。
置いたままのヘルメットを手に取り、側面に目をやる。多分、切羽詰まっていたから見落としていたのだろう。
ヘルメットを覆う迷彩柄の覆いが抉られ、本体も引き裂かれたような痕跡が残っていた。
「……ヘルメットで弾いていたのか。どんだけ悪運強いんだ俺」
側頭部を引っ掛けるように当たるはずだった弾丸はヘルメットが受け流すように弾いたのだろう。でも衝撃は殺しきれず、頭を揺らされて失神してしまったのかもしれない。
——俺は死んでいなかったのか。それで、生きていた俺をどうやってこの地へ引き摺り込んだんだろう?
そんな疑問を断ち切るように、何者かに肩を叩かれた。反射的にナイフへ手をかけてしまうが、先程停戦した黒衣の男だと気付いて警戒を解く。
行くぞという代わりに外を指差すのを見て、レイジは縦に頷いてスナイパーライフルをケースへ仕舞った。
精度が命のライフルを万一にでもぶつけたりして、狙いが狂ったら大変だ。しっかり保護しなければならない。
こいつが壊れた時は、自分も死ぬことになるんだからな。
「Pascal」
「は?」
なんだ急に。何を言ったのか言語化できず、音としてしか認識できないレイジを見た彼はもう一度、今度は自分を指差しながらゆっくりと発音した。
「パスカル」
なるほど、名前か。
ならばこちらも教えておこう。同じように自分を指し「レイジ」と伝えれば、彼は縦に頷き、もう1人の男へ指を向けた。
「アルギルス」
「パスカルとアルギルスな……よし、覚えた」
サムズアップして見せると、どうやら意味は通じたらしい。パスカルは何やらアルギルスとリディへ声をかけ、移動準備をさせている。
レイジもガンケースとバックパックを背負い、装備をチェックする。大丈夫、行けそうだ。
「おい」
そんな声と共にパスカルが何かを押し付けてきた。よく見ればそれは地図で、赤ペンで何か書いてある。
丸印は今いる場所だろうか。そこから矢印が伸びた先には、幾つもの線路が集約された建造物がある。なるほど、駅から列車を使って脱出を目指すわけだな。
進行ルートは地図を見る限り、背の高い集合住宅群を抜けることになるだろう。どこから奇襲を受けるかもわからない、危険極まりないルートだ。
「このルート行くしかねえのか?」
レイジがマジかよ、って顔をして見せたからパスカルも理解したらしい。
迂回できそうな道にいくつもバツ印を書き加えたのは、ここに敵の検問か何かがあるということを伝えたいのだろうな。
「なるほどな、よくわかった」
パスカルは何かを言うが、やはり意味は理解できない。
けれど、彼はレイジのガンケースを指先で小突いた。期待しているとでも言っているのか、少し早くに立てとでも言っているのか。
どっちだっていい。ルネーが言っていたように、1発の弾丸で戦局をひっくり返してやろう。
――俺にはそれが出来るだろうから。
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