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3日目 遭遇戦

 あれだけ響き続けた銃声は嘘のように静まり返り、吐息さえ大きく聞こえる。

 

 そんな戦場のど真ん中だから、逃げ込んだ民家に住民の姿がないのは当然の事と言えよう。時間を切り取って、人の存在だけを消したように生活の痕跡が生々しく残されているばかりだ。

 ふらつきながらその民家へ突入したレイジは乱雑に散らかる床を足で払って座るスペースを作ると、そこへ崩れ落ちた。


「っ……」


 壁へ背を預け、今だに血を流し続ける傷口へ目をやる。ようやくアドレナリンが切れたのか、思い出したように傷が痛み始めていた。

 鼓動に合わせるように鈍い痛みが迸り、ドス黒い血が溢れ出る。それが静脈血で、今すぐに致命傷になるわけではないとわかり、少し落ち着いた。止血しなければ危ないのは確かだけれど、動脈をやられるよりはマシだろう。


 探るように触れたポーチを開けて、取り出したガーゼを傷口へ捩じ込んで強く圧迫する。荒っぽいような手当だが、深い裂傷の血を止めるにはこうしなければならない。


「うぐ……」

 

 痛みのあまり声が漏れても、歯を食い縛って止血するしかないことをレイジは知っている。どうしてなのかは知らなくても、それでどうにか出来るならやるしかない。痛いのはしょうがない、死ぬよりはマシだ。


 段々感覚が麻痺して、ガーゼを押し込んだ傷の痛みがわからなくなってきた。おかげで周りを見る余裕ができたレイジは、心配そうにこちらを見る狐娘に気付く。


「心配するなよ、かすり傷だからさ」


 言葉の意味は通じていないだろう。けれども穏やかな声色と表情で"大丈夫"だと伝わっただろうか。

 撫でてやろうか、レイジはそう思って右手を伸ばして、思わず引っ込めてしまった。


 自分の血か、それとも返り血か。赤く染まったその右手で白銀を汚すつもりか。

 

 彼女はきっと殺しと無縁の中を生きてきたんだ。汚れ切った俺の手で、眩しいほどに白い彼女へ触れられるものか。


 血は全て俺が流そう。そして、俺の手だけを染めよう。彼女の白を赤に染めてはならない。


 守るべきものと捨てるべきもので振り分けるのならば、彼女を守って自分を捨てる。捨てると決めた命をいまさら惜しむ気もないし、どうせ地獄へ堕ちるのならば何人か道連れにしてやる。

 

 手を引いて壁へ背を預けて息を吐くと、白い吐息と共に意識が薄れていき、代わりに暗闇が視界を覆い始めた。まだ包帯だって巻いていないのに、失血のせいで体力が限界を迎えてしまったのだろうか。

 

 まいったな。もう少し、まだ逃げなきゃならないのに。


 そうして意識を手放す時は視界が暗闇に包まれていくものだというのに、今ばかりはどうしてか白に包まれた。

 まるで陽の光を浴びたかのような明るい世界は、瞼を閉じたはずの視界にはあまりにも不釣り合い過ぎる。


 まるで、最初の時と一緒だ。


「会えたみたいね。安心したわ」


 この優しい声、確かルネーと名乗ってたっけ。あの時は彼女の言葉を聞いているだけだったけれど、今はそうじゃない。口が動く、そんな感覚がしたから。


「で、あの子で合ってるのか?」


 ルネーは目を閉じ、笑っていた。何も答えないままに。

 否定はなく、肯定もない。沈黙は肯定と捉えるのが普通だろうか。


「名前くらいは聞いたの?」


「どうせ見ていたんだろう?言葉も通じないのにどうやって……」


「言葉が通じなくても、名前くらいなら伝えられるわよ」


 無理だ、と言おうとしてやめた。だって、まだ試してもいなかったんだから。

 

 もしも、彼女と言葉を交わせたならばなんと伝えようか?

 どうして追われているのか、どうしてこの街で争いが起きているのか、聞きたいことは山ほどある。


 でも、そんな陰鬱な話は嫌だな。何か楽しい話がしたい。

 そうだな、どんな話がいいだろう。好きなお菓子の話でもしようか、甘いものが嫌いな女の子など滅多にいないだろうし。


 でも、俺の言葉は聞いてもらえるかな。

 目の前であんなに人を殺したのに、普通に接してもらえるなんて思っちゃいないんだ。


 負った罪も傷も、痛みも全てがレイジを形作るピースだから、後悔などしない。その現実を受け入れて、彼女へ背中を見せて歩き続けるしかできないのだ。

 

「人を殺したこと、後悔してる?」


 ルネーはまるで心を見透かしたように語りかけてくるが、レイジは首を横に振る。

 

 後悔するくらいならば、最初から殺さなければいい。

 人は殺されるより殺すことを恐れるとさえいうのだから、大人しく殺される方を選ぶか、最初に民兵が来た時に死んだふりでやり過ごせばよかったんだ。


「あの子を守りたいってエゴを貫いた結果だ。後悔なんかしないで、最後まで貫いてやるさ」


 ここに正義などなく、あるのは自分のエゴだけ。

 その結果で積み重ねた死体の山に後悔するくらいなら、始めからやらなければいい話なんだ。


 ならばせめて、積み重ねた死体の山を踏み越えてその先へ、目的の場所へ辿り着くことこそ弔いなのだろう。


 少なくとも、そう信じて歩いていくしかない。


「強いのね」


「無謀なだけだ」


 自嘲的に笑うレイジをルネーの華奢な両手が包み込む。

 まるで女神の抱擁のような優しさに包まれ、少しだけ救われたような気がした。


「辛い役を任せてごめんね」


 首を横に振る。きっと、たった1人でこんな世界に放り出されていたら早々に諦めてしまっていたかもしれない。

 だから、役目を与えてくれたことが嬉しいんだ。誰かを守ること、そのために犠牲となることが誇りなのだから。


 どうしてそう思うのかは、まだ分からないままだけれども。


「……そろそろ行くよ。まだ戦わないと」


 ルネーは頷く。


 行って、そう言おうとした唇は音を発する前に閉じられ、代わりにレイジの頬へと押し当てられた。


 いつか、俺の罪が俺を捕まえるその瞬間まで、戦って走って逃げて、どこまで行けるか試してみようじゃないか。


 少しずつ視界が白から暗めの色合いへと戻る。夢でも見ていたようだ。

 

 ズキリと痛む左腕には白い包帯が巻き付けられ、少し血が滲んでいた。寝ている間に少女が巻いてくれたのだろう。

 

 そんな彼女はレイジの膝の上で丸くなり、スヤスヤと眠っていた。まるで子狐のような愛くるしさに、思わず無事な右手で頭を撫でてしまったのは許して欲しい。

 漸く勇気を出して、彼女へ触れられたんだ。

 

 くすぐったかったのだろうか、少女はもぞりと身じろぎしながら薄く瞼を開ける。こうして撫でていると、アニマルセラピーとやらも馬鹿にできないなんて思ってしまう。

 少しだけ心が落ち着き、傷の痛みはまだあるけれど指は動く。両足が無事で利き手も生きているから、もう少しだけ遠くに行けそうだ。


「名前、教えてくれる?」


「——?」


 やはり言葉は通じていないままだ。ルネーが女神様か何かで、気を利かせて言葉が通じるようにしてくれれば良かったのに。

 でも、ヒントだけはくれた。確か、言葉が通じなくても名前を教えるくらいはできる、だったか。


 そうか、教えればいいのか。


「レイジ。俺は、カンザキ・レイジ」


「レイ、ジ……?」


「そう。俺はレイジ」


 少女がこくりと頷く。ようやく言葉というか意図が通じて嬉しく思えた。


「レイジ……リディ」


 名前以外に何を言っているのか聞き取れなかった。レイジがそれを言語として認識していないせいで音にしか聞こえないのだろう。はっきりと強調された"リディ"だけを抽出出来た自分の脳を褒めてやりたい。


「リディ?」


 こくりと少女が頷く。少女の名前はリディで間違いないらしい。

 その3文字だけの名前を知っただけで、色褪せた世界に色が戻る。


「リディ、か……うん、いい名前だよ」


 レイジがニコリと笑って見せれば、彼女も薄く微笑んだ。

 

 クールな印象の銀狐の笑顔は冷たく、それでいて優しく輝く月のように見える。

 その光が眩しいけれど、あまりにも美しくて目を離せずにいた。いつの間にか痛みが消えて、その笑顔ひとつのおかげで負った傷にさえも意味が持てるように思える。

 救いのない戦場の中に見出した光へ包まれて、心は穏やかに落ち着いていく。それだけで、傷を負って手を血に染めたことが報われたのだ。


 でもそんな平穏はいつだって崩される。

 少女の耳がぴくりと震え、レイジの耳もその音を捉えた。重い音、重なった足音が敵部隊の接近を知らせる。

 この音なら2人か。歩調もあっていて、重い音はそれだけ装備が重いことを示す。民兵じゃない、正規兵の足音に違いない。


 左手に力を入れるとまた痛む。だから戦えないだなんて言えないから、我慢して戦うしかない。そうしなければ殺される。自分が良くても、リディがどうなるか考えるまでもない。

 こんなモラルもへったくれもない戦場で、少女を捕まえた民兵が真っ当に扱うわけがない。民間人を殺すところを見たばかりだぞ。傷のひとつでガタガタいうなと、レイジは自分を叱咤する。


「いいぜ、相手になってやる」


 利き手は生きているし、ナイフは握れる。銃も右構えならばなんとか左腕の痛みに耐えながら戦えるだろう。


 ——来いよ。例え俺が斃れる事になったとしても、リディだけは逃してやる。

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