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22日目 射手と観測手(2)

 たった2人だけの任命式から30分は経過しただろうか、レイジの鼻を治療して暗号の続きを書いていたリディは漸く作業の手を止める。

 それは暗号が完成したという合図で、声には出さないがレイジは歓喜の表情でリディの作業を称える。


「起動すればご要望通りの穴を開けられます。それでいいんですね?」


「大きいくらいさ。訊いておくけど、爆発するわけじゃないんだよな?」


「砂みたいになって崩れ落ちる感じです。構えていても吹き飛ばされませんよ」


「それを聞いて安心した」


 構えを取るという事は、穴の前で動くことだ。

 折角小さな穴をこっそりと開けたのに、その動きを気取られたら意味がない。


 それならば、穴を開ける瞬間を気取られてしまうのではないか、レイジにはそんな懸念が浮かぶ。


「……リディ、悪いがもうちょい苦労してもらえないか?」


「何をさせるんです?また借金ですよ」


「負けるよりはいいさ。これと同じのをもう少し作ってくれ。で、出来れば同時に起動して欲しい」


 なぜ、とリディは訝しげな顔をするが、レイジが真剣に言っているのだと理解すれば溜息をひとつ吐き、仕方ないですねと肯定の意を示す。

 真剣に言うからには、勝つために必要なことだろうとリディも薄々理解はしている。


 ツェーザルを斃すためには、彼の技量を上回る何かがいる。

 レイジリディとの契約を果たすため挑もうというのだ。


 それに手を貸さない理由などない。


「さっきは余計な茶番を挟みましたから、ひとつ当たり10分ください。いくつ必要です?」


「5つくらい欲しいな」


「随分と手間かけさせますね」


 そうだよな、とレイジは苦笑いを浮かべるけれど、少なくともレイジの考えではそれだけ必要だし、可能ならもっと準備しておきたい。

 戦って感じ取ったのは、ツェーザルが並のスナイパーではないこと。

 それならば、並の戦い方では絶対に勝てない。少しでも奴を上回らなければ、頭を撃ち抜かれるのはレイジの方だ。


「出来ないのか?」


 リディがふん、と鼻を鳴らすと、冷たい月がレイジを見下ろした。


「誰に言っているんですか?」


 上等、口角の釣りあがるレイジはそれだけ漏らし、リディと共に独房を出る。

 暗号を書くのはリディだが、それらしい場所を選ぶのはレイジの役目だ。


 守るだけじゃない。隣で戦って、今度こそ完璧な勝利を収めてやろう。


 ※


 ツェーザルは監視塔の中腹にある窓から居住区核を見張っていた。

 夜間暗視装置がないので、ツェーザルは月明りを頼りにする他なく、マテウスが代わりの目になってくれるはずだった。


「うーん、スコープないと分かりにくいや」


 マテウスは肉眼で索敵をするが、やはり芳しくないらしい。

 レイジの反撃でスポッタースコープが割られてしまい、暗視能力を持っているもののスコープがないので肉眼で索敵せざるを得ず、怪しいものを見つけても細部が分からないという事態に陥っていた。


 遠くまで見渡せるが暗視能力のないツェーザルと、高い暗視能力を持つものの、遠距離の目標を識別できないマテウス。どうにも歯痒い状況に、ツェーザルは思わず溜息を吐く。


「いっそ、僕がライフルを……って思ったけど、ツェーザルほど上手く撃てないもんなあ」


「銃を貸すから、それで索敵できないか?」


「それだと返す間に逃げられるし、結局目標の指示がしにくいよ。朝になるまで、外に逃げないようにだけ気を付けよう」


「そうだな……レイジは人間だから見えない筈で、リディを前に出してくるとは思えん。問題はパスカルやアデリーナだ」


「それはヒルトマンの小隊が拘束して、レイジたちと分断してるよ。違う場所からの指示じゃ探すのに手間取るから問題にならないかな」


 戦場においてそんな楽観的に事が運ぶことはないし、レイジなら多少の無茶さえやってしまうのではないかという思いもある。

 ツェーザルは何度も戦った相手であるレイジのポテンシャルを高く評価していた。

 幾度傷ついても臆することなく、逆にツェーザルを追い込み、計画の修正を強いる事さえあるくらいの相手をどうして過小評価できようか。


 そんな相手と一晩こうして互いの位置を探り合わねばならない。自分たちの最大の強みを潰された状態で。

 互いに不利はある。しかし不利の数を数えたところで仕方がないから、有利を数えて戦うしかない。


「ああ、なんか穴が増えたかな?ツェーザル、居住区の3階と2階に合わせて5つの穴が増えたよ」


「何か動きは無かったのか?」


「急に開いたから、リディの暗号を使って開けたのかも。レンガ1個分の穴だから、その奥はよく見えないね」


 ふむ、とツェーザルは声を漏らしながらスコープを向けるが、月明かりも当たらず陰になっているせいか穴が見つからない。

 いくらスコープで拡大しても暗視能力を持つマテウスなら兎も角、人間の目で見つけ出すなど不可能な話だ。


「月は出ているが、上手く見えんな」


「光量が足りないね。それに、向こうも穴より後ろで構えているはずだからどっちにしても見えないよ」


「向こうも同じだろうけどな」


 そういいながらも警戒は怠らない。

 自分たちがこうだから、相手もそうだろうと信じるのは絶対の禁忌であることをツェーザルは知っている。

 だから、これはただの軽口。自分たちが心の余裕を持つために発しただけに過ぎない。


 もし、レイジがリディにスナイパーライフルを託していたら?

 もし、レイジが暗視装置を持っていたら?

 もし、リディがスコープを使って偵察していたら?


 もし、がいくらでも浮かび上がり、バカバカしいようなもしもの話も考え、可能性を潰していかなければならない。

 そんな恐ろしく慎重で、臆病でなければ狙撃手は生き残れない。

 僅かな不自然が死を呼ぶ兵科であり、ひとつのミスも許されないシビアな世界へ身を置くことを許された精鋭という誇りはミスを許容しない。


「マテウス、あの穴以外から覗いてきている可能性は?」


「あの穴がダミーだって言いたいの?」


「俺たちがあれをやるとして、馬鹿正直に穴から狙うか?」


「穴を囮に、本体は他の所か。僕ならそれを深読みして、敢えて穴から狙うかな」


「奴らはどっちだ?」


「どっちもブラフで、まさかの正面突撃だったりしてね」


 ならば対処が楽なのに、とツェーザルは鼻を鳴らす。

 

 焦れば自分の位置が露呈する。

 しかし朝が来れば、この読み合いは一瞬で決着がつく。


 その朝が来たときにいち早く相手の位置を掴むために、今出来る限り可能性を絞り込んでおくのだ。

 それがきっと、生死を分けることになるから。


「もし突撃してきたとしても、僕や下の小隊がツェーザルだけは逃がしてあげるから安心してよね」

 

「馬鹿なことを言うな、お前らが死んでどうする」


 マテウスはツェーザルへ顔を向けると、いつものように屈託のない笑顔を向けた。

 敵をいたぶる時のような狂気に満ちた笑みではなく、この世の汚れを知らない幼子のような笑顔を。


「僕たちは実験体で、廃棄処分されるところだった。それを拾って、軍人の身分を与えてくれたのは君だよ。だから、君は僕らにとって命を賭けるに値する主人なのさ」


 この忠犬め、とツェーザルは鼻を鳴らす。

 

 彼らの能力が手駒として役に立つから拾い上げた。

 憐憫も少しはあったけど自分のためでしかない。


 それなのに彼らは忠誠を誓う。

 そんな大層なことはしていないというのに。


「まだ夜は長いな」


 誤魔化すように呟き、スコープを覗きなおす。


「夜のうちに決着がつけばいいのに。お月様に見放されたね」


 月明かりではあの小さな穴の奥を照らすに足りない。

 優しく、静かな白銀の光も今日に限っては恨めしい。


 きっと、こんな状況でなければ幻想的な月明りを穏やかな心で楽しんでいたのだろう。

 緑の燐光を撒き散らす蝶たちの舞踏会を心静かに、お気に入りのティーカップで茶を味わいながら見ていたに違いない。


 それでも状況はそれを許さない。

 連邦が起こした侵攻作戦はもう止められず、与えられた役目を果たすには何としてもリディを捕らえて王家の秘宝についてしゃべらせなければならないし、それを果たすためにはレイジを排除する必要もある。


 信奉する祖国のため、もしかしたら友になれたかもしれないあの狙撃手を葬ろう。

 腕を認め合い、蝶たちの舞踏会を眺めながら言葉を交わせたかもしれない好敵手へ、言葉の代わりに弾丸を送ろう。


 部下にも攻撃はさせない。せめて任務の中でも自分の意地を通すために。

 レイジを葬るのは自分の狙撃でと決めたツェーザルにとって、今この状況程恵まれたシチュエーションなど存在しない。


 この場で決めよう。どちらが優れたスナイパーであるかを。

 生き残った方が最高のスナイパーになる。


 来い、レイジ。

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