21日目 射手と観測手(1)
「ここなら、って思ったんだけどな」
上へ下へと動きながら場所の選定をするけれど、上手く射界を確保しながら偽装できる場所が見つからない。
窓はあるけれど、窓は基本的に警戒すべき場所であるためどう頑張ってもバレる。
どこかいいところはないだろうか。
いっそ壁に穴でもあけられたらいいのに、と考えてしまう。
乱暴なように見えて、それは意外と有効な手段であったりする。
窓のようにもとからある穴より、壁に開けた小さな穴を使えば見つかる確率は低くなるし、スコープがあるといっても僅かな穴を見つけ出すのは至難の業だ。
この忌々しい程に分厚い石を穿つことが出来るならば、それは解決するのに。
「上手くいかねえな。こぶし大でいいから、壁に穴がありゃいいのに」
「壁の穴って見つからないものなんですか?」
「相手が撃ってこない限り特定は無理。特に夜間はなおさらだ」
なんでそんなこと知っているんだろうな、とレイジは自嘲的に笑う。
記憶がないと言っている癖に、どこか片隅で覚えているように知識が出てくるのだ。
狙撃をトリガーにして、忘れていた記憶が引き出されていくような感じがする。
そうだとすれば、どれだけの人間をこの十字架へ掲げた果てに自分の記憶を取り戻せるのだろうか。
あまりにも罪深い。それが狙撃手の定めと知っている癖に。
「穴、作れますよ」
「マジ?」
それが出来るならば、戦況は一気に優位へ傾く。
こんな感じ、と壁を指でなぞれば、リディは盾に頷いて肯定を示す。
「余裕です。そこだけ消す感じになるので、向こうからは何してるのか分からないと思いますよ」
「じゃあ、やってくれるか?向こうにバレないように」
「時間が掛かりますよ」
「構わん。相手も動けないだろうよ」
そうですか、と一言返したリディはパスカルから受け取っていたのだろうか、チョークを取り出して壁に魔法陣を描き始める。
それが何なのかをレイジはよく知らないけれど、リディが必要としているからにはそういう物なのだろうと何も言わずにそれを見守る。
こういう知らないことに余計な口を挟んで作業の邪魔をするよりも、黙って見守ってその後自分の仕事をすればいい。
「ねえ、レイジ」
「どうした」
リディから声を掛けてくるとは珍しいな、と思ったレイジは首をかしげながらも答える。
こんなに静かで冷たい夜には話し相手が欲しい。寂寥感に囚われそうなレイジには丁度良かった。
「……あいつらを殺したいって言ったら、レイジはなんて言いますか?」
あいつら、とはツェーザルたち治安維持軍か、国民議会とやらも含むのかを計りかねた。
それでも確かなことは、それらがリディの肉親を奪って天涯孤独の身にしたという事実で、彼らが唱える大義名分もでっち上げでしかない理不尽なものという事。
それに復讐したいと考えたところで、それは至極当然なことに思える。
だからこそ、レイジは質問の意図を理解しかねた。
「復讐して何がおかしいよ。これで許すとか言い始めたら正気を疑ってたぞ」
「こういう時、小説の騎士様は復讐なんて何も生まないって諭していましたけれどね」
「ふざけんな、気持ち悪い綺麗ごとだ」
レイジが吐き捨てるように言い返すと、リディは一瞬だけ驚愕の表情を浮かべた。
何がおかしいというのだ。
どこの誰が言ったのか知らないが、復讐しないで何になる。
そうやってやり返さないから何度でも奪われる。
奪ったバカからはそれ以上に奪い、壊して二度とそういう真似をしてこないように懲罰するか、そもそも二度と立ち上がれないようにしてしまうしかない。
「復讐が何も生まないなんて、奪われたことのない奴の戯言だろ」
そもそも、あんな気取った騎士様なんて反吐が出る。
綺麗事と作り物の騎士道なんて見ているだけでも気分が悪くて仕方がない。
「やられた奴にとってはゼロに戻すための大事なことで、そうしなきゃ前に進めない」
リディの手が止まる。
その指先は小刻みに震え、細い指先には過剰な力が入って今にも折れてしまいそうに見えた。
その震えを止めようとレイジは手を伸ばして、その手を引いてしまった。
リディの白く雪のような手は汚れを知らない。
レイジには自分の黒いグローブが血を吸って黒く変色したように見えて、リディの清らかな手を汚すことを躊躇ってしまった。
結局、自分がリディの背中を押したことが正しかったのかを早速自問自答することになる。
彼女の手を赤く染める修羅の道へ導いてしまったのかという罪悪感は間違いなくあって、復讐を止める言葉がそれを嫌がってのことだとすれば納得もいく。
でも、それは結局自分のエゴ。外野のノイズでしかない。
復讐するのか、その修羅の道を歩くのか、それを決めるのはリディであってレイジではない。
もしも、その道を歩くというのであれば、自分が銃となり、銃弾となって彼女の道を切り開くであろう。
それだけは、確かに言えることだ。
それがきっと、レイジにとって生き残る理由になって、生きた意味にもなるはずだから。
「俺を使え。俺はリディの指示で、望む目標を撃ち抜いてやる」
――俺は狙撃手、俺は狙撃銃。
――使い手の意のままに、望む目標を地平線の彼方からでも撃ち抜いてみせよう。
「……家族の仇を、撃って」
その言葉が聞きたかった。
今はそれが原動力だったとしても、リディが生きたいと思う理由になってくれればそれでいい。
傭兵への依頼を、確かに聞き届けた。
「ああ、俺との個人的な契約だな」
「ええ。ツェーザルとマテウス、あと出来る限りの連邦兵に国民議会メンバーを」
「全部撃ってやる。それで……」
レイジは言葉を切ってリディの手に銃剣を握らせると、それを自身の首筋へと導く。
月明かりに淡く光る漆黒の刃を少しでも引けば、首から鮮血が溢れ出ることなど容易く想像できる。
どうして、とリディはその行為に瞳を見開き、レイジはどこか諦めたような笑みを浮かべていた。
「最後はリディの手で、俺を殺してくれ」
どうして、と震えるリディの手をレイジは包み込むように握る。
刃が肉に押し当てられる。
くしゃみのひとつでもすれば、レイジの頸動脈は切り裂かれるというのに、恐れることもない。
「俺はリディの兄貴を見捨てた。俺だって仇みたいなものだ」
それだけ言って、レイジは手の力を緩める。
リディは手に力を入れていなかったのだろうか、零れ落ちた銃剣がからん、と床へ落ちて、その音は永遠と思えるほどに響き続けた。
「……どうして、兄さんを見捨てたんですか?」
「撃てば、助けられたかもしれない。けれど、リディを助け出せないリスクが大きかった」
誤魔化すことはしない。
それが自分の選択で、これがその結果だったのだから、今この場でリディに殺されたとしても文句を言うつもりはないし、笑顔で受け入れるつもりでいた。
「どうして、私を選んだんですか」
「あの時出会ったのが、リディだったから」
それ以外の理由なんてない。
リディを守りたいというエゴの為に、その他を全て犠牲にしたのだ。
敵の命も、味方の命でさえも。
その責任を問われる時が来た、それだけの話だ。
リディの姿が揺らぐ。
頬を痛みが襲い、視界どころか身体ごと揺らいで崩れ落ちる。
殴られたのか、そう理解する前に倒れたレイジへリディがまたがり、再び拳を構えてみせた。
「まず、父様の分!」
反対の頬が殴りつけられて視界が揺らぎ、一瞬だけ意識が飛んだ。
視界に星が舞い、襟首をつかんで揺さぶられて意識が戻る。
「これは、母様の分!」
次に、アーマーが守っていない腹部へ拳がめり込み、呼吸が止まる。
嘔吐感と鈍痛に身体が曲がり、口から空気が全て漏れ出していく。
「姉様の分!」
迫る拳から目を背けることも、目を閉じることもせずに見つめる。
鼻っ柱を捉えた一撃に、レイジは後ろへと倒れながら溺れるような苦しみを味わう。
鼻血で呼吸が出来ない。鼻も折れたかもしれない。
「最後に、兄様の分!」
それを最後に静寂が訪れ、リディはレイジの顔を見下ろす。
青い星か、それとも月が見下ろしているようで、レイジにはそれが美しく見えた。
痛みと息苦しさ、床の冷たさでさえも、レイジを安心させてくれた。
ずっと抱え込んできた罪悪感という重さ、その後ろめたさをずっと断罪してほしかったのだ。
罰してくれたのが酷く嬉しい。
自分は賞賛などされず、罰せられるべき人間だと思い続けてきたから、その通りであってくれてよかった。
「これでレイジへの罰は終わり。契約です、傭兵。私……アリエス聖王国第2王女、リディ・ル=ヴェリエの傭兵として、働いてください」
身を起こしたレイジは鼻血を噴き出した後、リディの前へ跪き、頭を垂れた。
窓から差し込む月明かりが照らす、誓いの儀式。
「貴女に殺されるその日まで、変わることのない忠誠を」
そう唱えるレイジの肩を、リディは拾い上げた漆黒の銃剣で静かに叩いた。




