20日目 反撃開始
駆け込んだ独房は四方を石積みの壁に覆われ、窓には鉄格子、扉は重い金属製で、覗き窓に鉄格子がはまっている。
そんな最高の防御がなされた行き止まりに担ぎ込まれたレイジはすぐさまベッドへ寝かせられ、差していたペンはリディによっていきなり引き抜かれた。
流石に痛いし、脱気し辛くなって再び息苦しさに襲われる。
酸欠で脳に酸素が回らなくなったのだろうか、視界は白く染まり、再び言葉が紡げなくなった。
死ぬ、そんな考えがぼんやりと頭を過ぎる。
針孔のように小さく残った視界も、白い世界に埋め尽くされていくのだろう。
降り積もる雪の中で寝転んでいれば、顔に降り積もった雪が視界を埋め尽くして体温を奪っていく。
そんな気分の中、迫りくる死に身を委ねなければならず、自分で抗うことなど出来ようもない。
――そんなの、嫌だなぁ。
――助けてくれよ、ルネー。
思わず神に縋るように、ルネーに頼ってしまった。
あの不思議な少女であればこの傷もどうにか出来るような気がして、それに縋ってでも生き残りたかったから。
またリディを泣かせるようなことをしたくなかったから。
――だから頼むよ、少しだけ力をくれ。
ルネーの姿は見えない。
――女神よ、勝利をくれ。
この世界が真っ白に染まっているというのに、どうしてあの時みたいに現れてくれないのだろうか。
それなのに、どうして声が聴こえるのだろうか。
まるで荘厳な讃美歌のような優しい歌声が。
暖かいものが体を包むようで、窒息の苦しみは消え去った。
まるで眠りに就くような穏やかな気分でいると、いない筈のルネーが微笑んでいるような気がした。
――あなたを助けるのは私じゃないわ。彼女と一緒に戦って。
誰が助けてくれたというんだ。
あの深手を魔法のように治せるのはルネーしかいないと思っていたのに。
――生き残って、アトラスまで来てね。
ルネーは答えず、それだけを告げると白を引き連れてどこかへ去っていく。
残されたのは色彩の戻った独房で、青い双眸が暖かな流星を降り注がせながらレイジを見下ろしていた。
「リディ……」
「今度は、効いたみたいですね」
呼吸が出来る。
体に触れてみると、ペンを刺したはずの穴が無くなっていた。
あの時聞こえた歌はいつだっただろうか、リディとまだ言葉を交わせなかった頃に聴いたそれと似ていたように思える。
あの歌には意味があったのだろうか、リディの顔を見ればそんな考えに行きつくのは当然の事だ。
「あの歌、何か意味があったのか?」
「歌じゃなくて、詠唱魔術です。傷を癒す強力なやつですが、前効かなかったので一か八かでした」
パスカルにノードがないと言われていたことを思い出す。
ノードの代わりに魔晶石とやらを左手へ埋め込んだおかげで暗号が使えるし、効果を受けるようになったと言っていたが、リディの言う詠唱魔術というのもその類だろうか。
そうだとすれば、素のままでは魔法を使えないしその効果を受け付けないこの体は何なのかと疑問が湧くが、その究明は後回しにしてもいいだろう。
「そうか……ありがとう、助けられたな」
「私の方こそ、レイジに助けられてばかりです」
リディの華奢な掌がレイジの頬を包み込む。
その暖かさが心地よくて、思わず縋ってしまいそうになる。
情けないけれど、なぜか人肌が恋しくて仕方なかった。
孤高のスナイパーであろうとしていたというのに、どうしてリディと一緒にいたいなんて甘えたことを考えてしまうのだろうか。
「……パスカルたちは?」
「散らばって周辺警戒、この一角を確保しています。敵スナイパーの位置は依然不明、出口をブロックされてしまった感じですね」
「突破か、奴を倒すかだな」
「出来ますか?」
「一か八か」
辺りはすっかり暗くなっていて、結構な時間意識を失っていたらしい。
残念ながらレイジとて肉眼で暗闇の中を見通すことはできない。
暗視装置もないし、恐らく夜が明けるまではこのまま現在地を維持して待ち続けるしかない。
「なら、私が敵を探します。レイジの目じゃ、暗闇の中を見通せないでしょう?私の目ならば、夜でも昼と同じように見れますから」
「……狙われるぞ」
「守ってくれるでしょう?撃たれたらその光を頼りにやり返してください」
流石のレイジも迷った。
暗視能力の高いスポッターがいるならば何よりも心強いが、だからと言ってリディを敵前に晒すような真似をしたくはない。
それで止めたとして、どうなるだろうか。
外は暗く、どこに敵が隠れているのかもわからない。
リディの夜目に頼るしか方法はなく、今リディを安全なところに隠したとしても、数時間後もそうかと言われれば否と答えるしかない。
何より、リディのことを信用していないように思えて、胸が痛む。
そのまっすぐな瞳に、ちゃんと向き合う時が来たのだろう。
彼女の不器用な強さに、この命を託そう。
「その耳は目立つから、こいつを被れ。あと、単眼鏡も貸しておく」
レイジは首に巻いていた迷彩に染められたメッシュのスカーフ、スナイパーヴェールをリディの頭に被せる。
スカーフとして使うほかに、頭から被って草木に化けるためのヴェールで、白く目立つリディの髪と耳を覆い隠してくれることだろう。
「……暖かくはないですね」
「そりゃ、メッシュだからすぐ冷えるよな」
「我慢しておきます」
なんだそりゃ、とレイジは思わず笑みを零す。
レイジはスナイパーヴェールをリディに貸してしまったので、代わりにジャケットのフードを被る。
フード程度では頭から肩にかけての輪郭、不自然な形であるがゆえに目立つところを隠しきれないが、そこは上手くやるしかない。
「それで、敵スナイパーの動向は分かるか?」
リディはこくりと頷く。
何も情報がない中で手探りの索敵となれば相当に骨が折れたはずだから、少しでも情報があるのはありがたい。
「ドアの前、廊下の窓が見えますか?」
ドアに嵌められた鉄格子の向こう、更に鉄格子の嵌る窓を見ると、見覚えのある監視塔があった。
「あれか。あの監視塔?」
「1時間前に下の通路で交戦中だったパスカルが狙撃されたそうです。その事から、たぶん同じ塔にいるけど階層が分からないそうで」
「狙撃された?死んだか」
「いえ、弾が鉄格子に当たって逸れたらしく、無事なようです」
「悪運の強い野郎だ」
「レイジも」
それを言われたら反論のしようもなく、苦笑いを浮かべるばかりだ。
「よし、監視塔を観察するにあたって、俺たちも位置を変えよう。ここに逃げ込んだのはバレているはずだから、このまま監視したら逆に撃たれる」
しゃがんで移動すれば、恐らくツェーザルからの射線を切ることは出来るはずだ。
そして居場所をくらまし、互いの位置を探り合う、スナイパーの長く、静かな戦いになるだろう。
どうしてだろう、極限の状況なのに笑みが零れてしまう。
嗚呼、今度こそ一方的に撃たれてからのカウンタースナイプじゃなくて、戦場の霧の中での対等な戦いだから心が躍るのか。
レイジとツェーザル、互いに獣人のスポッターがいて、射手は人間。
先に見つけて、先に撃って、当てた方が最高のスナイパーになる。
たったそれだけ。
自分の戦いが出来るのは嬉しいんだろう。
それか、リディと一緒に戦えるからだろうか。
不思議な歓喜を味わいながら独房を出て、中腰でリディと一緒に廊下を歩き、狙撃に適した地点を探す。
夜の探検のようで、少しだけ童心に帰る。
そうすれば、きっと見落としていた何かが見つかるかもしれない。
「じろじろ見てなんですか、えっち」
「暗くてまともに見えねーよ、ツェーザルに勝ったらご褒美くれ」
「前払いしたでしょう。アリエス聖王国第2王女の膝枕は安くないんです」
「ご過分な報酬痛み入ります」
「あげ過ぎました、その分借金です」
マジかよ、と肩を竦めるレイジと、それを見てクスリと笑うリディ。
いい具合に肩の力が抜けた。
これから命のやり取りをするけれど、恐れることなく立ち向かえそうだ。




