12日目 善後策
「遅かったか」
パスカルはアパートメントの屋上から苦虫を噛み潰したような顔をして、眼下の光景を見つめる。
ちょうどレイジとリディが囚われたところで、後少し早く到着していれば助け出せたが、こうなってしまっては手出しができない。手遅れだった。
「一度退くか。ツェーザルの野郎もすぐには殺さないだろう」
踵を返し、僅かに下を見返すと、漆黒の男がパスカルを見ていた。
指先で銃の形を作り、バンと撃つ仕草を見せたのは、パスカルへの挑戦状というべきだろう。
「……ブチ殺してやる、連邦の亡霊め」
ひとまず、リディの処刑は阻止できた。あとは情報を吐かれる前に救出するればいい。
その段取りのため、パスカルは今の状況に固執する事なく、さっさと戦場を離脱する。
今で負けてもあとで取り返せばいい。最後に戦略的勝利を得られればそれでいいのだから。
※
カレリア中心地での戦闘から1時間後、パスカルはカレリア郊外の廃墟群にいた。
遥か昔からあるとされる崩壊したビル群で、前の文明の痕跡として考古学者がこぞって研究のために訪れる場所がこの街林地帯だ。
倒壊したビルは森に包まれ、木と廃墟が立ち並ぶ林の中で一際高いビルに登ると、あまりにも呑気な誰かがテントを張っていた。
剥きでた鉄骨さえそこらの木と同じように思っているのか、支柱代わりにロープを結んで丁寧に設えた快適であろう宿のそばで、黒いてるてる坊主が踊っていた。
「アマンダ」
てるてる坊主が振り向くと、ニット帽と紫の叢雲の合間から蜂蜜色の月が覗く。
2つの月がたちまち満月へ変わると、叢雲を置き去りにした月が流れ星となってパスカルへ落ちてきた。
「パスカル!」
月を引き連れた漆黒の流星を真正面から受け止めたパスカルは鈍い痛みに顔を顰めるけれど、それに文句を言うことはない。
ただ、早く本題に入りたいから胸板に顔を押し付けるのは切り上げて欲しかった。
「ん〜、パスカルの匂いはやっぱり落ち着くよ」
「落ち着くのはいいが、本題が急ぎだ。終わったら好きなだけ嗅がせてやる」
アマンダと呼ばれた少女は仕方ないなぁ、と呟くと、一歩引いてパスカルの視界へ収まる。
身体をすっぽり覆うフード付きのマントはかつてパスカルから借りパクしたもので、彼女の隠しておきたいものを隠すのに都合がいい。
「それで、今日はどんな用事だい?また弾薬の補給……だったら、急ぎとは言わないね?」
アマンダはトレーダーであり、傭兵を相手に武器や弾薬、食料に医薬品と、おおよそ戦場で必要なあらゆるものを調達してくれる。
そして、パスカルにとって緊急時に頼りたいと思える数少ない相手であった。
「リディの処刑阻止には成功したが、治安維持軍に持っていかれた。1時間前だ」
アマンダはまるで凍り付いたように動かず、瞬きさえ忘れていた。パスカルがやや早口気味に放った報告を咀嚼するのに時間が掛かっているのだろう。
「ねえパスカル、今なんて言ったの?」
「リディを治安維持軍に持っていかれた」
一番肝心な部分が聞き違えでなかった、そう確証を得たアマンダは天を仰ぐ。
どこまでも透き通るような青空へ向けて溜息を吐いたアマンダは、パスカルへ振り向いてその胸ぐらを掴み、首が取れるのではないかと思う程に揺さぶり始めた。
「ねえ、どうしてそうなっちゃったのさ!?考えられる中でも最悪だよ!」
「1時間前だ。まだ望みはある」
「相手が治安維持軍ってだけでも最悪だよ!」
連邦軍の中でもかなりの精鋭である治安維持軍は傭兵にとって恐怖の存在と言える。
その治安維持軍に救出対象であるリディを連れ去られたなんて、最悪としか言いようのない知らせであるにも関わらず、パスカルはいつも通りの姿勢を崩さない。
「落ち着け、望みがない訳じゃない。リディと一緒にもう1人傭兵が一緒に捕まってる」
「それがどうしたって言うのさ!」
「だからよく聞け。そいつはノードがないから俺が魔晶石を埋め込んでいる」
漸く落ち着いたか、考えを巡らせる必要が出てきたせいか、アマンダは手を止めた。お陰でパスカルの首は折れることなく胴体と接続を保っていた。
しかし揺さぶられ過ぎたせいか、少し目が回る。気分が悪く、パスカルは思考能力が低下したのではないかと不安になり始めた。
「つまり、それを追跡すればリディの居場所も分かるってこと?」
「一緒の場所へ移送されればだが、可能性は高いだろう。ツェーザルの野郎が接触していた。殺しあったスナイパー同士、思うところがあるんだろう」
「ツェーザルかぁ……人間なのに、人狼以上に獲物へ執着するからね」
アマンダはテントの下へ置いていた安楽椅子へ腰かけ、背もたれに身体を預ける。気が動転して慌ててはいたが、騒いだところで解決するような問題ではないと分からないようなグ社ではないのだ。
ならばどうすればいいか、考えはするものの、その答えは自分よりも前線で戦ってきた歴戦のパスカルが知っているだろうと期待を寄せていた。
「で、どうするの?」
「収容施設を特定して、間を置かずに強襲する。連邦もまさか治安維持軍に看守をさせたりしないだろう。かといって間を置き過ぎれば敵が防備を固めるし、リディが情報を吐きかねん」
「それはそうだけど、単独で行くの?正直、ボクは戦力に数えない方がいいと思うよ」
「リーナを引っ張り出すさ。文句は言わせん」
上手くいくかなぁ、とアマンダは首を傾げるけれど、上手くやらなければ全てがご破算になるのだからやるしかない。
リディの救出と、彼女の持つ機密情報を連邦から守るのがパスカルの任務で、それを果たすためならばありとあらゆる手段を講じる。全てを出し尽くしてでも役目を果たすのがパスカルのやり方だから。
「随分と上からね。文句しか言えないわ」
階段の方を見れば、赤目の少女が腕を組みながらパスカルを見つめていた。
廃墟群の街林地帯には似つかわしくない程に美しいブロンドの髪をふたつに束ねた、幼い見た目の少女は薄紫のブラウスと黒のロングスカートを着ていて、こんな場所ではなく、街で優雅に買い物をしている方が自然かもしれない。
彼女こそ、パスカルが探していたアデリーナ・R・エノートフなのだ。
手間が省けたパスカルは少し嬉しく思った。今は少しでも時間が惜しいから、手間が省けるのは歓迎すべき事態だ。
「リディの救出だぞ。お前の失態のリカバリーなんだから文句を言うな」
「そ、それは……仕方ないじゃない、あんな物量で多方面からの同時攻撃なんて、私でも対処できないわよ!結果論よ結果論!」
「どうせ、1発撃たれてムキになってたんだろう。ほら、ついででいい茶葉を見つけたから機嫌直せ」
パスカルから投げ渡された袋を見て、アデリーナは少し表情を綻ばせた。市街地戦のどさくさでパスカルが略奪してきたそれは、中々手に入らない高級茶葉だったからだ。
「いい眼をしてるじゃない、褒めてあげるわ。漸く私の調教の効果が出てきたようね」
本当は袋の見た目が一番よさそうだという適当な理由であるが、敢えて言うこともないと黙っていた。
「それで、救出に行くならば勝算はあるんでしょうね?」
「それをこれから確認するのさ」
パスカルが床へ手を翳すと、たちまち青白い光が手を包んでいく。
そこから延びる光の筋が建物を形作っていき、その中の1点で強い光を放ち始めた。
「ローネー監獄ね。囚われの姫を入れるのが処刑待ちの監獄なんて趣味が悪いわ」
アデリーナが吐き捨てたように、浮かび上がったローネー監獄はかつて死刑判決を受けた囚人が収容されていたり、革命の際に囚われた者の殆どが刑場送りとなった監獄である。
リディは兎も角、レイジがそう長く生かされることはないだろう。そのうち即決裁判で死刑判決を下されるのがオチだ。
「この発信源はリディと一緒に捕まった傭兵のものだ。ツェーザルの野郎が興味津々だから一緒の所で尋問されるだろう」
「アイツがそんなに興味を持つって、何者よ?」
「記憶を無くした腕利きのスナイパーで、恐らくクロノスの招き人だ」
クロノスの招き人、と聞いたアデリーナとアマンダは肩をピクリと震わせ、パスカルへ目をやる。
それは特別な人のことで、レイジ本人は知らずのうちにリディと肩を並べるくらいの重要人物に格上げされることになった。
「ぜひともこっちに欲しいし、アイツらに渡すわけにもいかん」
「同感だね。でも治安維持軍がそれを知らなかったら、他の傭兵と一緒に殺されちゃうよ?」
「そんなわけないでしょ。一般兵はともかく、中隊長のツェーザルと副官のマテウスなら間違いなく気付くわ」
「概ね、リーナの言う通りだろうな。だからこそ、リディを救出するのに加えて、こいつを救出するのも必成目標になる」
「知らずに重要なことを喋らないうちに取り返すか、口を封じるか」
「そう言うことだ。アマンダ、武器と弾薬の用意を頼む。リーナは監獄の侵入路を考えろ」
少し寝る、と言い残してパスカルはテントの下に置かれていた折り畳みベッドに転がる。一連の戦闘で流石に疲労していたのだ。
アデリーナは文句を言い、アマンダはそれを嗜めながら準備へ取り掛かる。
状況は動き続けている。それに置いていかれないよう、動き続けるしかなかった。




