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11日目 決死の突破

 遅れて響く金属音が喧しく、耳栓がなければ聴覚をやられていたかもしれない。

 視覚は目の前の刃へ向いていて、その向こうにいる獰猛な笑みの敵の細部なんて見ていられなかった。


「へえ、僕の初撃を受け止めたのは君で2人目だよ」


「そりゃあどうも……っ!」


 レイジは前蹴りで敵を押し除け、距離を取ると共にアサルトライフルへ着剣する。敵がサーベルならば、少なくとも同じくらいのリーチの武器が必要になる。

 射撃で牽制しようとすれば、敵は恐るべき踏み込みで一気に距離を詰めてきて、レイジを袈裟斬りにしようとサーベルを振り下ろす。


 射撃の暇もなく、レイジは銃剣で斬撃を受け流し、銃床で敵の後頭部を殴りつける。

 普通ならば殴られた一瞬、放心してしまうような痛みだったはずだ。それなのに敵はすぐに後転で距離を取って追撃を躱した。獰猛さと狂気を孕んだ笑みを浮かべて。


「強いね、本当に傭兵?」


 敵は戦場に似つかわしくないほど綺麗なブロンドの髪を短く整えていて、頭頂部からは尖った耳が突き出ていた。リディの耳に似ているから、犬科の何かなのだろう。

 そして何より、彼の着るグレーの軍服こそ治安維持軍の証。彼がここにいるということは、他の敵兵もすぐに迫ってくるとレイジは直感していた。


「今の所はな」


「そっかそっか……少しは楽しませてよ?」


 敵はサーベルを構え、ニコニコと笑みを浮かべながら構える。レイジもそれに合わせるように着剣小銃を腰に当てて構え、腰を落とした。

 リディへ目を向ける余裕もない。どの道、アイツを突破しなければリディを逃せないのだから。


「治安維持軍クラヴィス中隊、マテウス・オシュケナート准尉」


 騎士の系譜だというのか、マテウスは構えをとって名乗りをあげた。そこへ不意討ちをするほど、レイジは誇りを失ったわけではない。

 胸のどこかに生きている記憶が、戦士であれと叫ぶ。無名の戦士として死ぬ定めとしても、せめて好敵手には名を覚えて貰いたいと渇望する。


「傭兵、カンザキ・レイジ」


 所属も知らない。階級もわからない。名乗るべきは名前のみ。それだけで十分だ。それだけ覚えてもらえれば、満足だ。


「行くよ!」


「参る!」


 ふたつの声が重なり、ほとんど同時に床を蹴飛ばす。マテウスの軽く、速い斬撃を剣先で弾いたレイジは勢いのままに距離を詰める。

 サーベルはリーチの内に入って仕舞えば大した脅威にならない。刺突は出来ないし、振り下ろしても大した威力はなく、ロクに切れはしない。


 そして何より、重いプレートキャリアを着たレイジが慣性のままに体当たりした方が、相手のガードも何も一気に崩せるのだ。


「おっと!」


 体当たりで吹き飛ばされたマテウスは耐えずにわざと吹き飛ばされ、その勢いを利用して距離を取る。

 押し倒して組技に持ち込むつもりだったレイジは狙いが外れたものの、舌打ちする間もなくアサルトライフルを構えて容赦なく弾幕を浴びせかける。


 マテウスは横に跳ねてそれを躱したかと思うと、次の瞬間には壁を思い切り蹴って跳躍した。

 急激にレイジとの距離が詰まる。獰猛な笑みと共に構えられたサーベルは銃の中心で受け止めたが、レイジはマテウスの肉弾を受け止めようとしてしまった。


「クソっ!」


 マテウス自身の体重に加えて跳躍の勢いが乗っている。いくら鍛えて逞しいレイジでもそれを受け止められるわけがなく、自分がやろうとしていたように床へ倒されてしまう。


「レイジ!」


「逃げろ、リディ!」


 ダメだ、殺される。


 そうだとしても、少しでも長くあがいてリディを逃がさなければ。この期に及んで自分の命など惜しまない。自分の命も駒として作戦へ組み込み、有効に使い潰すしかない。

 マテウスが馬乗りになっているせいで、レイジはまともに動けない。殺されるまでに時間を稼ぐ、それしかない。


「それじゃ、お休み!」


 マテウスがサーベルを喉へと突き下ろしてくる。それをレイジは両手でつかんで阻止した。

 掌を切り裂かれ、手放してしまうのが普通だろう。しかしレイジのグローブはケブラー製であり、サーベルの刃が擦れたところで切れはしない。


 しかしマテウスが全体重を乗せている刃を、両手の握力だけで止めるには限界がある。

 少しずつ、その鋭い切先が喉へと迫ってきて、マテウスはそれが突き刺さる瞬間を待ち望むようにさらに口角を釣り上げる。


「早く行け、リディ!生き残るんだよ!」


「健気な傭兵さんだね。でも、僕の鼻ならすぐに見つけられるよ。逃げたければ逃げるといいさ!」


 死が迫る。あと少しで刃が喉元に届くというのに、何も策がない。身体をよじろうにも、マテウスが馬乗りになっているせいで刃を躱し切れない。

 終わる。覚悟を決めたまさにその時、マテウスの体が大きく揺らいで、握っていたサーベルから重量感が消えた。


 レイジを床へ押し付けていたマテウスの重量感も消えて、途端に自由が戻る。

 何があった、その答えは側頭部から血を流すマテウスと、荒く肩で息をしながら、振り抜いた椅子を持っているリディを見た途端に理解出来た。


「助かった!」


 リディの細腕ではそんなに力が出はしない。だとしても硬く、角だらけの木製椅子で側頭部へ不意の一撃を喰らえばこうもなるだろう。


 殺すかどうか考えたが、その間に増援が来たら厄介だ。そう判断したレイジは悶絶するマテウスを捨て置き、銃とリディへ手を伸ばす。


「逃げるぞ!」


「言われずとも!」


 リディの手を握り、玄関を飛び出したレイジを出迎えたのは雲間から刺す光と、それを背にした黒衣の死神の姿だった。

 足が止まる。別の道を行こうにも、治安維持軍と思われる灰色の兵士たちが次々に包囲して、レイジとリディの逃げ場を奪っていく。

 背後にはマテウス、前は死神、周りは敵兵、もはや逃げ場など残されていない。


「会えて嬉しいよ、スナイパー。さよならの挨拶をするだけでも」


「一期一会とはいうが、2度も3度も会う羽目になるとはな。お前を殺し損ねたのが最大のミスだ、死神さんよ」


「そうらしいな。投降しろ。リディには聞きたいことが山ほどあるから、命はとらん」


 リディはレイジの後ろに半身を隠す。包囲に怯んだレイジはジャケットの裾を掴むリディの存在を思い出して、冷静さを取り戻すどころか、勇気まで得たような気分になる。

 不思議なものだ。この状況に至ってもまだ、ここを突破してリディにいいところを見せてやろうとしているのだから。


「そこでハイとかいう間抜けいるか?」


「そうだったら、俺の仕事も楽だったのにな」


 包囲する敵は互いを撃たないように上手く陣取っている。味方撃ちさせようとしても上手くはいかないだろう。


 撃つか、撃たれるか、あっちが動くか。決断の時間は残されていなくて、それなのに切れる手札は少ない。


「……レイジ、私を引き渡してください」


「バカ言うな。何のために来たと思ってるんだよ」


 何より、敵にはレイジを生かしておく理由はない。リディは強力な交渉材料であり、レイジの生命線でもある。

 リディを渡した途端に射殺されてもおかしくないし、何より守りたいリディを差し出してまで命乞いするつもりなど毛頭ない。


 どうする。今度は誰を殺せばいい?

 

 どいつを殺せば、リディは無事にこの場を切り抜けられる?


 今この場所に、リディ以外の守るべき命はない。どれに銃口を向ければいい。


 どれが、俺の奪うべき命なんだ。


「残念、時間切れだよー」


 後頭部に強い衝撃が走り、足から力が抜けていく。


 やられた、マテウスへの警戒が薄れていた。


「レイジ!」


「リディを確保しろ。そいつも捕まえておけ」


 リディはたちまちその細い腕を捻られ、拘束されてしまう。助け出したいのに瞼が重くて、腕は脳の命令に反応しない。


 畜生、もう少しだったのに。


「レイジ!」


 必死に叫ぶリディは眦に涙を溜めていて、そのクールながらも可愛らしい顔を絶望に歪めながら名を呼んでくれている。


 意識が底なし沼へ引き摺り込まれていく。死ぬわけでもないのに、死を体験したかなような感覚の中、レイジは瞼を下ろした。


 ——嗚呼、リディにまたあの顔をさせちゃったな。

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