10日目 広場の死闘
広場の混乱は未だに収まらず、パスカルは敵増援を相手に戦い続けている。
最初は治安維持軍を相手に白兵戦を繰り広げていたのだが、国民軍がそれに乱入したことで状況は最悪の方へと傾いていった。
まだ民間人の避難が終わっていないというのに、国民軍が発砲を始めたことが皮切りとなり、民間人を巻き込む三つ巴の銃撃戦と化してしまったからだ。
「レイジ、こっちは動けん!」
「広場外周を迂回中、刑場に直接突入するから足止め頼んだ!」
「急げ、バカどもが銃撃戦を始めたから、長くは持たんぞ!」
明らかに敵の練度か連携の不足に起因する、虐殺ともいえる銃撃だが、始まってしまってはどうしようもない。
銃を持つ敵にナイフて挑むわけにもいかず、パスカルも民間人を巻き込む危険を覚悟の上で銃に頼らざるを得なかった。
その銃声は広場中に響き渡り、迂回して広場への突入を試みていたレイジにも聞こえていた。
リディに流れ弾が飛ぶ危険を無視できないので避けたかったのだが、銃を使って戦うしかない。レイジは腹を括り、アサルトライフルを構えた。
進行方向には銃を持った男が2名、服装は雑多なボロで、以前戦った民兵、今は国民軍とかいう連中そのままに見える。
まだこちらには気づいていない。しかし邪魔であることに変わりはなく、敵の後ろに当ててはいけないようなものはない。射撃の障害なし。
——悪いが、死んでもらう。
レイジは素早くトリガーを2回引き、片割れへ2発の弾丸を叩き込む。
人体に突入した小銃弾は砕けるか変形して血管や筋組織、神経を断ち切って人体を肉の塊へと変えた。
片割れは何が起きたのかを理解出来ずに思考が止まる。その間にもレイジは照準をその片割れへと合わせていた。
「お休み」
再び必殺の銃弾を放ち、反動で銃身が跳ね上がる前にもう1発。
音速を越えた5ミリの銃弾が混乱の中にいた敵の胸部を貫き、肺に穴を開ける。続けて飛んできた弾丸は頭部を貫いて脳を破壊し、生命活動を停止させた。
声を出すこともできずに死体となった敵兵がドサリと崩れ落ちていく。
死の瞬間を隠していた光学照準器の輝点も、倒れていく死体までは隠せず、レイジへ罪を映してみせた。
だからといって、止まりはしない。
レイジは物陰から飛び出し、通り過ぎ様に死体へ1発ずつ追加で銃弾を撃ち込んでおく。
この敵兵がまだ生きていたら、最期の抵抗で道連れにされる危険がある。リディを救出に行くのが最優先である以上、情けを掛けている暇はない。
その上、レイジは民兵が民間人を殺していた現場を目撃していた。
そのせいで情けを掛ける気が微塵も起きなかったのを、仕方ないことだと言い訳していることには気付かない。少しでも罪の意識を和らげるための、自分への言い訳の真相は知らない方が身のためなのだ。
そんな罪の意識よりも、もっと注意すべきことが多過ぎる。
銃声を鳴らしてしまったから、必然的にレイジの存在が敵に知られたことだろう。
モタモタしていれば音に釣られて敵がやってくる前にとレイジはひた走り、人混みの中から飛び出す白い耳を目指す。
人がいなくなった刑場にはリディが取り残されていて、いつ流れ弾が飛んできてもおかしくない。
レイジは人混みを避けてただ真っ直ぐ、天を仰ぐリディの元へと走る。不可視の殺意が彼女を捕まえるより先に、奪って逃げてやる。
「リディ!」
装備が重くて、一向にリディとの距離は縮まらないのが酷くもどかしい。
それでも、銃弾より少し遅いレイジの声を、リディの耳は聞き取ってくれたようだ。
絶望に覆われた顔がレイジを見て驚愕に彩られる。目の前で死んだはずのレイジが再び現れたのだから、無理もない反応だろう。
「どうして……」
どうして今更現れた。リディの曇った瞳はそう問いかける。レイジはそんな瞳に隠された思いを汲み取る余裕もなく、ただ真っ直ぐにリディへと駆ける。
言葉も通じず、接点なんてあの路地裏以外になかった。その癖、自らが傷付くことを何とも思わずにリディを守るために身体を張る。
「来ないで……」
レイジは知らない。レイジと会う前、リディを逃がすために多くの兵士がその命を捧げた事を。
そんな光景をもう見たくないと、リディが目を背けたことも。
広場を見下ろす鐘楼の上から、死神が自分を狙っていることも。
リディだけは気付いていた。レイジが側面を向けるジュリー塔から、あの路地のように何かが光ったことに。
「伏せて!」
言葉は通じない。それでもリディは声を出さずにはいられなかった。
もしかしたら察してくれるかもしれないし、気付いてくれないかもしれない。それでも、何もせず見殺しにする事だけは耐えられない。
死が迫る。遠雷のような銃声とどちらが早かっただろうか、レイジが頭ひとつ分沈み込む。
撃たれたのではない。レイジは確かにリディの警告を認識して、咄嗟に膝を折って体を沈めたのだ。
「あ……」
弾丸がレイジの頭があった場所を貫く。言葉が通じなかったとしても、レイジはリディが危険を伝えていることを理解しただろう。しかし行動へ変えるまでに一瞬遅れたであろうし、そうだとすれば今頃は石畳ではなく、頭蓋骨と脳漿が銃弾によって貫かれていたはずだ。
「危ねえなクソが!助かった!」
今度は分かる。あの時はわからなかったレイジの悪態も、咄嗟のお礼も。
そして何より、今度は守れた。あの時みたいに撃たれ、今度こそ死ぬはずだったレイジの運命を変えられた。そう認識したリディは胸に湧き立つ何かを理解できずにいた。
しかしレイジはリディの心の機微に構う余裕がない。倒れ込んだ姿勢で無理矢理射撃して、ジュリー塔のスナイパーを制圧する。そうしなければリディが危ない。
この時点でリディではなくレイジを狙ってきたことから、敵もリディを殺すつもりはないのだろうと推測出来るが、油断はしないに限る。
アサルトライフルではスナイパーライフルに精度で劣るが、代わりに連射が効く。スナイパーの隠れている付近に何発か当たっているのが見えるが、直撃したとは思えない。一時しのぎでしかないが、それで十分だ。
その僅かな時間でリディを助け出す。それまでに撃たれたとしても、せめて命尽きるまでに縄を切る。レイジはそんな執念にも似た決意と共に銃剣を抜き、銃ごと握って走り出した。
「リディ、逃げるぞ!」
レイジが漆黒の刃で縄を切り裂き、リディは数日ぶりに自由を取り戻す。しかしその自由はレイジがリディの手を握って奪い取ってしまった。
「レイジ!」
「急げ!」
刹那に銃弾がレイジを掠め、衝撃波が肌を叩く。スナイパーから指令を受けたのだろうか、治安維持軍の兵士たちが迫ってきていた。
彼らは国民軍なんかとは比べ物にならないほど強い。レイジは一目見てそう感じた。彼らは2グループに分かれて相互に支援をしながらレイジへ距離を詰めてくるという、分隊戦闘の基礎を正確にやってのけているからだ。
まとまっての攻撃前進による威圧感と、反撃を許さない激しい制圧射撃がレイジへプレッシャーを与える。三々五々に戦うチンピラ崩れとは訳が違う、本物の軍隊が敵なのだ。
それも、特殊部隊と言って差し支えない程の練度を持った精鋭だ。
とにかく逃げるしかない。レイジはリディを庇うようにしながら走り出し、ついでにわき腹のポーチから円筒型の発煙手榴弾を取り出し、敵目掛けてそれを投げた。
敵が騒ぎながら散っていく。普通の手榴弾だと思ったのだろう。その通りならば正解の対応だが、残念ながら今はハズレだ。
たちまち噴き出す白煙がレイジとリディの姿を覆い隠し、敵を遮る。適当に撃ってリディへ当てるわけにもいかない治安維持軍は下手に煙幕へ飛び込むリスクを冒す事も出来ずに立ち往生してしまう。
その混乱の中でレイジはリディを連れて近くのアパートへと飛び込んだ。煙幕は少しずつ薄れ、治安維持軍が動き始めるけれど、そこにレイジはもういない。煙とともに消えてしまった。
「パスカル、リディを確保したが治安維持軍に追われてる」
レイジは冷たい刃を首筋当てられたような、ぞわりとした感覚を覚える。
その刃は獲物の命を確実に刈り取ろうとする殺意で、実態はない。それでも確かに、レイジの本能へ警告を発していた。
「っ!」
咄嗟に振り向いて銃剣を抜いた自分を褒めたくなる。
逆手に握った銃剣はレイジの首へ迫っていた白銀のサーベルを受け止め、一瞬だけ眩い火花を散らしていた。




