0日目 狙撃手の末路
虚像の世界に赤い花弁が散った。何度も何度も見つめてきたその景色に優雅さや美しさはなく、ただただ嫌悪感と罪悪感を与えて、俺の心に傷を残す。
遥か彼方の不可視の距離、そこから寸分違わずに放たれる7ミリの銃弾がまた命を刈り取り、虚像の世界へ浮かぶ黒い十字に犠牲者を掲げていく。
それはまさに死神の所業で、人の身には重く、大きすぎる業。しかしそれを一身に背負わなければならない。
漆黒の十字架へ掲げられた男が最期に見せる、ほんの僅かな命の輝き。あまりに禍々しいそれを、時折美しいとさえ思って見送っていた。
この人差し指に少し力を込めたことで、命がひとつ花を散らして消えていく。
静かにその事実を"ワンキル"という言葉に込めて呟くけれど、些細な懺悔は森のざわめきに消える。
それでもきっと、この罪が消えることはないんだろう。
そんな重罪人を死神が捕まえたのは当然のことでしかない。漆黒の衣を纏った死神もまた、カンザキ・レイジという重罪人を十字架へと掲げ、その命を刈り取るべく人差し指に力をこめていたことだろう。
薄茶の迷彩に、偽装の草木に覆われたレイジのスナイパーライフルと、死神が持つ漆黒で鎌のように歪な長銃身のスナイパーライフルが向き合う。
刹那の後に互いに死を告げる必殺の銃弾を放ち、銃声は終わりの時を告げる鐘に代わって遠く響く。
森のざわめきの中で確かに響くその音に驚いた鳥が飛び立って行き、きっと死を迎える罪人の魂を天にまで連れて行ってくれるだろう。
指先に力を込めるのが僅かに早かった、それだけの差でレイジは終わりの時を迎える。
きっと、背中からは手向けにと赤い花束が鉄錆の香りと共に撒き散らされたことだろう。
この胸の痛みと息の詰まる苦しみへ暫く悶え苦しめば、この罪は許される。
安寧の眠りと静寂の暗闇がやってきて、苦しみも痛みもない死へと還してくれるはずだ。
草木の茂る、祖国という棺桶に横たわり、その土に還っていく未来が待っているんだと思う。
祖国の地にこの血と骸が還るというのだから、それがせめてもの救いに思えた。
守りたかったものに抱かれて眠り、きっと自分の墓となるこの地を誰かが守ってくれるんだ。
祈る神はいない。意識は虚空へ還るのみ。
肉体は祖国へ還る。どうしてそれに縋るのかも知らぬままに。
願わくば、戦いに斃れたこの身に安息のあらんことを。
「起きて、レイジくん」
誰かの呼び声がする。
水面に雫が落ちるような、優しい鈴のような声が鼓膜を振るわせる度、心にその雫が染み渡る。戦乙女のお迎えが来たか、そう思っても無理はないだろう。
「貴方は死んでいないわ。もう一度、戦って」
何と?死んだ俺に出来ることなんかもう残っていないのに。
あとはこの意識を手放し、虚空へ落ちていくだけの存在。
戦局も世界も変えられるわけのない、ただ1人の男ってだけなんだ。
「貴方は何度も戦局を変えてきたじゃない。たった1発の弾丸で」
この手に今はないけれど、ずっと持っていた武器がある。
対人狙撃銃、又の名をM24SWSという名を与えられたスナイパーライフルで、俺の半身のような存在。それが不可視の長距離から必殺の一撃を放ち、幾人もの敵を葬り去ってきたのだ。
5発しか装填出来ず、いちいちボルトハンドルを引いて手動で次弾を装填しなければならない前世代的なライフル。それが放つ1発が敵を掻き乱し、戦局を変え、戦端を切り開いた。
それは、まだ変わらないというのだろうか?
「貴方の狙撃で守って欲しいの。私の世界と大切な人を」
急にそんなことを言われても困るぞ。
誰を守れば良いのかわからないし、何より世界を守るなんて大それた真似出来るわけがないだろう。
祖国だって、守れたのかさえ怪しいのに。
それでも、声の少女は笑っていた。
本当に笑っていたのかはわからないし、確かめる目はもう存在しない。
暗闇の代わりに純白だけが広がる世界の中で、白の化身は笑っていると俺の意識が知覚している。
「起きて、レイジくん。私が選んだ貴方の手と、そのライフルで、この局面を変えて」
そんな願いを受けて、無くなってしまっていたはずの身体が再構成されていくように感じた。
純白に溶けていた意識の中から、カンザキ・レイジという意識が抽出されて肉の箱へと閉じ込められる。
視界には見慣れたゴツゴツとした手が映っていて、白の世界には異質すぎる色彩豊かな身体があった。
そうだ、今この瞬間に俺は個に戻ったんだ。
俺はカンザキ・レイジで、スナイパーだ。
その意識と経験だけが残っている。
記憶はなくても、きっと戦えるさ。
「そして役目を果たして、私のところまで来てね。アトラスで待っているから」
急速に白の世界が収縮し、暗闇に視界が包まれていく。
それでも恐れることはなかった。
何も怖いとは思わないし、恐怖など元からありはしなかったのかもしれない。
「せめて、名前を教えてくれよ」
再構成された声帯が初めて言葉を紡ぐ。
知りたかったのは守るべき者の名前だったのか、それとも彼女の名だったのかは思い出せない。
「私はルネー。この世界と、貴方を見守る者」
その甘く優しく、どこか幼い声色は今もこの耳に響いている。
俺はあまりにも優しくて無垢な声色で、波のように揺れ動く世界の中でもこの心を平静に保ってくれる、どこか不思議で優しい声だった。
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