うさぎの森 1
「う、ん……」
「起きろ悠二、非常にやばいことになってる」
「兄さん?」
悠二を起こした俺は、例の体験のせいで震えが止まらない手足を必死にごまかしていた。
いざとなれば我楽から奪ってしまったスキル【価値変動】を使えば良いのだろうが、使い方を知ろうともしなかった報いを受ける事態になるとは。
「もしかしてここってダンジョン?」
「そうだ。俺たちは異空間発生の震源地、ゲートアライズに巻き込まれたらしい」
「そんな……。ダンジョンアライズなんてテレビのダンジョン発生予報でも言ってなかったのに……」
ダンジョンから帰還する方法は二つしか確認されていない。ダンジョンボス討伐の報酬、ボス部屋のさらに奥にある宝物殿で必ず用意されている帰還の魔法陣を使用した脱出。そして帰還石と呼ばれるアイテムの緊急脱出のみだ。
「冒険者でもない俺達が脱出アイテムなんて持つわけない。だからダンジョンから脱出するには……」
「ダンジョンボスを討伐するハンターを待つしか無い。僕らがそれまで生き延びられる可能性、兄さんはあると思う?」
「無理だ。せめて俺があのスキルを使えたら良かったが」
「……兄さん?」
心底不思議そうに首を傾げた悠二だったが、理由を聞く前に聞こえた女性の悲鳴で会話は中断される。
幸いキャンプ用に持ち歩いていた折りたたみ式のナイフも一本だけはあるが、非常に心許ないサイズだ。
「兄さんそれ下手したら捕まるよ」
「フォーク持ちながら言うな」
『キュオオオオン!』
人間の悲鳴よりもはるかに大きく鮮明に聞こえた鳴き声は、狐と犬を混ぜたような声だった。
女性を助けに行くよりも、まず自分達の安全確保が先だと悠二は言う。
もちろん、自分の危険を顧みず行く気はないが、声はさほど遠くもない場所から聞こえたため動かないのも危険な感じがした。
二人で死角をカバーし合いながら少しずつ森を進み、俺の前の茂みがわずかに揺れる。
「兄さん!」
後ろにいた悠二に手を引かれて、俺は茂みから飛び出てきたボールに似た物体をギリギリで避けた。
塊は勢い余って木に刺さっており、バタバタと足を動かしている。
「うさぎ?」
「めちゃめちゃねじれた角ついてるよ兄さん!」
「モンスターだ、くそ! 名前も何もわからねぇ!」
ダンジョンがはじめに生まれた日を堺に、世界では特殊な能力を得る人間が発見され始まった。
神がそれらの恩恵を使って生き残れとでも言うように、ダンジョンの攻略には冒険者が必要不可欠である。
そしてようやくハンターを発掘していただけの日本でも、ここ数年で育成に力を入れ始めたおかげで義務教育にも異世界分野が導入されたという。
「若いうちに何でも学んでおけとは言うが、俺たちの時代にも取り入れててほしかったよな。情報ひとつないんじゃ……ん?」
まるで俺の言葉に反応したかのように、目の前に表示されたのはゲーム画面に似たステータスだった。
対象はおそらく、木に角が突き刺さった茶うさぎのモンスターだ。
――――――――――――――
【ホーンラビット】 Lv.1
HP:6/7
SP:2/2
ATK:3 DEF:2
MAT:0 MDF:0
SPD:3 LUC:1
スキル
・たいあたり ・ツノ突き
パッシブスキル
・脱兎
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「ホーンラビット? れべるいち?」
思わず手を触れた二つのスキルの説明が追加表示されて、俺は必死に目を通す。
ホーンラビットが所持する<たいあたり>と<ツノ突き>はどちらも標的へ一直線に突進する攻撃だった。
次は自分のステータスを願い、すぐに画面が切り替わる。
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【八月朔日秋尋】 Lv.1
HP:6/6
SP:5/5
EXP:0/3
ATK:2(+1) DEF:1(+1)
MAT:1(+0) MDF:1(+0)
SPD:1(+1) LUC:3(+2)
○アクティブスキル
価値変動
○パッシブスキル
簒奪者、精神耐性、恐怖耐性
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表示された文字にドキリと心臓が跳ねる。
はっきりと“簒奪者”とあるのはおそらく、我楽の件を言っているのだろうと思う。
どこにいてもあの事件は俺に暗い影を落とすのだ。
だが今は落ち込んでいる場合ではない。己の未熟さで我楽のスキルに頼れないなら、彼が残してくれた討伐報酬を頼る。
「これだ」
肌身離さずバッグに隠し持っていた討伐報酬、翡翠の指輪を左手にはめる。
瞬間、体に感じていた重力が大幅に和らいだのを感じて、改めて指輪のステータスを強く願ってみた。
狙い通り、指輪の詳細が電子音とともに目の前に現れる。
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【翡翠の指輪】 性能:C+
装備者の能力をやや強化する遺物。
体力+4 MP+10 俊敏+5
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自分のステータスと翡翠の指輪の数値だけを信じるなら、ホーンラビットと十二分に戦える。
「悠二、木に登ってろ。ぱっと見でいい、うさぎが届かなそうな位置まで」
「まってよ兄さん、まさか戦うつもり?」
「早くしろ、悠二。もう角が抜けかかってる!」
「うっ……ぼ、僕も……、いや、分かった!」
悠二が後ろの木に飛びつくと同時に、ホーンラビットは尻餅をついて木から落ちた。
くるりと向きを変えた角は、再び一直線に俺へと向かってくる。
大丈夫、指輪のお陰で今度は目で終えているのだ。
「ここだっ!」
ホーンラビットの攻撃をステップで左に避けて、ヤツの頬へとナイフを振りかぶった。
深々と突き刺さったナイフに、ホーンラビットは声にならない音を上げる。
痛覚はあるらしく地面でバタバタと暴れるそれに、俺はとどめを刺した。
「やっ、た……のか?」
ホッと胸をなでおろした俺の前へ、軽やかな音楽とともにステータス画面とそっくりのメッセージが浮かんだ。
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レベルアップ!
Lv.1 → Lv.2
すべてのステータスが強化されました。
以下のスキルツリーを選択可能になりました。
・強化(バフ系) ・弱体化(デバフ系) ・変動強化
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あの事件で、俺は一般公開されていた我楽の情報をくまなく調べていた。
彼が使っていたスキル名はどこにも表記されていなかったが、戦い方を見て考察した者たちの内容によると、我楽は強化系のスキル保持者であるとの説が濃厚だったらしい。
となると我楽の選んだ道は強化系だろう。しかし冒険者になる前からあの人は、世界的に有名な剣術家の師範だったそうだから、基礎のなっていない俺が選んだところで恩恵は少ない。
「変動強化、これは……?」
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新たなスキルを入手!
【変動強化】
自身の所有する物の価値をさらに「+5」増加させる。
強化された物に対する理解度が上昇する。
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「え、お、おい! まだ俺は選んだわけじゃ!?」
「兄さん気をつけて! また一匹こっちに同じヤツが来てるんだ!」
「どっちからだ!」
「右!」
素人ながらナイフを構える。
今手に入れたスキルをさっそく使いたいと願うと、ナイフの刃がわずかに光を灯す。
確認する時間もなく新手のホーンラビットが二匹現れて、同時にこっちへと向かってくるのが見えた。
「にひき!? ごめん兄さん一匹しか気付かなかった!」
「問題ない!」
レベルアップで増えたステータスの数字は分からないが、先ほどよりも敵の動きを読みやすくなったのは間違いない。
一匹を横から蹴り飛ばして地面に叩きつけたあと、気持ち小ぶりな方のホーンラビットの脳天にナイフを突き刺した。
骨を安安と貫通するほどの威力を見せたナイフに驚きながらも、流れるように叩きつけておいたホーンラビットの腹に拳を食らわせる。
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レベルアップ!
Lv.2 → Lv.3
すべてのステータスが強化されました。
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「す、すごい……」
「まだウサギは来てるか?」
「ちょ、ちょっとまってて、みて見るから」
木の上から用心深く周囲を見回している悠二に警戒を任せ、俺は再び表示されるメッセージを横にどかし、強化された自分のステータスを表示させる。
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【八月朔日秋尋】 Lv.3
HP:21/21(+4)
SP:17/17(+10)
EXP:1/13
ATK:5(+6) DEF:5(+6)
MAT:3(+5) MDF:3(+5)
SPD:3(+11) LUC:7(+7)
○アクティブスキル
価値変動(Lv.2)
○パッシブスキル
簒奪者、精神耐性
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強化されたステータスの数値は、初期のニ倍になっているものまであった。
特に成長した<価値変動>のおかげか、プラスで付いているおまけの数値が二桁になっているものまである。
これならハンターの誰かがダンジョンゲートをくぐってボスを倒すまで、悠二を守りきれるだろう。
「兄さん、それ」
周辺確認が終わって木から降りてきた悠二に、後ろを指差された。
見ると倒れたホーンラビットの隣にひとつだけ、赤い小さな宝箱が浮いている。
注意しながらも宝箱に触れた俺は、この状況下にも関わらず少し胸を躍らせた。
「討伐報酬、じゃないか?」
宝箱の中にあったのは、薬効(弱)と表示されたポーション、そして角ウサギの短剣だった。
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【角ウサギの短剣】 性能:G
装備者のATKとSPDをわずかに強化するドロップアイテム。
ATK+2 俊敏+1
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箱の中から取り出した武器を裏に表にひっくり返して眺めていると、ダンジョンに来て何度目も表示されるようになった新たなメッセージが表示される。
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価値変動および変動強化【Lv.2】が発動しました。
【角ウサギの短剣】 性能:G→F
装備者のATKとSPDを少し強化するドロップアイテム。
ATK+2→6 SPD+1→3
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「兄さんどうしたの? ぼーっと剣を眺めて」
「悠二、これはお前が持つんだ」
弟には見えていないらしい画面をそのままにして、俺は角ウサギの短剣を悠二に手渡した。
もしかしたら譲渡や俺以外が装備してしまうと<価値変動>の適用外で数値が変わる可能性もあるが、悠二に持たせても数字は動かなかったため強引に持たせておく。
ポーションはゲームでよく見るアイテムなだけあって、俺も悠二も効果はなんとなく理解する。
「それより兄さん、さっきまでいた商業施設がまるごとこっちに来てるみたいなんだ。見た感じ壊れてる様子もないし、そこに避難するのはどうだろう?」
「そうだな、森の中にいるよりは安全そうだ」