さよなら雪だるま
夫の転勤で都会へ引っ越すことが決まったとき、私は人知れず泣いた。お風呂に浸かりながら、真夜中のベランダで夜空を見上げながら、布団を頭からかぶって。子どもの頃から強がりの私は、家族にさえ涙を見せることが嫌だったのだ。
旅立ちの朝、駅まで見送りに来てくれた友人たちに手を振って、海と山に囲まれた、思い出だらけの故郷を後にした。
私と夫は、とりとめもなくこれからの事を話し合い、幼い二人の息子たちは、どこへ行くとも知らぬままはしゃいでいた。
暮らし始めた社宅の窓からは、海も山も見えず、代わりに高層ビル群が見える。街路樹だけが、辛うじて街に瑞々しさを添えていた。
「もうおうちにかえろ?」
「ここがお家になったんだよ。みんなでずっとここに住むの」
昼間交わした、三歳になる次男との会話を思い出して、またじわじわと泣けてくる。幼すぎるあの子には、まだ転勤の意味は分からない。
長男は新しい幼稚園に通い始めたが、泣いて暴れて行き渋る。彼は所謂育てにくい子で、新しい環境に馴染むのが極端に苦手なのだ。突然の引っ越しに戸惑う子どもたちを見ていると、どうしようもなく胸が痛んだ。
ため息の日々は過ぎ、いつしか街に冬が訪れていた。
降り続く雪が、グレイな街を白く染めてゆく。私たち家族は、夜の街灯の下で小さな雪だるまを作り、社宅の入口にずらりと並べた。雪だるまたちは、整列して住人を出迎えているようで、とても可愛らしい。
「ゆきだるまさんもってかえる」
長男がそう言うので、ひとつだけ部屋に連れ帰ることにした。こうして、彼は我が家の冷蔵庫の住人になったのだ。
一年、また一年と、私たちはこの街に馴染んでゆき、雪だるまは一年、また一年と、少しづつ縮んでいった。まるで、悲しみが少しづつ溶けてゆくように。
あれから六年の月日が過ぎた。
私たちは明日、海辺の街へと引っ越す。社宅の取り壊しで、この街を離れることになったのだ。
繊細で気難しかった長男は、優しい少年へと成長し、次男はもう、田舎にいた頃の記憶はほとんどないと言う都会っ子になった。
そしてこの街は、私たち家族の大切な第二の故郷になっていた。
電源を切った冷蔵庫から取り出した雪だるまは、今はもう小石ほどの大きさになっている。
「雪だるまにさよならするよ」
私は息子たちにそう言って、彼をそっとお湯に溶かした。