そのⅧ
その景色を愛や恋や好きだけで表すには言葉足らずで。
人には、人それぞれのストーリがある。
だから、その一冊の人生のために。
人はまたページを捲り、真っ新な空白に物語を紡ぐのだ。
毎週日曜日に投稿していきます。よろしくお願いします。
「わたしは誰かが怒る音が嫌い。誰かが騒ぐ音が嫌いなの」
ささやくようにか細く吐き出した彼女の言葉は。
その意味はすっと胸の内に収まるように頭が理解した。
でも、そこに映る彼女の背景はさっぱり見当もつかなかった。
誰にでも享受してもらえる音色を、彼女の指は可能にできる。少なくとも私は、その音のやさしさは万人受けするに違いないと決めつけている。
その分、彼女が世の中に紛れ込む汚い音を嫌うという意味は、私自身も当てはまるから深くうなずくことも簡単だった。
「愛歌は過去になにかあったの……?」
だからこそ、分からないことも異物のようなものが水中から浮かんでくるようにぽつりと頭を過ぎる。
彼女なら、そんな音すら笑って抱きしめてしまいそうなのに……と。
「…………ええ、あるわ」
依然として彼女は空を見ている。ピカピカとしているわけでもない星空を。
灯りの少ないこの公園では、そんな彼女の視線がどこまで続いているのか見えやしない。
そうして私の目の先は彼女に釘付けになる。
「…………そっか」
彼女は嫌う音の意味を過去に秘めていると白状する。
けれど、その中身を調べる蓋をぱっと開けてしまえるほど私の手は容易に飛び出てはくれない。
別に、彼女の今と昔の変わりようを知ることが怖いとかじゃない。
むしろ私は今の彼女しか知らないわけで。でも今の彼女でいいと思っているのは確かなんだから。過去になにがあろうと今の自分であろうと決めた彼女を、私は見えているだけでそれでいい。
「それ以上は聞かないのね」
「興味がないと言えば嘘だけどね」
「そう……なら話すわ」
「うん。話すなら聞くよ」
私は好きな彼女の横顔を、眺めながら。
そこに傾聴した。
正直な感想を述べるとするのならば。
あぁ、彼女も人間なんだな……と。
あまりにもあっけなく話し終えた彼女の過去話にそれだけが残った。
いつも見ていた彼女は、どこか畏怖の念が芽生えてしまいそうなほどクリーンな彼女は……。
今、その印象に近づこうと、濾過を繰り返すように生きているんだと。
「つまりは、好きなことを好きなように続けていても、そこに好きという感情だけで寄り添ってくれる人はいないということよ」
「嫉妬されて、拒絶されて、だから期待しない……」
「ええ。月並みでしょう? よくあるできる人間とできない人間の境界線に生まれる軋轢というものよ……」
できる人間とできない人間の境界線に生まれる軋轢……彼女はその表現を覚えるまでどう苦しんだろうか……。
「だから愛歌には今があるの?」
「え……?」
私の疑問をした。したはず。
ごく自然に、月並みには月並み程度のやりとりのように。
でも彼女はその意図を上手く汲み取れなかったようだった。
無意識に私の方へ顔を向けてしまうほど。
「それでも私には愛歌が音楽を辞めてしまったような気はしないから。いつも聴いてる愛歌の音楽は私をひきつけたから」
「あ…………」
「愛歌は過去に、できる人間なのに苦しんでいたのは私には不自然すぎて理解できないけど、でもそれでも今こうして綺麗な言葉を使ってさ、生きることの意味をちゃんと前向きに捉えているように見えるから」
「…………と、透華にはわたしが……そんな風に見えているのね」
「まぁ、少なくとも私には。本当はそれでも信じたい気持ちがあるからこそあんな顔ができるんじゃないかなって……」
「あんな顔……かしら?」
「私、愛歌が笑ってる横顔が好きなの。なんかさ、あぁ……ちゃんと生きてるなって思えるから」
「そ、そうなのね…………」
私みたいないつ死んでもいいようななにもない空っぽな人間が羨んでしまいたくなるほど……。
できない人間側の私は、できる人間は、できるようになったからできる人間になったんだとしか考えていない。
私だってそうなろうと渇望して熱望を抱いた過去があるから……ただ、その先の苦しみからは逃げてしまっただけ。
「だから、私はさ、愛歌の生き方は間違ってないって言いたい。それが間違ってるなら私は死ぬよ」
「と、透華! なんてことを言ってるの!!」
私の死ぬという終焉の覚悟は、彼女の声を荒げた。
「でもそれくらいなんか悔しいから」
それくらい、彼女には生きていてほしいから。
そのままで。いやそのまま変わってほしいから。
その方が私が余計な悔しさを背負わずに済むから。努力のどの字も知らない私が、彼女の代わりに悔やむのはもったいないから。
「だ、だからって……」
「だから、明日もまたあの教室に行くよ」
「透華…………?」
「愛歌の音楽が信じてることを、信じきれるようになるまで、私は好きな愛歌の曲を聴きに行くよ」
彼女の震える声をこれ以上私の元へ届いてしまわないように。
まだ、彼女はその瞳から涙を零してしまうけれど。
「…………」
「だから、また笑ってよ」
私が、そのたった一人だと言ってくれるのなら、その涙ですら拭う理由になるのだ。
それから私は彼女を駅の改札まで見送って、彼女の乗る電車が走り去っていくのを見届けた。
一人で歩く帰り道は慣れている。
だからなにも考えなくても帰れるから、その余白がふと想像を生んでしまう。
よく作家がお風呂などでアイデアを浮かべるのは、お風呂での作業がルーティーンとして刻まれているから勝手に動いている分、余計なことを考える分の容量が閃きに変わるそれと似たような現象に近い。
私だって夢を見ていたころ、そんなことがよくあったなと思い出す。
あのころは、傑作だと思い込んでお風呂を上がればすぐに筆を取っては寝る間も忘れて絵を描いていたから。
でも、それをふと見返すとなんの変哲もなかった。あのときの熱量はなんだったのかと馬鹿らしくなるほど。
「…………私は橋を渡れなかった」
できる人間と、できない人間を挟む陸地の間に深く遠い溝があるとして。
できる人間はそこに橋を作っては渡っていくんだ。
できない人間はそこに橋を作れない、作らないから渡らないんだ。
そんな簡単な方程式だ。そんなにも簡単で、産声をあげるよりも簡単なのに……。
なぜそこを渡る橋があるのかないのかと聞かれると……。
「たぶん、その橋を作るのは誰も協力してくれないからだ」
そこは孤独だからだ。
みんな自分で必死だから。それは必至で必須条件みたいなもんだから……。
だからその寂しさが苦しさや辛さになってふと、橋を中途半端に放り出しては人の多い陸地に戻ってしまうんだ。
そして、いつでも橋を渡ってこっち側まで戻ってこれるできる人間が憎く見えてしまうんだ。
「だから愛歌は進也が好きなのかもね……」
あの二人はたぶん私より近い場所にいるから。
彼女にとって、自分の方は歩いてくる彼が、かっこいいんだろう。
「……………」
もしかして……。
ではなく、私は彼女を待たせているだけの迷惑ものそのものだな、と。
そのもどかしさに、私は息苦しさを覚えた。
どうもこんこんにちは雨水雄です。
今日は今日とてカフェでコーヒーを嗜みつつ優雅にお届けしております。わぁ……響き的すごい充実感というか特別感がありますよね、こういうの。
まぁ元々雨水はコーヒーが好きで、よく一杯とともに執筆しているのですが、どちらも瑕疵のない作品に仕上げるといった点ではやっぱり自分らしさやこだわりが垣間見えてより濃密な時間になりますね。
まぁなにが言いたいかというと、結局意識することであったり、向上心や意欲が芽生えるほど夢中になれることは自分の唯一性を磨いてくれるということです。
好きなことを見つけることや続けることは自分にとって人生を左右しますし、重要な意味があるとは思いますが、雨水がなぜこうして今も能動的に小説を書くことを続けられているのかと聞かれると、やっぱり好きな理由があって、それを好きであれる出会いがあったからなんだなぁ……としみじみ。と言っても始まったきっかけとか動機って正直細かく説明できるほど覚えてもいないんですけどね……しくしく。
まぁつまり。雨水は自分らしくいれるためにであったり、雨水自身を言葉にするためにまだまだ物語を描いていくつもりです。
さてと、長くなりましたが……今週もここまで読んでくださりありがとうございます。
では来週もよければここで。