09. さよなら大好きだった人
「珍しいじゃない。あんたが休日に私を呼びつけるなんて」
土曜の昼下がり。俺は公園に唯華を呼び出していた。
もちろん、彼女との関係を解消する話をするためだ。
だだっ広い公園のベンチで二人、隣合うように座る。
唯華は一周り年上のセレブ女性が着るような、シックで大人かわいいワンピースを着ていた。その服はスタイルの良い彼女にはとても似合っていた。
傍から見れば俺たちはベンチに腰掛け談笑する仲睦まじいカップルに見えるだろうか。
まさかその実態は主人と従者の関係だとは皆知る由もないだろう。
中世の厳しい身分制度が廃止されず、未だ俺たちの間だけ主従の関係が存在しているなんて、嫌なSF小説の設定みたいだ。
今日で必ず終わりにする――。
手のひらに汗をかきながら、俺は話を切り出した。
「――覚えているか? 俺たちがまだ小さい頃、この公園でよく遊んだこと」
「今日はあんたが司会進行ってわけ? 三流タレントのくせにトークを回す側ってのも気に食わないわね。まぁせっかくだから話に乗ってあげるわ。残念だけど公園で遊んだ記憶なんて忘却の彼方よ」
「俺はハッキリと覚えてるよ。一緒に砂場や遊具で遊んだり。今は撤去されたすべり台やジャングルジムではしゃぎ回ったな」
「だから忘れたってーの。なんなの? 急に昔を懐古し始めちゃって。ボケるのは四十年ほど早いんじゃないかしら」
辛辣なツッコミを無視して、俺は淡々と語りだす。
「小学校に上がってからかな? 段々二人で遊ぶ機会も減っていったよな。お前は習い事で忙しくて、俺は一人で遊んだり他の友達とつるむようになった」
「あんたらみたいな下等市民と違って私みたいな「選ばれし者」は子供でもやらなきゃならない事が沢山あるのよ。将来お父様の地盤を受け継いでいく必要があるんだから、英才教育を受けるのは上級国民の使命みたいなものね」
「あの頃のお前は本当、見ていて辛そうで、苦しそうで、そしてなにより――寂しそうで放っておけなかったよ」
「……ずいぶん上から目線で語るじゃない? ガキの頃の話なんか持ち出してマウントでも取りたいわけ?」
俺は変わらず淡々と続ける。いつも唯華が俺に一方的に話すように、今度は俺が彼女に一方的に話し続けた。
「あの頃のお前は感情がまるで無くなってしまったかの様だった。それに連れて表情の変化も乏しくなっていった。何をされても笑わず、怒らず、悲しまず。段々ロボットの様になっていく幼馴染を見て、俺はどうにかして力になりたいって思ったものだよ」
「ずいぶん可愛らしい話ね。そういえば思い出してきたわ。あの頃のあんたは健気で幼気で懸命で、今では考えられないほど積極的な子だったわね。消極的の権化みたいな今とは大違いよ」
「ああ。今思えば、あの頃の俺は唯華の事が好きだったんだ」
「えぇ!?」
唯華は俺の言葉に、火が着いた様に頬を赤く染めた。
冷淡なこいつには珍しいくらいのリアクションだ。
「必死だったんだな。お前を笑わせたり、喜ばせたりしたくて、色んな馬鹿やったよ。最初は感情をなくしたサイボーグみたいだったお前が、徐々に表情に彩りや変化が現れていった。少しずつ喜怒哀楽を示すようになっていった。俺はそれが嬉しくて嬉しくて、お前の無茶な願いにも応えるようになっていった。結局それがすべての間違いだった。お前はあの時から俺を自分にとって都合のいい、勝手にご機嫌取りをしてくれる従順な家畜だと考えるようになったんだ」
「あんたが私を甘やかしたから歪んだ人格が形成されていったってこと? ずいぶん自分のことを買い被っているわね。あんた程度の取るに足りない存在が、私のペルソナを作り上げてしまったって言いたいわけ?」
「ああ。俺はそう思っている。すべては俺がお前の事を好きになってしまった事がいけなかったんだ」
「ちょっ! 好きとか言うなっ!」
瞬間湯沸かし器の様に、顔に火がボッと点く。
自制してない時の唯華は、感情も表情も変わりやすい。
この特徴さえも、もしかしたら俺の責任なのかもしれない。
「お前からすれば、勝手に好きだといって近付いてきた俺が、勝手に嫌いになって離れていくのは理不尽で許せないんだよな。好きになったのなら最後まで責任を持てよと。他の女にしっぽなんて振るんじゃないぞと」
「べ、別にそんな事思っていないわ! あんたなんてただの飼い犬よ! ただの奴隷で所有物! それだけ。それ以上も以下もないわ」
「そうだろうな。今のお前は俺の事をその程度の存在としか認識してないよな」
「あ、当たり前じゃない! この芝浜唯華様の傍に仕えられるだけでどれだけ幸せだと思ってるのよ! 感謝なさい! これまでもこれからもずっと!」
「唯華。……俺は今日、別れ話をしにきた」
「へ……?」
「今までありがとう。辛い事も多かったが楽しかったよ。お前との日々は俺の青春だった。今日でこの関係は終わりにしよう。別れの理由を先に言っておく。俺はもうお前の事が嫌いだ。大嫌いだ。これ以上一緒にいたくない。さようなら、唯華」
その言葉に唯華の顔色は一変した。
火照り気味に赤かった顔は一瞬にして、病人のような青白さに変わった。
身体が震えだし、小刻みに上下の歯が重なりカチカチと音を立てた。
震えを抑えるため、その長い腕で身体をさすり出す。
火でも起こりそうなほど、一心不乱に両腕をさする。
ワンピースからのぞく真っ白な腕にはあちこちに鳥肌が立っていた。
長い付き合いから、俺の言葉に嘘偽りが無い事を理解したのだろう。
これだけ弱り果てた唯華を見るのは初めてだ。
だが、この弱さが本当の彼女の姿なのかもしれない。
芝浜唯華の本質は『貝』だ。
頑丈な檻のような殻で、外界の脅威から柔らかで、か弱い自分を守っている。
もっとも、俺に接する時だけは貝というより、突き出た針で自分を守りつつ、相手を攻撃する雲丹になる。
いずれにしても中身は脆い、年相応の女の子だ。
どれくらい時間が経っただろう。
穏やかな沈黙が辺りを包み込んでいた。
唯華は、相変わらず屍のように血の気の失せた表情だ。こめかみには青白い血管が見える。
それでも続いていた震えは止まり、やがて何かを決心するかの様な表情へと変わっていく。
彼女はまだ少し、弱さを引きずったまま、重苦しい沈黙を破り口を開いた。
「本気なのね……? 本気で私の元から去ろうだなんて考えているわけね」
「ああ」
「私から離れられると思っているの? あんたの弱みを握っているのよ」
「知っている」
「だったら、黙って私の元に降りなさい。あんたの居場所は私の下か後ろって決まってるのよ」
「断る」
「……いいの? 本気で私を怒らせてしまって? あんたを脅迫する材料はいくらでもあるし、私はこの街の権力者の娘よ? たった一言「ごめんなさい」と言えば、今日の事は忘れてあげるわ」
「あやまる理由はない」
「……お願い。謝ってちょうだい。そうすればすべてチャラにするわ。これからは少しだけ優しくしてあげる。荷物持ちも三日に一度でいいし、汚い言葉も出来る限り控えるわ。腹が立ってもグッと我慢して暴力を振るうのは最小限にしてあげ……」
「唯華」
「えっ!? なになに? 謝る気になってくれた?」
「逆だ。謝るのは俺じゃない。お前の方だ」
「そ、そうね。私が謝るわ。今回ばかりは私に非があったのも認めるわ。きちんと詫びるわ。ねっ。ちゃんと謝るから許してくれる?」
「謝罪の相手は俺じゃない」
「へ?」
「謝る相手は、お前が傷付け、晒し者にした『関彩香』さんにだ」
しおらしく、謙っていた唯華から「プチッ」と何か血管の様なものが切れる音がした。
地獄の門が、開く音が聞こえた――。
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