07. 全面降伏
「どういうつもりだ」
俺は人気のない校舎の裏に唯華を呼び出していた。
無論、下着泥棒を俺になすりつけようとした件について問い質すためだ。
憤怒に燃える俺とは対照的に、唯華はかったるそうな冷めた態度だ。時折にやけた面でこう反論した。
「一体なんの話? 話の筋が見えないんだけど」
「とぼけんじゃねえ! 下着泥棒の話だ。俺の鞄の中に関さんの下着を入れたのはお前だな」
「うわぁ。となりの席の女の子の下着盗むとかあんた正気? 海のように寛容な私でもさすがに性犯罪は擁護出来ないわよ」
「ふざけるな! お前が犯人だって事は分かってるんだ! グループRINEで皆に『下着が盗まれたのは関さん』だって言ったのもお前だろう! また、彼女を晒し者にしやがって。どこまであの子を傷付ければ気が済むんだ!」
それまで余裕綽々といった態度だった唯華の空気が変わった。
「何を根拠に私がやったなんて抜かしてるのか知らないけどね、いい加減あのメス豚に色目を使うのは止めなさいよ。発情した家畜の求愛なんて畜産農家しか喜ばない代物よ」
「別に色目なんか使ってないだろ。例え関さんに恋愛感情を抱いていたとしても、お前にはなんら関係のない話だろ」
突如、突風が吹いた。下から舞い上がる風は、彼女の艷やかな長い髪の毛を払い上げた。
風が収まると、そこに現れたのは閻魔の様に髪を逆立て、血走った目をギラつかせた鬼女だった。
「関係ないだぁ? 言ったな。おい。吐いた言葉飲み込むなよ」
「……ああ。お前にはもう何も関係ないだろ」
「そうかそうか。ヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒッ」
口裂け女のように口角をつり上げ、歯茎をむき出しにして嗤うその様子に、色の濃い悪意が漂うのを感じた。
「何の関係もない赤の他人なら、かばってあげる必要もないよなぁ。下着泥棒さんよぉ?」
「……お、お前まさか!」
「教室に鞄を置き去りにしたのは不味かったなぁ? 「謎の転校生」がたった一言グループRINEで『下着は白井の鞄の中』ってつぶやけば、泥棒が誰か一瞬で判明するもんなぁ」
「やめ、やめろぉぉ!」
「おっと、それ以上私に近付いたら戦闘行為の意志ありと判断するわよ? 私が柔道と空手合わせて何段だったか覚えてるわよね? もっともリアルファイトが一番得意なんだけど」
ファイティングポーズを取る嗤う口裂け女に、思わずたじろぐ。
よく腕っぷしに自信のある輩が「俺は格闘技やった事無いけど、女の格闘家なんて余裕で倒せるっしょ」と舐めた口を叩く事がある。
確かに人体の構造上、骨格、筋力ともに女性に勝るため素人の男でも勝てる可能性はあるだろう。
だが、それは体格差があればの話。同じ体格なら素人の男性が長年格闘術を納めた女性にはまず勝てやしない。
男としてはやや小柄で細身の俺と、女としては長身の唯華とは、あまり体格差がない。無論勝機もない。
となると、彼女と格闘してスマホを取り上げたり、言うことを聞かせるよう脅しつけたりすることなど不可能だ。
それにもまして長年の敗北の歴史が、俺の心身に刻まれており、身体は自然と恐怖で震え出していた。
「ププッ! 震えてやんの。保健所に連れてかれる事を察した野良犬みたいで可愛いわよ。さーて、あんたに残された選択肢は二つだけ。私に逆らって下着泥棒の汚名を着せられるか、私に謝ってご主人様の元に戻り従属するか。どちらを選ぶ?」
「そもそも俺は下着なんて盗んでいない。犯人はお前だ。それをきちんと証明できれば……」
「本当に証明出来ると思ってる? あんたがどれだけ訴えても、世間はあんたの話になんて耳を傾けないわよ? 仮にあんたが私を黒幕だと告発しても、品行方正、成績優秀な地元の名主のお嬢様である私が、そんな悪意ある企てを起こすだなんて、周囲が信じると思う? 思わないんだなぁこれが。それが『信用』ってものだよ。金を借りるのにも、土地を買うのにも、人を騙すのにも、すべては『信用』が大切になってくるのよ。ドゥー・ユー・アンダスタン?」
「ぐぅっ。この糞がぁ……!」
俺は固く固く拳を握りしめる。
きつく握りしめたせいで爪が肉を突き破り、拳の中から血が滴り落ちた。
「さあ。どちらを選ぶ? 私は一向に構わないのよ。自分の幼馴染がクラスメートから白い目で見られ、変態扱いされても。もっともそうなると悲しむのは親御さんよね。まさか自分の息子が下着泥棒で謹慎処分を受けるだなんてね。さすがに退学はないでしょうけど数日から数週間の停学は免れないわね」
「やめてくれ」
「停学が明けても、クラスメートはあなたを快く受け入れてはくれないでしょうね。教室に戻ってくる勇気はあるかしら? 突き刺さるような視線を浴びながら針のむしろの状態で、残りの高校生活を送らなきゃならないものね。もちろん、学業面、特に内申点は大きなマイナスよね。大学の推薦なんて貰えないだろうし、狭い街だから就職を希望しても悪評が広まっていて雇ってもらえそうにもないわね」
「もう……やめてくれ」
「なにより辛いのはあんたが邪な感情を抱いたセキという女から軽蔑されることじゃない? あんなチンチクリンのその他大勢モブキャラ・3みたいな女でもあんたには大切な人なんでしょ? 飼い主としては育ちの悪い雑種に交尾を迫るようなバカ犬でも、フラレて傷心されるのは心が痛むわ。自分のしっぽを追っかけ続ける様な脳みそカスカスのアホ丸出しでも、従順な忠犬には変わりないものね」
「分かった。……もういい。戻る。お前の元に」
下を向き項垂れる俺は、死ぬ思いで敗北の言葉を絞り出した。
身体が重い。
重力魔法を全身に浴び続けているようだ。
情けなさと恐怖で首を上げる事が出来ない。
「……そう。謝罪の言葉がまだないわよ」
「すまなかった。唯華。俺がすべて悪かった。だから、もう……許してくれ」
「………………」
膝を付き、項垂れ、地面に虚ろな視点を固定しながら、俺は全面降伏した。
未だに自分が悪いだなんて思っていない。
それでも謝罪を求められたら謝罪をし、土下座を求められたら土下座をする。
いつだってこの女に逆らったら、待っているのは全面降伏。それだけだ。
自分だけなら、まだ戦える。
けれど、これ以上俺に関わったがために関さんが傷ついていくのを見るのは忍びない。
自分以外の大切な者を人質に取って傷付け追い込む。悪辣な手管だ。反社会的組織のやり方だ。
その悪意の塊のような女からの返事がない。
俺はというと相変わらず地面に顔を突っ伏したままだ。
その時、ふと手元に雫が滴り落ちた。
雨か。まるで涙雨だ。お天道様も哀れんでくれてるのか。
ところが、雫は連続して落下しなかった。雨ならもっと降り注ぐはず。
驚き、顔を上げると、そこにいたのはまさしく怪物だった。
上気したかのように頬を真っ赤に紅潮させて、恍惚とした表情で俺を見下ろしていた。唇の端からよだれを垂らし、蕩けそうな熱っぽい瞳で、俺を見つめていた。
これまでに積もり積もった負の感情を払拭する事に成功し、カタルシスの絶頂を迎えた唯華の表情は、悦楽の極みを味わった女神のようであった。
両手で頬を覆い、何度もうわ言のようにつぶやいた。
「あぁ~。あ~。戻ってきてくれるのぉ? 本当に戻ってきてくれるのぉ」
俺は、何か嫌なものでも見てしまったかのような気分だった。
ただ一言「ああ、戻る」とだけ返事をした。
もうこれ以上、あいつの醜態を見ていられなかった。
どうして醜態と感じたのかは分からない。
もしかしたら、芝浜唯華という女はこうあるべき、というイメージ像を持っていたのかもしれない。
イメージとの違いに勝手に幻滅しているだけなのかもしれない。
どうでもいい。
もうすべてはどうでもいい事だった。
俺の未来は彼女が決める。
ただそれだけの事だった――。
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