06. 魔女の思惑
結局、関さんに犯人の名を告げる事は出来なかった。
関さんと唯華は、喫茶店で二時間ほどおしゃべりをして、すっかり仲良くなっていた。
この状況で「犯人はとなりの唯華さんです」なんて空気をぶち壊す名探偵の様な真似は出来ない。
もうこれ以上関さんが傷つくような事はしたくなかった。
唯華の奴は俺の心理も計算の上で、関さんに近付いたのだろう。
敵じゃなく味方として取り入ってしまおうと考えたのか。
長い黒髪をかきあげ、時折ちらちらとこちらを見据える視線に、なにか邪悪なものを感じた。
あの女は魔女だ。絶対になにか悪意を持って近付いてきたはず。
そう思っても俺には、今のところ、出来ることは何もなかった。
帰宅後、関さんからのRINEが届いていた。そのメッセージには彼女らしい、相手を慮る気遣いが込められていた。
『白井くん。今日はありがとう。一緒にお茶できて楽しかったよ! 途中から芝浜さんとばかり話ちゃってごめんね。女の子同士だから話が弾んじゃって。となりの白井くんとはいつでも話せるけど、芝浜さんとは中々話せなさそうだから沢山話しておこうって思ったの』
『それとやっぱりあの画像を投稿した犯人の名前は知りたくないかも……。多分同じクラスメートだと思うし。もし犯人を知っちゃったら今まで通りに接する事って出来ないかもしれない。ごめんね。私のために教えてくれるって言ったのに。好意を無駄にするみたいで』
「くそ……。これじゃ犯人の名前を告げたらかえって、関さんを傷付けちまう。誰も幸せにならない結果じゃないか」
仕方がないので『関さんがそう言うなら犯人の名前は俺が腹の中に収めておくよ』『今後困った事があったらいつでも頼って欲しい。関さんの味方でいたいから』とメッセージを送った。
真相を告げる事が出来ないのは、あの悪魔の手のひらの上で踊っているみたいで、なんだか不愉快だった。
この先、きっとあいつは何か仕掛けてくるはず。
自分の思い通りにいかない事があった時は凄まじい行動力を発揮し、敵や障害を徹底的に排除する。
決してボロを出さないよう、上手く立ち回って暗躍する。
美しい外見で弁が立ち、他人を惹きつけるカリスマ性も併せ持っている。その上で他人をいとも簡単に利用し傷付ける事が出来る。まるでサイコパスだ。
それが俺が知っている芝浜唯華という女だ
用心にこしたことはない――。
それから数日が経ち、唯華と関さんの仲は更に深まっていた。
昼食を一緒に食べに行ったり、教室でもお互いの席に行き来して話し合ったりと、仲の良いお友達のようだった。
クラスメートたちは今まで接点のなかった二人が仲良くしている光景に違和感を覚えながらも、別に珍しいことではない、交友関係が変わったのだろう、とあまり興味を持っていないように見えた。
今のところ、唯華から話しかけられる事もアプローチをかけられる事もない。
時折ねっとりとした視線を、教室の隅からこちらに送ってくるだけだ。
唯華がなんらかの悪意を持って関さんに近付いたという考えは俺の思い過ごしだったのだろうか?
同性の親しい友人が出来、考えも変わったのかもしれない。
一人の哀れな男に執着する理由もなくなったのかもしれない。
きっとそうだ。そうに違いない。
善意の塊のような女の子と触れ合って、心が浄化したに違いない。
これからは健全な人生を歩んでくれよ。さよなら幼馴染――。
そんな俺の想像が、いかに甘く日和った考えだったのか、数分後に分かった。
担任が血相を変えて教室に入ってきた。初老の男性教諭だ。
酸いも甘いも経験済みのベテラン教師が、教壇の上でなにやら重苦しい雰囲気を発していた。言葉を紡ぎ出すのがとても辛そうだ。
やがて、意を決して視線を上げ、教室全体を見渡すと、とんでもない言葉を口走った。
「うちのクラスの女子生徒の下着が盗まれた。……どうやら先程の体育の授業中、何者かが女子更衣室に侵入したらしい。ロッカーの鍵が開けられ、バッグの中身が荒らされていたそうだ。内部の犯行なのか、外部から泥棒が入ったのかは分からない。皆も注意するように」
担任の爆弾発言に、教室の空気は一気に沸騰する。
「うわー本当かよ! 下着泥棒とかありえねえんだけど」
「マジキモい。変態野郎はさっさと捕まって死んで欲しい」
「最低~。本気でやめて欲しいんだけど。怖くて着替えられないじゃん」
「ていうか誰だよ犯人。怒らないから名乗り出ろよ」
学級崩壊の荒れた教室のように、それぞれが大声でしゃべり出した。
動物園のような雰囲気に辟易するが、内容が内容だけに仕方ない気もする。
「はいはい! 静かに! うるさいぞ! という事で注意を喚起しました。こんな事件があったから皆も気をつけるように。不審者がいたら、先生たちに知らせてくれ。もし今回の事件になんらかの心当たりがある者は私の元に来るように」
そう言って周囲を睨むと、担任は何事もなかったかのように現代文の授業を始めた。
ざわめきはボリュームを緩やかに絞ったかのように落ち着いていった。
何気なく、前方に目をやると、あの女と目があった。
不気味なほど大きい、だるまのような黒々とした黒目でこちらを見ている。
猛禽類のように目を見開き、口元にはわずかに微笑みをたたえている。
その表情に俺は名状しがたい恐怖を覚えた。
数刻、コチコチと時計の針の音が耳の中で聞こえた気がした。
その考えに至った時、俺は全身の血の気が引いてくのを感じた。
嘘だろ……?
あの女、まさか……。
俺は机の横にかけられた鞄に目をやる。
両開きのチャックが中央に寄り、わずかに開いていた。
馬鹿な! そんなはずがない。俺はチャックは必ず右か左側に寄せて閉じる。チャックの位置が中央にある事はありえない。
それは悪意ある第三者が細工をした事を物語っていた。
よく見ると、チャックの隙間から、何か白い布の様なものが見える。目を凝らして見るとそれはレース生地だった。
まるでショーツかブラジャーの様で、男の鞄に入ってるのはありえないものに見えた。
その時、スマホが震えた。
焦りでピクンと背筋が伸びてしまう。
スマホの通知を確認すると、ロック画面にグループRINEのメッセージが短く表示されていた。またもやあの「謎の転校生」が発言していた。
『下着盗まれたの関さんだってよ』
俺は右となりの席に座る、関さんの方をちらりと覗き見た。
眉根を下げ、悲しそうな顔をしている彼女を見て、静かに怒りと闘志を燃やした。
考えが甘かった。
やはりあの魔女は成敗しなければならないのだ。
俺は決意を固め、強く拳を握りしめた――。
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