03. 決別の日
翌日。いつもどおり芝浜邸を訪れ、唯華が出てくるのを待つ。
鉄門が自動で開くと、不気味な笑顔を浮かべた唯華が現れた。
ギリシャ人の首だけの石膏像のような、冷徹な微笑みが張り付いていた。
その表情を見て、なぜかいつも以上に恐怖を感じてしまった。
「お出迎え御苦労。RINEは見たかしら?」
「え? 俺にRINE送ったの? まだ確認してないけど」
「……私があんたみたいな底辺ど畜生にメッセージ送るわけないでしょ」
「それじゃなんだ? 俺グループRINEとか通知がうるさいのはミュートしてるんだけど」
「そう。まあいいわ。教室に着けばすべて分かるもの」
「?」
そう言うと唯華は不気味さを増大させるように、大きな口の広角を引き上げた。
朝からこんなに機嫌の良い唯華を見るのは初めてかもしれない。
彼女とは反対に、俺は猛烈に嫌な予感がしていた。
教室に着くと、クラス全体が騒がしい。
全員が方方でガヤガヤと噂話に興じている。
女子グループの話に耳を傾けると、とんでもない話が聞こえてきた。
「ねえねえ。クラスのグループRINE見た?」
「見た見た! やばくない? あの画像」
「あの写真ってやっぱりさあ……援交かな」
「うわぁ。やっぱり。彩香があんな事するタイプだとは思わなかったな」
俺はその言葉に、慌ててスマホを立ち上げた。
グループRINEの画面から自分のクラス「3―F」の欄をタップする。メッセージが30件ほど貯まっていた。クラスのリア充共のしょうもない会話がやかましくて通知を切っていて、数日おきにまとめて確認するようにしていた。
そのグループRINEの画面にはとんでもない画像が貼られていた。
となりの席の関彩香が、サラリーマン風の中年と腕を組んでホテルに入ろうとしている画像だった。
画像を投稿したのは『謎の転校生』という名前の、見たことも聞いたこともないアイコンだった。
こんな奴がクラスのグループRINEに参加してた事も知らなかった。
その画像のすぐ後には、関彩香のアイコンで「私はこんなの知らない! これは私じゃない!」「誰なの! こんなイタズラしたのは!」「お願い。みんな信じて。私こんな場所行った事もないよ」と連続で悲痛な叫びが送信されていた。
RINE上では彼女の意見を擁護したり、犯人を糾弾したり、関を励ますようなコメントもちらほらあったが、今の教室の雰囲気から察するに、あまり関の言葉を信じてる者は少ないようだった。
隣の席に彼女の姿はなく、結局この日関彩香が学校に来る事はなかった。
彼女を信じたい『画像は偽物派』の自分と、本当の彼女を知らないんだから『画像は本物派』の自分とが脳内で激しく争っていた。
俺はその日ずっと、嫌な心臓の高鳴りを抑えるのに必死だった。
初めて好きになった清純派のアイドルが、お偉いさんたち相手に水着で接待をしている週刊誌の写真を見た時の様な失望感を感じていた。
放課後まで、関に対する嫌な噂話を耳にし続けた。
なんだかドッと疲れてしまった。
いち早く帰宅してベッドに倒れ込みたかった。
暗い表情の俺とは対照的に、唯華はここ数年見たことがないくらいの晴れやかな表情だった。
ご機嫌で鼻歌を交えながら、スキップをするかの様に飛び跳ねている。
足取りが重い俺を、叱りつける事もなく、楽しそうに前を歩いている。
俺は少し苛立ちを覚えたが、それ以上に喪失感が強く、彼女に反発する気が起きなかった。
やがて、学校から遠く離れ、自宅が近付いてきた。夕暮れの住宅街は人通りも少なく、自転車を漕ぐ買い物帰りのおばさんと、杖をついて歩く老人がわずかに通るだけだった。
目の前には昭和のアニメに出てきそうな、真っ赤な夕日が揺らめいていた。巨大な暗赤色の球体が蒟蒻の様に震えていた。
夕日を背にしてこちらを振り返る唯華の顔は、真っ赤に照らされ、黒髪と黒目となぜか口までもが真っ黒に染まっていた。宗教画の様に美しくもあり、心霊写真の様に薄気味悪い光景だった。
俺をじっと見据える満面の笑みの唯華から、なぜか目が離せなかった。
そのせいか、彼女の言葉に対するレスポンスが大きく遅れた。
「中々のものでしょ。私の画像加工のテクニックも」
「…………なんだって」
「コラージュって言うんだっけ? 大変だったのよ。あのセキとかいう女のちょうどいい角度の顔写真を探すのは。もっとも、おっさんと腕組んでホテルに向かう女の画像は検索すれば腐るほど出てきたけどね。本当この国の少女の貞操観念は狂ってるわね。いつから大和撫子は後進国の売女並みに簡単に股を開くようになったのかしら」
「お、い……。お前……今、なんて、言った」
「あら? あんたまさか気付いてなかったの? ちょっと考えればすぐ分かる事でしょ。わざわざグループRINEにあんな嫌がらせする必要がある奴なんてこのクラスにはいないわよ。私を除いて」
「どう……して、だ……?」
「決まってるでしょ? 私の所有物にちょっかいを出したからよ」
頬を張る乾いた音が、夕暮れに染まる住宅街に響いた。
唖然とする唯華は、驚愕の表情を浮かべ、張られた左頬に手を当てていた。
彼女の大きな瞳には、泣きながら獣の様に息を荒げる俺の姿が映っていた。
「信じてたのに……! そんな事だけはしないって、お前のこと信じてたのにっ!」
「……」
「もうダメだ。俺は絶対にお前の事が許せない。お前だけは絶対にっ! 金輪際二度と許す事が出来ないっ!」
「た……」
「しゃべるな! さえずるな! 口を開くんじゃねえ! もうお前の言葉には二度と耳を傾けないっ! お前とは関わりたくない! お前とは今日限りで絶縁するっ! 別に縁なんて無かったけど、これまでの様にお前と言葉を交わしたり、お前の荷物を運んだり、お前の暴言に耳を貸したり、お前の暴力をサンドバッグみたいに受けたりはしない! 永遠になっ」
そう一気にまくし立てると、俺は真っ赤に泣き腫らした目で唯華を睨みつけた。
今なら反論も反発も全て受け入れてやれる。どうせこれが最後のやり取りになるのだから。
ところが彼女は全ての感情を失った人形のように、張られた頬を抑えて立ち尽くしていた。
微動だにせず、一枚の絵画のようにピタリとその場から動かなかった。
何の感情も読み取れない黒すぎる虚ろな目で、じっとこちらを見据えていた。
その顔から見出だせるのは、怒りでも悲しみでもなく、只々不思議といった表情だった。
もしかしたら自分が未だに何をされたのか、分かっていないのかもしれない。
放心する彼女を置いて、俺は歩き去った。
それは彼女と登下校を開始して以来、初めて俺が彼女の先を歩いた瞬間だった。
いつもは目の前にいた、彼女の背中はもういない。
これから先もずっと俺は彼女の背中を追うことはないだろう。
歩みを進める俺の背に向かって、何かうめき声の様なものが聞こえた。
しぼみかけの風船が漏らした空気音のようなそれは「た、く、と」と聞こえた。
遠い遠い昔に大好きだった幼馴染が呼んでくれた俺の名前だった。
今となってはもう、どうでもいい話だ――。
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