10. 最終決戦
静寂に包まれていた昼下がりの公園に、獣の咆哮が響いた。
脅威を察し、電線で羽を休めていた数十羽のスズメが一斉に飛び立った。
今の雄叫びを発したのが、この読者モデルのような美少女だとは誰も思わないだろう。
叫び声の主はベンチから立ち上がり、怒り狂って歯を剥いた。その姿は、まるで一匹の獣だった。
「段々上手になっていくじゃねえか。飼い主の手の噛み方がよぉ」
野獣は後方にバックステップを踏み、勢い良くベンチに座る俺目掛けて、ローリング・ソバットを繰り出した。
ミサイルの様に突っ込んできた脚は、俺のわずか数センチ横にずれ、ベンチの背もたれに直撃した。
シュゥ~とゴムが焦げる臭いがし、パンプスの足跡が背もたれにくっきりと残った。
雪男の足跡ならぬ、鬼女の足跡としてオカルト雑誌に投稿してやろうかと思った。
「土手っ腹に風穴を開けてやんよ。どこがいい? やっぱり弱点の左脇腹がお望みか?」
「止めておいた方がいい」
「偉そうな口叩きやがって。てめえはいつから殿様になったんだ? あぁ? そこは上座だ。頭が高ぇぞ。さっさと下りろ。おら、這いつくばらせてやる」
黒い邪悪な塊は助走を付けて高く舞い上がると、太陽を背に、俺目掛けて急降下してきた。
正面から下腹部に飛び蹴りを受け「く」の字にベンチから崩れ落ちる。
「ぐふ!」
「はぁ~ん。良い悲鳴上げるじゃない? やっぱり蹴り心地最高ね。誰が認めなくても私が認めてあげるわ。あんたは世界一の人間サンドバッグよ」
「もう止めて、おいたほうがいい」
「あぁっ!? この期に及んでまだ上から目線か? てめえのボーナスステージはとっくに終わったんだよ! これからは未来永劫私のターンだっ」
腹部を抑え、横から見たら「orz」のように崩折れた姿勢で悶える。
完全に暴力状態に移行した唯華は、俺の尻をペナルティゴールを狙うラグビーのキッカーの様に蹴り上げた。
尻から全身に向かって、原付に追突されたくらいの衝撃が走る。
「うぎゃっ!」
「ちょっと止めてよ。私にあんたの汚いケツなんて蹴らせないで。蹴りやすい位置に置かれたら蹴っちゃうわよ私」
暴力を振るっても、謝るどころか、非を他人に押し付ける。
悪いのは自分じゃない。私を怒らせたあんたの責任。
理不尽なジャイアニズム。
どうやらいつもの唯華に戻ったようだ。
この女がもうさっきのような、か弱くしおらしい少女に戻ることは二度とないだろう。
まあいい。絶縁を望んでいるこちらとしてもそのほうが好都合だ。
「唯華。もうその辺にしておいた方がいい」
「始まったばかりで何言ってんの? 私の愛と暴力のフルコースはまだ前菜ってところよ。あんたはこれから一方的に破壊尽くされるのよ。安心して。いつもより丹念に時間をかけて壊してあげるから」
指をポキポキと鳴らし、手首をこねくり回すヴァンダレイ・シ○バの仕種を真似ながら俺に圧力をかけてくる。
俺は情けなさそうに尻もちを着いたまま、後ずさりする。
眉を寄せ、必死に懇願する。
「頼む。唯華。謝ってくれ。お前が今まで関さんにやってきた事を」
「あぁっ!? てめえぐぉら! 二度とそのスケの名前口に出すんじゃねえっ!」
尻もちをついて、必死に攻撃から逃げ回る俺の身体を容赦なく蹴りつける。
ガードの隙間を狙い、蹴り上げ、踏みしめ、突き刺す。実に蹴りのバリエーションが豊富だ。
唯華の脚は時に槍、時に槌、時に鞭と様々な形状に変質して俺のガードを効果的に破壊していった。
テイクダウンを奪った総合格闘家が、ここが好機と嵩にかかって攻め立ててくるようだ。息を荒げながら数十発の蹴りを放ち続ける唯華。
俺の体はガードを突き破られ、とっくにボロ雑巾のようになっていた。
このままではHPが尽きてしまう。気が付いたら見知らぬ天井だなんて笑えない冗談だ。俺は必死に声を張り上げた。
「ゆ、唯華ーっ! どうして関さんの援交画像なんか偽造したんだ! わざわざグループRINEにあんなコラージュ画像を上げるなんて酷いじゃないかっ」
「ああ? 何を今更そんな事言ってやがる。前にも話した事忘れたのか?」
「お、覚えてないっ」
「だったらもういっぺん言ってやるよ。答えはシンプルだ。あのセキとかいう雌豚が私を怒らせたからだっ!」
「うぐっ!」
ジタバタと手足を動かし、必死の抵抗を続けたが、ガードをくぐり抜けた右足が目の前に迫っていた。
なでしこJAPANもびっくりのサッカーボール・キックが俺の顔面を吹き飛ばす。
エロ本を読んだ少年漫画の主人公みたいに、キレイに鼻血が吹き出た。
「あー。鼻逝ったかなこれ? まぁ安心して。大切な幼馴染の怪我が一秒でも早く治るよう、芝浜総合病院に送り込んであげるから。院長は私のおじさんだから怪我の理由も聞かれる必要もないしね。あっ。そんな事、常連のあんたは百も承知だったかしら? キヒ! ヒヒヒヒヒヒヒヒ」
「はぁ、はぁ。唯華。……どうして関さんの下着を盗んだ。可愛そうだろう。これ以上関さんを苦しめるな」
「……てめえ、さっきからうるせえぞ。なに狂ったようにあの雌豚の名前連呼してんだよ。生命の危険を感じて、子種を残そうとオスの本能が発顕したか?」
「答えろっ! ……俺に優しくしてくれたっ、大切な友達の、関さんから下着を盗んだのはどうしてだっ」
「……どうやら去勢手術が必要らしいわね。いいわ。中国の宦官みたいに玉無しでも男として生きていけるし、グチャッと二玉潰してあげる」
「……っ! 答えろっ! 唯華! どうして関さんから下着を盗んだっ!」
「あの雌豚の泣き顔が見たかったからに決まってんだろ。……死ねっ!!」
「そこまでだよっ!!!」
俺たち二人以外誰もいなかったはずの公園に、第三者の声が響いた。
草むらから勢いよく飛び出し、姿を現したのは、関さんだった――。
予想外の登場人物に、唯華は呆けたように口を開け、目を丸くした。
俺の胸ぐらを掴んだまま、硬直し、まるで事態を理解できていない様子だった。
やがて、少しずつ現状を理解し始め、爬虫類を思わせる狡猾な表情に変わった。
マネージャーを説教していた現場を内緒で隠し撮りされた苛烈なベテラン女優のように、彼女に気付くと一瞬で表情を変え、にこやかに微笑みかける。
「あら? 関さんじゃない。ごきげんよう」
「……手を放して。白井くん傷ついているじゃない」
「ああ。彼のこと? 公園でボロボロになってたのを今助け起こして上げたのよ。全く。大切な幼馴染に怪我を負わせたのはどこの輩かしら」
「隠さなくていいよ」
「へ?」
「一部始終すべて見ていたから。二人がベンチに座る前からずっとね」
「…………!」
唯華は終盤で取り返しのつかない悪手を打った棋士のように、苦虫を噛み潰したような顔に変わる。
隠蔽することが不可能な状況だと、理解したらしい。
初めて俺以外の他人に、自分の本性を知られた悪魔は、ビラリと口元が耳まで裂け、背筋の凍る様な狂気の嗤い声を上げ始めた――。
次回で、第一章『幼馴染はとなりの席の女の子に嫉妬する』は完結です!
盛大な「ざまぁ」をご用意しましたのでクライマックスまでお付き合い下さいませ。
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